東方の商人 >>   

風が吹く。窓が開いているから、寝台の天蓋が風に揺られてさらさらと音を立てている。聞こえるのはそれだけ。とても静かだ。外は眩しいほどに晴れ渡っている。砂漠の国だから暑いかと思っていたけれど、それほどではなかった。風が入れば涼しいし、外に出なければそれほど過ごし難くもないのだろう
異国で目を覚ましてから、私はほとんどをこの寝台の上で寝転がって過ごしている。屋敷の外には一度として出ていない・・・・・・いや、この屋敷の外どころか屋敷の中すら満足に見てはいない。出歩く気分にもなれない。今の私の世界は、天蓋越しに見つめるこの部屋だった。
 私の夫になるという男は暇さえあれば私のそばで何かを話している。少し席を外す事があってもすぐに戻ってくる。彼のいない時間はとても静かだ。そして心地が悪い。どうしても考えてしまう。

とりあえず、生きている。
生き延びた。特にその気もないから自殺なんて考えもしない。なんとなく生きている。
問題はここから。


「さ、イリス!どれがいい?」
 夜風が窓を叩く。寝台に横になっている私の目の前には色とりどりの宝石が並んでいる。薄桃色のシーツの上に無造作に置かれたそれらはランプの薄明かりに柔らかい光を放った。
「なにが?」
さも楽しそうに言ったラルに、私は一言だけ尋ねた。
部屋に入ってくるなり宝石を寝台の上に並べ始め、いきなりどれがいい?と言われても返しようがない。
「指輪だよ。それと他にもたくさん。首飾りに腕飾りでしょ、耳飾りと、額に飾るのと、服の上からこうやって飾るのと…」
 言いながら彼は自分の腕や首を示す。身に着ける事ができる所にはとりあえず装飾品があるようで、少しあきれた。
「着けすぎなんじゃないの?」
「そんなことないよ、あんまり着飾らないほうが馬鹿にされるよ?」
「・・・・・・そうなの」
「うん。どれくらい着飾れるかが商人としての格付けになるからね。ねぇねぇイリス、コレなんてどうかな」
 ラルの瞳の色に似たエメラルドを渡される。ずしりと重い。この大きさのエメラルドはいくらで取引されるのだろうか。今まで見た中で確実に一番大きな石ころは手のひらの上で異様な存在感を放つ。
「うーん、やっぱり肌の色が白いから派手な色の石のほうが似合うかなぁ。でも目は水色だから、コレなんかもあうかなぁ。ね、イリスはどう思う?どれが気に入った?」
「私・・・?」
「そう、着けるのはイリスだからね。一番気に入ったの選んで。ねぇこれはどうかなぁ光の加減で色が変わるんだよ」
 あくまで決定権は私にあるようだった。ラルは「これは?」と尋ねるだけで「これがいい」と進めてくることはない。
「私は・・・・・・」
気に入ったものなんてない。だから、そっちで勝手に決めてと言おうとすると、ラルが1つの宝石を手に取る。
「これ、さっきから見てたけど気になる?」
 赤いような紫のような、透明な石だった。そっと私の手に乗せて言う。
「これは?」
「ルベライトって言うんだよ。綺麗な赤でね、この赤が濃いほど希少価値が高いって言われてる」
「ふぅん・・・」
「これにする?」
「・・・・・・ええ」
「やっぱり赤いと白い肌に映えるよね、うん、似合うよイリス」
 正直に言うと特に気になったわけではない。ただ少し、似ている色だと思っただけで。
それでもラルはこの宝石に決まったことを喜んでいる。
「それは、指輪になるの?」
「そうだよ、カッティングして、台座に載せて…」
 すっと指輪をはめる仕草で、赤い宝石は私の左手に持ってこられる。薬指、意味するところは。
「結婚指輪…って君の国には無いの?」
「・・・・・・いいえ、あるわ」
 そうか、よかった。そういって彼はまた違う飾りのための宝石を見繕っているけれど。私はそのまま渡された宝石を握り締めてただ思う。
結婚指輪になるという宝石の赤い色は、とてもロディの瞳の色に似ていた。


 婚約者に裏切られ…想像するにあれは国家ぐるみの陰謀だったように思う…殺されるかと思ったけれど何故か生き延びた。そしてその先で異国の商人の妻になる。夫になると言う男は未だにそういった意味で私に触れてくることは無いが、時間の問題なのだろうか。そしてこの先どうなろうとかまわないと思ってしまっている私がいる。感情が麻痺してしまったのかもしれない。
 問題は、これから。
私は生き延びて、何をすればいいのだろう。



…何をしなければいけないのだろう。