日常 >>   見果てぬ夢

 その日、紅月は部活が休みだったのでいつもよりも早く帰宅することができた。ちなみに高校一年生で、弓道部に所属している。
 やりかけのゲームをするとか読みかけの本を読むとか、やりたいことはたくさんある。思いがけず貰った時間をどう使うかうきうきしながら家の扉を開けた。
「ただいま〜」
 そう言うと、母が台所からひょっこり顔を出した。片手に持った包丁がちょっと怖い。
「お帰り紅月。随分早いんじゃない?」
「うん、今日は部活が休みだったんだ」
 背負ったリュックを降ろし、中から弁当箱を取り出して流しに置く。母の手元を見るとなれた手つきでじゃが芋をむいている。ほどほどの大きさに切ると、横に置かれた鍋にぽいぽい放り込んでいく。ほかにもまな板の上にはにんじんやたまねぎが順番待ちをしていた。置いてあるルーはシチュー用である。
 今夜はシチューらしいとあたりをつけて紅月は上機嫌で階段を上って自分の部屋に入った。
 床にリュックを置くと、紅月はいそいそとゲームの準備を始めた。
 ばさっ
 背後で何かが落ちた音がした。振り向くと本棚から本が一冊落ちたようだ。落ちるような場所に本を置いた覚えはないのだが。
 おかしいなと思いつつも本を拾い上げる。その表紙を紅月はまじまじと見つめた。
 表紙は真っ白だった。タイトルも著者名も何も書いていない。中を見ても真っ白なページが続いているだけだ。
「こんな本持ってたっけ?」
 首をかしげながらページをめくっていく。あるページを開いたとき、紅月は手を止めた。見開き一ページに、二つの大陸が描かれていたのだ。左に大きめの大陸が、右に少し小さい大陸が、寄り添うように並んでいる。まるで写真のようにはっきりと描かれたそれに見とれていると、異変が起こった。
 持っていた本が、いきなり浮かび上がったのだ。
「へ?」
 ぽかんとして本を見る。上から糸で釣っているわけでも下に台があるわけでもなく、何もない空中で静止している。目の前で何が起こっているのか理解できない。
 頭が真っ白になった紅月に、更なる衝撃が襲い掛かった。今まで微動だにしなかった本が、突然紅月の顔面に突撃をかけたのだ。
「のわっ!?」
 妙な声を上げてとっさにしゃがむと本は顔のあった場所を正確に、とんでもない速さで通過していた。避けられたのが奇跡のようだ。あわてて振り向くと本は急停止して再び紅月めがけて飛んできた。
「ひぃっ!!」
 あんなものにあんなスピードで直撃されたら多分首が飛ぶ。まだ死にたくない紅月は必死で部屋中を逃げ回っていたが、ついに壁際に追い詰められてしまう。じりじりと本が紅月ににじり寄ってくる。背中を冷や汗が伝い、脳内で某有名SF映画の帝国のテーマが流れた。追い詰められているわりに呑気である。
 次の瞬間、避ける間もなく本に激突されて、紅月の記憶はそこで途切れた。