現状 >>   見果てぬ夢

(クスクス……可愛い寝顔じゃない……)
(ね……あ、そろそろ気付いたみたいよ……)
(ガリアに知らせなきゃ……)
 目が覚める直前、小さな囁き声が聞こえたような気がした。夢の続きだったのかもしれない。
 そう、さっき見たのは全部夢だったんだ。翼のある人間なんかいるわけないし、本が中に浮かんであまつさえ襲ってくるなんてこともあるわけない。そうだ夢だ。目を開ければいつもの白い天井が見えるはずだ。夢ですよね神様!
 紅月は目を開いた。見えたのは、木の天井だった。
 神様は留守だった。
「……どうせ最後に信じられるのは自分だけなんだ……」
 やさぐれた紅月がふわふわの枕――これも羽毛らしい――に顔を埋めてぶつぶつ言っていると、またドアが開いた音がした。恐る恐る顔を上げてそちらを見れば、気を失う前に見た青年が入ってきていた。ところがその背に翼がない。自分の見間違いだったんだろうか?
 青年は再び紅月の前に立った。
「全く、いきなり気絶すんなよ。折角運んでやったのに」
「え、いや、そんなこと言われても」
 紅月は困ってしまった。運んでもらったといわれても記憶にないし、そもそもここがどこなのか、彼が誰なのか、どうしてここにいるのか、全てがわからないのである。文句を言われても話が見えない。
「えっと、とりあえず君は誰なんだ?」
「人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀ってもんじゃないか?」
 からかうような口調だったが、紅月はそれもそうかと素直に納得した。
「そうだね、ごめんなさい。俺は緋浦紅月。君は?」
 青年は少し戸惑ったように一度瞬きをしてから答えた。
「俺はガリア。ガリア=エルオートだ」
「ガリア、か。それで、運んでもらったらしいけど、どうして?ってか、ここどこ?」
 問うと、ガリアは驚いたようだ。意外そうに聞いてくる。
「覚えてないのか?」
「何を?」
 首を傾げる紅月。ガリアは少し考える素振りを見せたあとにやりと笑った。タチの悪い、悪戯者の笑い方である。紅月は嫌な予感がした。
「そーか、覚えてないのかー。あんなに仲良くしたってのにな?」
 意味深な言い回しに背筋を悪寒が走る。何か良からぬことを企んでいそうだ。
「な、仲良くって……?」
「つれねぇなぁ、あーんなコトやこーんなコトもしたってのに」
 いいながら、ベッドに寝ている紅月の頭の横に手を置き、覆い被さって顔を近づけた。ぞわっと全身に鳥肌がたつ。紅月は目を閉じて半泣きになりながら悲鳴をあげた。
「た、たぁすけてっ!!」
 ばこっ
 声に答えるかのように鈍い音が響き、続いて呆れたような女性の声が聞こえた。
「悪ふざけもいい加減にしろ」
「っつつ……少しは手加減しろよな」
 そっと目を開くと、頭を抑えてうめいているガリアの横にさっきの女性が立っていた。どうやらガリアを殴ったのはこの人らしい。
 やはり、翼はない。
「あ、ありがとうございます」
「いや、この馬鹿が迷惑をかけた。すまない」
 女性に頭を下げられて紅月は慌てて言った。
「えっと、気にしてないんで。顔を上げてください」
「ありがとう。私はシリア=ラギンという」
「シリアさん。俺は紅月っていいます」
 自己紹介をするとシリアはにこっと笑った。そうすると彼女が纏う鋭い気配が和らいで優しい雰囲気になった。この人は笑うと可愛くなる。
「紅月、敬語を使う必要はない。私も使わないからな」
「わかった、そうするよ」
 答えると頷いて、シリアはガリアの耳を力一杯引っ張った。
「いででっ!」
「ガリアは悪ふざけが好きだから気を付けてくれ」
「う、うん」
 可愛いけど怒らせると怖い人らしい。怒らせないようにしようと心に誓った。
「シリア、痛いだろうが!」
「調子に乗るお前が悪い」
 目の前で仲良く喧嘩を始めた二人を見て、紅月はまだ二人の名前以外何も答えてもらっていないことに気付いた。しかし怖くて止に入ることもできず、その様子を見守るしかない。
 唖然としていた紅月はふと思った。
 シチュー食べ損ねたなぁ……