見果てぬ夢 >>   03

 ガリアの話によると、彼が散歩をしていたときに突然嫌な予感がしたらしい。立ち止まって辺りを見回しても特に怪しいものはない。気のせいかと思い立ち去ろうとした瞬間、後頭部に固い物が激突した。気を失いそうになるほどの激痛に何とか耐えて落下物の正体を見てみると。
「それがお前だったんだよ」
 地面に落ちて目を回していたのだそうだ。一瞬見捨てていこうかとも思ったが結局連れてきてベッドに寝かせておいてくれたらしい。なるほど、コブはそのためだったのか。
「えーと、それは、何というか……ごめんなさい」
 落ちてきたのは自分のせいではないのだが何となく謝罪をした方がいいような気がして紅月は頭を下げた。しかしどうして自分は空から降ってきたのだ?気絶している間にいったい何が起こったのだろう。
「痛かったんだぜ。頭が割れたかと思った」
 頭をさするガリア。それを無視してシリアは言った。
「それで、紅月。次は君の話を聞かせてもらえるだろうか?」
 こくりと頷いて、紅月は自分の日常から放り出された経緯を語った。
 話し終えて二人の顔を見ると、困ったように顔を見合わせていた。おもむろにガリアが自分のこめかみを指さし、くるくると回した後手をぱっと開いた。シリアもそれをとがめなかった。
「気持ちはわかるけどせめて本人のいないところでやってくれよ……」
 思わずうめいた紅月であった。
「んなこといわれたってなぁ……そう信じられるもんじゃねえぞ?」
「俺だって分かってるよ。でもどう考えてもここは俺のいた世界じゃない。二人の格好も、この家も、空気も違う」
 そう、空気が違う。まるで森の中にいるかのように澄んだ緑の匂い。そして時折聞こえる、誰かの囁き声のような不思議な音。目覚める直前に聞いたものと同じだ。あれは夢ではなかったのかもしれない。
 とりあえず嘘をついてるとは思われなかったらしい。シリアは溜息をついて言った。
「まあ、どうして気絶したかの説明はつくな」
「あー、確かに。見たことないなら驚きもするか」
 なにやら二人で納得している。話の見えない紅月が首をかしげると、それを見たガリアは意地の悪い笑みを浮かべ、シリアは苦笑しながら言った。
「見ただろう?君が気絶する前に」
「俺たちの翼をな」
 言い終えた途端、二人の背に純白の翼が現れた。どのような原理なのか、確かにさっきまでは何もなかったのに突然二対の翼が緩やかに部屋の空気を動かしたのだ。
「私たちは君が思っている“人”ではないことになる」
「有翼人。人には違いないさ。ただ翼を持っているだけだ」
 二人は何でもないことのように言う。
 やはり見間違いではなかったのだ。一度は気絶した紅月だったが、もともと図太い神経をしているため二度目ともなれば驚きよりも感動が勝り、絵画のような一対の天使をうっとりと見つめた。無意識の内にガリアの翼を握り締める。
「いでっ!」
「うわぁ、キレイだなぁ……」
「やっ、止めろ!引っ張るな!痛いだろーがっ!」
「手触りもいいし……ふわふわだぁ……」
「離せ!痛いっつってん」

 ぶち

『あ』
 力を入れすぎて羽根をむしってしまった。ガリアは痛みで震えている。
「……シリアさん、そんなに痛いの?」
「髪の毛の束を力いっぱいむしられたくらいには」
 それは確かに痛い。
「ご、ごめん」
「てめぇ……覚えてろ……」
 低くうめくような声である。おろおろしているとシリアが慰めてくれた。
「まあ過ぎてしまったことは仕方がない。その羽根は持っているといい。それより、少し外に出てみないか?」
 シリアの提案により、痛がっているガリアを放って二人で部屋を出る。もうひとつ部屋があり、そこには大きめのテーブルに椅子が四つ、かまどのようなものに食器棚が置かれている。いくつかある窓からは日が差し込み、ソファらしいものを照らしている。ほかにもいろいろなものがある。天井は紅月の家に比べるとずいぶんと高かった。
「こっちだ」
 シリアが外へ続くドアを開けると、そこには茶色い土むき出しの道が横に伸びていた。その向こうには草原が広がっており、吹きぬける風がさわさわと音をたてていく。それに混じってあの不思議な囁きが小さくはじけるように耳に響いた。
 正面の少し離れたところには森がある。道に沿って左を見れば、やや離れた所に家がいくつかまとまって建っているのが見えた。どうやらこの家は村はずれに建っているようだ。村の上には大きな鳥のようなものが飛んでいる。鳥にしては大きく、形も変だ。
「シリアさん、あれって……」
「私の同族だ。あそこは有翼人の集落だからな」
 暫しの間、紅月は目を細めてその光景に見入っていた。それから意を決するとシリアに尋ねた。
「シリアさん、ここはどこなんだ?」
「ここはリーン=フォール。私たち“人”が生きる世界だ」
 リーン=フォール。聞いたことの無い名前。自分の日常からはかけ離れた世界にいるのだとはっきりと突きつけられたようで、紅月はひどく心細くなった。
 どうして自分はここにいるのだろう。
 元の日常に戻ることができるのだろうか。
 不安が押し寄せてくる。
「紅月、君が嘘をついてるとは思えない。しかし簡単に信じられるような内容でもないことはわかるだろう?
 だから、私たちは君の手助けをしよう。君の知る日常が本当に存在するのかを見極める為に」
「ぐだぐだ言ってるけどな、そいつはただ迷子のお前をほっとけないだけなんだぜ」
 突然背後からガリアの声が聞こえて紅月は驚いた。いつの間にやら復活していたらしい。からかうように言ったガリアに、シリアは笑って答えた。
「私が言わなくてもお前が言っていたはずだ。紅月、ガリアはこう見えてお人よしでな、犬や猫などをたくさん拾って」
「シリアっ!」
 慌てたようにガリアが遮る。楽しそうに笑うシリアを睨むと、一つ咳払いをして気を取り直してから言った。
「とにかく!お前が俺の上に落ちてきたのも何かの縁なんだろう。できるだけ力になってやるよ」
 突然空から降ってきた、彼らからすれば得体の知れないだろう自分のために、二人は協力してくれるという。とても嬉しく、同時に申し訳なく思う。
「ガリア、シリアさん、ほんとに良いの?」
「だから、力になるって」
「ああ。一緒に行こう」
 この時、紅月は(記憶にはないが)落ちた先がガリアの頭の上で本当によかったと思ったのだった。