見果てぬ夢 >>   05

 夜、紅月はぐったりとベッドにうつ伏せになっていた。
 多少休憩をはさんだとはいえ一日歩き続けるのは思った以上に辛く、体中が悲鳴をあげている。
「うう……運動してないわけじゃないのに~……」
 紅月と、機械など存在しないこの世界の人とでは普段の運動量の差は明白である。疲れ果てた紅月とは対照的に、同じ距離を歩いた二人は全く疲れていないようで、宿を取ったあと紅月を置いて何処かへ出かけて行ったりしていた。
 その際、ガリアは不思議な事を尋ねた。
「紅月、お前なにか武器は使えるか?」
「武器?一応弓が使えるけど……」
「弓だな」
 ところが帰ってきたガリアはよくわからない金属のような物でできた指輪を差し出してきた。てっきり弓を買ってくるものと思いこんでいた紅月は意表を突かれて戸惑った。
「ガリア、これ、何?」
「後で使い方説明するからとりあえず持っとけ」
 その指輪はいま左手の中指に嵌っている。特に飾りや装飾も無いシンプルなデザインである。
「使い方って、指輪で何するんだろう?」
 疑問に思ったが、考えていても答えが出るとは思えない。そのうち教えてくれるというのだし明日に備えて早く寝よう。
 そう思い、ごろりと寝返りを打つ。部屋の外からはかすかなざわめきが聞こえていた。この宿は一階が食堂兼酒場、二階が部屋になっている。ガリアとシリアは一階でまだ飲んでいるはずである。
 目を閉じてくたくたになった体の力を抜く。これだけ疲れているのだからすぐに眠くなるだろう。異世界へと来てしまった不安に悩まされて眠れないなんてことはないはずだ。
 ところが、確かに疲れているのに一向に眠ることができない。それは不安ではなく、神経をちくちくと刺激するような何かが紅月の眠りを妨げている。
 しばらくは寝ようとしていたものの、ちくちくは大きくなるばかり。何度も寝返りを打った挙句に結局寝る事を諦めて起き上がった。
「なんなんだよ、一体……」
 溜息をついて部屋を出る。階段を下りるといくつもの丸テーブルで酔っ払った男たちが楽しげに大声で語らっている。ぐるっと店内を見渡すと、二人は隅にある小さなテーブルで静かに飲み交わしていた。
「何だ、寝たんじゃなかったのか?」
 こちらに気付いたガリアが声をかけてきた。
「うーん、なんだか寝付かれなくって。少し散歩してくるよ」
「外は寒い。その格好で出るなら早めに戻った方がいいぞ。危険はないだろうが、あまり宿から離れないようにな」
 シリアの言葉に頷いて、紅月はドアを開けた。思ったよりも冷たい空気が肌を刺す。
 暗い夜道を照らすのは月の光と家の明かりのみ。まん丸の月が、沢山の星に囲まれて輝いている。ここの月は欠けることが無いのだという。冷ややかな光は太陽と違い、ものを照らすと同時に闇を更に濃いものへと変えていた。
 白い息を吐きながらきょろきょろと辺りを見回した。宿の前にまっすぐ伸びる道の先には濃い闇がわだかまっていて見通す事ができない。紅月は躊躇う事無くその闇の中に足を踏み入れた。
 原因不明のちくちくは徐々に強くなってきている。これはなんだろう?まるで誰かが助けを求めているような。
 家と家の境にある小さな路地の前で足を止める。
「この中だ」
 小さく呟いて狭い中へ進んだ途端、錆びた鉄の匂いが路地に立ち込めているのに気付いた。
「これ、血のにおい……?!」
 ぶに。
 血のにおいに気を取られた紅月は足下に転がるものに気付かず、力一杯それを踏んづけてしまった。
「え?」
 恐る恐る足をどけてそれを確認する。暗がりに慣れてきた目に映ったものは、血まみれ傷だらけの猫だった。
 ……
「ぎゃーーーーーーーっ?!」
 悲鳴を上げて猫を抱き上げる。温かい体はかろうじて呼吸をしていたが、早く何とかしなければ死んでしまうかもしれない。
「紅月、どうした?!」
 おたおたしているところに、悲鳴を聞いて駆けつけてきたのだろうガリアとシリアがやってきた。
「ね、ねねねね猫、猫ふんじゃった!!」
 半泣きになりながら腕に抱いた猫を見せると、二人は揃って驚いた顔をした。
『アレシア?!』
「え、知ってるの?!」
「ああ、スゥの飼ってる猫だ。どうしてこんな所に……?とりあえずシリア、治療を頼む」
「わかった」
 すぐに冷静さを取り戻したシリアがそっとアレシアを受け取る。その様子を見てようやく紅月も気持ちを落ち着つかせることができた。
「紅月は治療を手伝ってやってくれ」
「う、うん。ガリアは?」
「俺はこの辺りを調べてくる」
 そう言うと、あっという間に闇の中へ消えてしまった。
「私たちも行こう」
 歩き出すシリアに遅れないよう、慌てて後を追った。