雨と憂鬱 >> | ||
窓からの明かりは薄暗い。 充電の終わったばかりの携帯を手にとって、履歴の一番上にある見慣れた名前に電話をかける。 「あ、もしもし?」 なんか雨降ってるね、どうしようか。え?うそ、私なんかもう準備し終わっちゃったのに。…うん、うん。そうだよね、雨じゃね、しょうがないよ。うん。じゃあね、また今度。うん、またメールする。うん、そっか、ばいばい。 通話時間、3分57秒。 やっぱり今日は雨が降った。私は、準備どころか布団から出てさえもいなかった。 『雨と憂鬱』 サトシとは付き合い始めて3年になる。知り合ったきっかけがなんだったかなんてもう覚えていない。多分大学の合同サークルか何かだったんじゃないかと思う。 お互い一人暮らしだから、大学は違ったけど毎週のように会っていたし、1年間の遠恋(新幹線に乗れば1時間の距離で遠恋と言っていいかはわからないけれど)期間を経ても、さめるとか、あきるとか、そういう感情は生まれてこなかった。 変わり始めたのは2,3ヶ月前だ。会わなくても寂しくない時間が増えて、気がついたら一緒にいるときのほうが気を遣うようになっていた。一人でいたほうが楽だとお互いが思い始めていた。 雨が降ったらデートは中止。 だからこれはそんなころに二人で決めたルールだ。一緒にいたくないんじゃない、雨が降っているから仕方が無いなんて、子供のいいわけみたいな理由でお互いのことを思い遣ってる。これが今、私たちにとって一番いい距離なのだ。最初はそう思って。 実態はそんなもんじゃない。デートの日を決めるのは天気予報をくまなくチェックしてから、確実に雨の降りそうな日を選ぶようになったし、約束の朝に窓の外がやたらと明るいと意味も無くイライラするようになった。 会いたくないわけじゃない、会いたくないわけじゃないけど、でも。 真剣に国際情勢のことについて議論するテレビの音を聞きながら、手の中の小さな機械に文字を打ち込んでいく。 今日は残念だったね、次は晴れてるといいな。 たったそれだけ。画面の中で封筒が踊りながら空へと吸い込まれていく。返ってくる内容は大体予想がつく。 俺も残念。久しぶりに会いたかったんだけど、天気には勝てない! きっとそんな内容。残念そうに振舞って、でも今から会おうなんて言わない。全て悪いのは雨なのだから、私たちはお互いを傷つけることないように気を使いあう。 何でこんなややこしいことをしているんだろう。一緒にいるのが苦痛なら、さっさと別れてしまえばいいのに。 携帯を枕の下に隠して、私は布団にもぐりこむ。ため息をついたせいか雨が降っているせいか、もやもや重い頭と胸は私を眠りの国へは連れて行ってくれない。 何で別れないのかなんて、簡単な理由だ。私はサトシのことは嫌いじゃない。一緒にいることは苦痛だけれど、嫌いではないのだ、むしろ愛しているとも言っていい。でも、愛してるならどうして共にあることが苦痛なのだろう?答えは関係のない方向に話が飛んでいく国際情勢の議論のように、きっと見つけ出すことなんてできない。私は哲学者なんかじゃない。 物悲しいメロディ、ジムノペティが小さく聞こえてきた。 音源は枕の下、携帯電話。 着信一件 サトシ。 「もしもし?どうしたの?」 寝てた?メールしても返事ないから。あぁ、寝てたかも…どうかしたの?いや、雨上がったから、どうする? 「え?」 自堕落に寝転がっていたベッドから起き上がり窓を開けると、湿気に混じって土の匂いがした。雲はひとつもなくなっていた。日差しが寝起きの目蓋を刺す。いつの間に、と思ってベッドサイドの時計を見ても、一時間もたっていないようだった。 「どうするって?」 会わないんじゃないの?言いかけた言葉を飲み込んだ。 いや、結局晴れたしさ。 サトシは照れくさそうに言った。 最近会ってないから、久しぶりに顔見たい気がして。 「…あ、」 え?何? 「外、見て」 え? 「虹、でてる」 あ。 電池の減った携帯を充電器に戻しながら、私はゆっくりと伸び上がり、洗濯の終わっている服は何があったかと考え始める。 もう何ヶ月か会っていなかったから、少し綺麗な格好をしていきたかった。そういえばこの前買ったシャツがあったはずだと思ってクローゼットを開ける。急がないと待ち合わせの時間に遅れてしまう。 会ったら気を使うだろうけれど、十年ぶりくらいに虹を見たから我慢しよう。 充電中の携帯を手にとって電車の時刻を確認する。そして、ついでにメールボックス。 次のデートは雨が降っても会うことにしない? 画面の中で踊る封筒が、どこか楽しそうに見えてしまったのはきっと虹のせい。 |
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