俺が「上田環」になったのは>>   

 俺の名前が決まった日に、母さんはこう言ったそうだ。
「たまき・・・これからほぼ一生、名前で女性と間違えられ続けるんですね。あだ名は『タマ』か『マキ』で、小学校では『タマキン』などと呼ぶ輩もいるでしょう。かわいそうに」
 わかってんなら別の名前考えてやれよ・・・と言う人がいなかったせいで、俺はその予想と似たような苦労を散々しながら成長した。
 全てを見ていた父さんによると、この名前自体が適当な辞書の適当なページに載っていた適当な字を選んだ結果だったらしい。
 役所の記録によると、この「上田環」という名前は、生まれた当日に決まったことになっている
 ところが俺がこの世に生を受けたのは、公式記録よりも1日か2日前らしい。それから今の誕生日までの間、どこでどうしていたのかは不明だ。
 つまり俺の人生が本当に始まったのは、この世に生まれ落ちた数日後の明け方ということになる。

 俺を最初に見つけたのは、竹本さんだった。
 竹本さんとは、魔法街入り口の門に掛かっている掲示板の付喪神で、俺は彼の足下に段ボール箱に入れられて置き去りにされたのだそうだ。
 竹本さんは焦った。姿を現すことができても、彼の体は幽体。生身の赤ん坊を抱き上げることはできない。
 しかも声を出すことができない(意思の伝達は文字を書いて行う)し、掲示板の半径1メートルの範囲から動くこともできない。
 悪いことに時間は明け方で、外はもちろん魔法街の住人も、まだ起き出していなかった。
 母さんが現われなかったら、俺は彼に看取られて冷たくなっていたかもしれない。

 その日、珍しく早起きをした母さんは、どうしてもコンビニの肉まんが食べたくなったのだそうだ。いつもなら父さんを叩き起こして買いに行かせるところだが、珍しくも自分で買いに行こうという気紛れを起し、外に出た。
 魔法街にはコンビニがないものだから母さんは門に向かい、そこで珍しく姿を現して怪しい動きをする竹本さんを見つけた。
『阿久津さん!!』
 竹本さんが大慌てで掲示板に書き付ける。
「後にして下さい。私は買い物に行くんです」
『それこそ後にしてくださいよ!! 足下!! 赤ちゃんが!!!!』
 母さんは足下に目をやって、蓋の閉まったダンボールを見つけた。
『女の人が、捨てて行って!! さっきまで泣いてたのに!!!』
 竹本さんの剣幕に押されて、渋々箱を開けてみた母さんは、こう言った。
「捨て子ですか。犬や猫ならともかく、人間とは珍しい」
 母さんの生まれた時代を考えれば、大騒ぎするような話ではなかったらしい。しかし竹本さんが作られたのは戦後の話で。
『何を呑気なこと――!!!!!』
「落ち着いて」
 母さんは素っ裸の赤ん坊――つまり俺――を持ち上げて、大慌ての竹本さんを宥めた。
「眠っているだけですよ」
『   は?   』
 俺は、泣きつかれて眠っていたらしい。寒さと空腹のせいで多少弱ってはいたものの、その後も風邪一つ引かなかったと言うから、生まれたての赤ん坊としては驚異的な丈夫さだ。
「この状況で熟睡するとは・・・なかなかですね。拾いましょう」
『そんな基準ですか?』
 こうして母さんは肉まんを諦め、俺は母さんの懐に入れられて、魔法街の門をくぐった。

 父さんは、俺を見るなりこう言ったらしい。
「どこから攫ってきたんだ? 早く返してこい」
 いつ産んだ? と訊かなかった辺り、父さんにしては気が効いている。
 誤解が解けた後も、父さんは俺を魔法街に置くことを渋っていたが、俺が本物の捨て子だと知った後は積極的に裏工作を始めたそうだ。
 実際、戸籍を作る細かい手続きをしてくれたのも父さんなら、非嫡出子として籍に入れたのも父さん。母さんがしてくれたことといえば拾ったことと、漢和辞典を適当に開いて名前を付けたことくらいだ。

 魔法街の住人は他所から逃げ込んだり、噂を聞いてわざわざ移り住んできたりするものが大半だから、赤ん坊はツチノコ(古)より珍しい。
 わざわざ見物に来た皆は、口を揃えてこう言ったらしい。こいつは大物になる、と。
「あんたら二人に挟まれて笑っている時点で、大物確定」
 とは、食堂の熊さんが言った台詞らしい。

 大物かどうかはさておき、こんな経緯で俺は上田靖臣と阿久津縁夫妻(夫夫?)の子供になったわけだ。