殿様とわたし トノサマトワタシ>> | ||
「何でだよ――!!!?」 漁火が吼えている。 「うるせえ」 穣雲はとりあえず、漁火の尻尾を踏ん付けて黙らせた。 この騒ぎの始まりは、1月前にさかのぼる。 環が家に帰って(帰されて)からこちら、漁火の様子はおかしかった。 普段から充分おかしいという説もあるが、それに輪をかけておかしかった。何しろ、隙あらば漁火に実績を積ませて神格を上げさせようとしている天道(太陽神)が「少し休め」と言い出すくらいである。 そんなわけでついに我慢の限界に達した綾緒が、実に半日にも及ぶ小言の末に「そんなに気になるなら会いに行けばいいでしょー!?」と怒鳴りつけた時、漁火は始めて気がついたような顔をして「それだ!」と叫んだ。 それを聞いた穣雲はとっさに殴り倒してやろうとしたのだが、相手をここに留められないなら自分が会いに行けば良いという事実にようやく気がついた大馬鹿者は嬉々として行ってしまったため、空振りした。 ところが、今度は門が開かない。 前の手順をなぞれば良いのだから簡単だと思っていたのだが、同じ条件で同じ儀式を行っているにも拘らず、弾かれる(漁火は『透明な壁が張っているようだ』と表現した)。 そして漁火は、2回目の今日も失敗したというわけである。 前に開けた門の痕跡も薄れてきて、綾緒が渡しておいた漁火の鱗がむこうに無かったら、本格的に見失っていたところだ。 「諦めりゃいいだろうに」 「死んでも嫌だ」 多分拒否されるだろうな、と思った提案は、想像以上にきっぱりと却下された。 「っつーかお前、あいつには『二度と来るな』っつったろ?」 「そこまで言ってない」 「つもりがなかろ~が、言ってんだよ、ボケ」 そんなつもりがなかったことは、その場にいた穣雲も知っている。『二度と来るな』ではなくて『安全な場所にいてくれ』と言いたかったということも知っているが、環はそう思っていないだろう。 話を聞いた限りでは環の住んでいた世界(特に彼の住む地域)と奥祇の危険度はさして変わらないようだが・・・むこうには彼の両親だっているから問題はない。 「あいつは親元に帰ったんだから、お前が心配する筋合はねえな?」 「それでもさあ・・・気になって、心配で、落ち着かないんだよ」 「余計な世話っつーんだぞソレ」 「だって、会いたいんだ。顔が見たいし、会えないと思うと胸の辺が痛くて仕方ない。それだけじゃ悪いのか?」 「や、悪くねえけどよ」 頭痛がしてきた。こめかみの辺りを揉み解してみるが、効果はない。 「お前さあ、その症状がどういうモンか知ってっか?」 「・・・心臓病?」 「お前は、本当にアホだなあ」 しみじみと呟く穣雲。それを無視して再び穴あけ工事に戻る漁火の尻尾から鱗を2、3枚引っこ抜いて社に戻ると、綾緒が微妙な表情で待っていた。恐らくは、自分も似たような表情になっているだろう。 「綾緒・・・ありゃあ、もう駄目だ」 「そうみたいね」 彼女は穣雲より先に諦めが付いていたようで、こっくりと頷いた。 そう言えば、環を奥祇に留めたいと最初に言い出したのは綾緒で、それが駄目ならまた遊びに来させようと言ったのも綾緒である。環に目印をつけておいたことと言い、漁火が彼女に作った借りが総計で幾らくらいになるのか、想像もつかない。 「黙って座ってれば有難~い神様だってのに、何でああなるんだか」 「男なんて、みんなあんなもんでしょ?」 自分の嫁にこんなことを言いながら溜息を吐かれ、思わず過去(それは今からざっと三十年ばかり前のことだった)を振り返ってしまう。 「・・・俺もそうだったか?」 「さあね? 忘れちゃったあ」 思わず問いかけると、綾緒は軽く目を見張ってから笑い転げて、穣雲はなんだかどうでも良い気分になる。 数ヵ月後に、漁火が言った。 「俺さあ、環に惚れてるみたいだ・・・」 「そりゃ良かったな」 そんなことは先刻承知の蛙は今更すぎる告白をシカトして、これまで引っこ抜いた髪の毛や鱗で形代を作り始めた。 下手をすると1月以上帰ってこなくなるかもしれないのだ。守護精霊がいない間に領土を荒らすようなことがあったら、今度こそこの辺り一帯は滅茶苦茶になってしまう。そうなったら、自分と綾緒は棲家を無くすことになるのだ。 それだけではない。環は悲しむだろうし、太陽神が怒るだろう。とにかく、面倒臭い事になるのだけは間違いない。 基本的に人の好い穣雲は、ぶつぶつ言いながらも仕事に励むことにした。 漁火の執念が通じて門が開く、二月ばかり前の話である。 END |
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