くまさんのたいせつなもの>>   

「熊さん、名前は何て言うんですか?」
「うん? 俺は熊だぞ?」
「いや、種族じゃなくて名前」
「だから俺は熊だって」
「そうじゃなくて」
「あのさ、ユカちゃん」
「何だよ委員長」
「熊さんの名前は、「熊」って言うんだよ?」
「はああ?」

 魔法街に住んでいる連中は、人間社会と無縁の環境で暮していた者が大半だ。
 人間の習慣がないから名前を付ける時も適当で、余程の凝り性か人間暮らしの経験者でもない限り、大雑把に種族名か仕事に関連した呼び名を名乗っている。
 だから彼は、「レストランの熊さん」なのだ。
「いや、流石に安直過ぎるのはわかってるぞ? けど、阿久津さんに付けて貰った時は『クマ』がバールのことだなんて知らなかったんだよなあ」
『バール』とは、ネパール語で言うところの熊である。
 20年くらい前に密輸品として日本にやってきた熊さんは、月の輪熊の最大種・ヒマラヤツキノワグマ(又はヒマラヤグマ)だ。よく誤解されるのだが、北海道には行ったことがない。

 食料品店を営むイエネズミの野ノ原一家は、冬になると大量の白菜を仕入れる。
 柚子やカボス、レモンといった柑橘類も。
 豆腐、白滝、葱なんかも良く売れるから多めに。
 レストランの熊さんが、冬籠りを始めるからだ。
 自炊のできない面々はこぞってレトルトか、切って煮るだけの鍋か、料理ができる知人に助けを求める。弁当売りやお惣菜の交換もこの季節の風物詩だ。
 レストランの閉店時期は毎年、近所中に響き渡る大声によって知らされる。

「兄者―!! ただいまっ!」

 飛び込むように入ってきたのは、二十代前半くらいの青年だった。どことなく愛嬌のある顔立ちで、男にしては長い髪の毛を後頭部でポニーテールにまとめている。
 レストランのお客たちはそれぞれ『ああ、今年もそんな時期だなあ』などと考えつつ、さり気なく退出して行ったが、今年初めて魔法街にやってきた伊藤紫はそんな恒例行事を知らず、取り残される形になった。
「・・・」
 何となくタイミングを外したせいで立ち上がれない紫を、青年が睨む。
「こいつ、何?」
 本人に言えばいいものを、わざわざ熊さんに訊ねる辺り、敵愾心だけはストレートに伝わってくる。ある意味で正直なのかもしれないが、睨まれる心当たりは欠片もない。
 熊さんが慌てず騒がず「環の友達だぞ」と答えると少しだけ和らいだが、友好的になるつもりはないらしい。
 例えるなら、縄張りを侵された野生動物のような視線で紫を眺め回した青年は、ふいに視線を外すと、熊さんの首に両腕を回した。彼も背が高いが熊さんがそれ以上に大きいせいで、しがみつくような格好である。
 甘えるように体を擦り寄せるなり、唇が重なる・・・結構、深い。
 たっぷり10秒以上キスを続けた後でようやく離れたが、熊さんに抱きついた体勢は全く変化なし。
 熊さんは熊さんで、「こらこら」と窘めるような台詞を言っているが、片手で青年の髪を撫でつつ、もう片方の手を腰に回した体勢ではあまり説得力がなかった。
「あ、紫ちゃん。俺たち春まで冬籠りだから。皆に伝えてくれな」
「・・・はあ。わかりました」

 何故俺が、睨まれないといけないんだ?
 何故、キスシーンを見せられないといけないんだ?
 ・・・そして何故、勝ち誇ったような笑顔を向けられないといけないんだ?
 混乱する紫を他所に、レストランは冬季休業に入った。

「ああ、タカが帰ってきたんだね」
 話を聞いた上田環がこう言ったので、紫はようやく彼の名前を知った。
「熊さんの弟分って言うか、家族兼恋人?」
 やっぱりか。
「料理修行で世界中飛び回ってるんだけど、冬になると戻ってくるんだ。で、春になるとレストランに新メニューが」
 早く教えてほしかった・・・そう思うのは、身勝手なのだろうか。
「嫉妬深くて人見知りするから、初対面だと態度が悪いんだよね。嫌な思いしなかった?」
「・・・・・・別に」
「気い遣わなくても良いよ。何かやったでしょ?」
 言いたい放題だが、嫌な言い方ではない。むしろ微笑ましげだ。
「大目に見てやって。あれでも、俺たちより年下だから。確か13・・・15だっけ?」
「いや、知らないけど。どう見ても20代・・・」
「やだなあ。そんなこと言ったら賢太郎は3歳児だし、紺なんか赤ん坊だよ?」
 人間に化けると高校生と小学生くらいに見える犬と狐の名前を出されれば、全くその通りだった。

 タカは元が普通の動物で、何かの拍子にたまたま妖怪化したケースである。退治されかけた彼を助けたのが魔法街の関係者であった為に、連れてこられた。
「え、俺が面倒みるのか?」
「そなたの同族であろうが。これ童、今日からこれがお前の兄じゃ。むさ苦しいのは我慢おし」
「あにじゃー?」
「兄じゃ」
「・・・俺の意見は?」
 熊さんは思った。
 何だろうなあ、コイツ。
 体付きは確かに同族らしいけどポチャポチャしてるし、何だか白黒だし、笹食ってるし・・・(それはうちの七夕飾りなんだが)
 まあ、何とかなるか。
 こうして幼いジャイアントパンダは、熊さんの弟分として魔法街で暮すようになった。

 それがどうして、いつの間に恋仲になったのかは謎だが、熊さんにべったりなのは最初からなので誰も気にしない。
 数年前に「世界の料理を極めてくる」と言って出て行ってからも、冬籠りの季節には魔法街に帰ってくる(※パンダは冬眠しない)。
「タカは本当に熊さんが大好きってだけだから。あ、士郎さんと付き合ってるとか言っとけば、大人しくなると思うよ?」
 ちなみに環はタカが来た時はもう魔法街にいたのだが、その頃は3歳か4歳だったから睨まれたことはないらしい。
「人の恋路を邪魔するものは、ってね」
 ちなみに魔法街では本当に暴れ馬が出現しかねないので、要注意である。
「それに熊さんだってさあ・・・」
 魔法街の住人は大半が人間社会と無縁なせいで、名前は結構適当だ。
 ちゃんとした名前を持っているのは相当の凝り性か、人間社会の経験があるか、誰かに付けて貰ったか。
 魔法街では「熊の弟」そうでなければ「熊2号」もしくは「パンダ」と呼ばれていたタカが1人立ちする時、熊さんが付けた名前は、正式には『タカラ』という。

「熊さんの大事な『宝物』ってこと。安直なのは言い訳できないけど」
「委員長・・・綺麗に終わらせてやれよ」
 そんなことを言われているとは露知らず、冬籠り中の熊たちは幸せを満喫している。
 そして魔法街にも、冬がやってくるのだ。


※ネパール語の『熊』の発音はネパール語辞典で調べましたが、「バル」か「バルー」かもしれません。念のため。