人間ってヤツは逞しいもので>>   

 阿久津の予想通り、日付が変わる少し前に動きがあった。
 静まり返った魔法街の空に、ひらひらと舞い込んだ蝙蝠。それは見る見るうちに数を増やし、ついには空を覆いつくすほどの大群になった。
 それが一斉に降下しようとしたその瞬間、それまで灯りを落として静まり返っていた魔法街は先手を打つように動き出した。

 足下を照らすようにぼんやりと灯っていた街灯がサーチライト並の光を全方位に投げかけると、物陰や建物に潜んでいた面々が一斉にとび出す。
 その先頭に立って駆け回るのは、見た目だけなら普通の人間のようだった。
 いや、現在では本当にただの人間のはずだが、肉体的に普通だからと言って身につけた技術まで失われるものではない。更にやり場のない憤りを腹に溜め込んでいる彼は、親しい者でもちょっと後退りしたいような危険物と化している。
 投げつけられた怪しげな札は空中で炎を撒き散らし、あるいは巨大な猛禽類と化して蝙蝠を屠っていく。
 懐まで入り込んだものには、台所から持ち出したらしき出刃包丁が振るわれた。
 攻めて来たのは向こうの勝手だが、今の里山士郎に鉢合わせるのは少し哀れだ。
「俺、いなくても良かったかもなあ・・・」
 本性の熊さんは頭を掻きつつ、もはやどっちが魔物かわからない勢いで暴れている士郎の後片付けと、取りこぼしの掃討を開始した。
 今の士郎に近寄りたくない他の連中も、熊さんに続く。
 士郎がいくら強くても、体が1つしかない以上魔法街全域をカバーするのは不可能だ。
 ・・・多分、そうだと思う。いや、思わせてもらいたい。
 別に暴力沙汰が好きなわけではないが、熊さんにも猛獣としてのプライドがあるのだった。

「・・・嘘だろぉ・・・・・・!?」
 カーテンの隙間から外を覗き見ていた紺は、それ以外に言葉が出てこなかった。
 三軒長屋の環の家は、南と西に窓がある。魔法街には高い建物が少ないので、かなり広い範囲で外を見渡す事ができた。
 いまだにドンヨリした空気を背負って部屋の隅に固まっている環と賢太郎は何も言わないので、紺は1人で『ありえない』『嘘だ』と繰り返す。
 それでも窓の外で豪快に殲滅作戦実行中の化け物は、間違いなく現実だった。
「よっす」「こんにち・・・こんばんは?」
 化け物の弟が、恋人連れでやってきた。
 夜逃げでもするのかとききたくなるような荷物を抱えているが、その中でも一際目を引くのは・・・
「・・・なんで水鉄砲?」
「言いたいことはわかるけどな。ここは『何しに来た』とか『放っておいてくれ』とか言う場面じゃないのか?」
 言えるものならそちらを言いたかったが、目の前にぶら下がった賑やかな色合いの玩具(そこいらの店で見付かるものよりずっと大きい)が全てをぶち壊す。
 圭士は環と賢太郎の方にも手を振って(振られた方は揃ってシカトしていたが)窓に歩み寄るなり、カーテンを全開にした。
「お、おい! 何してんだよ!?」
「まあ、見てろって。最近のオモチャはマジ性能いいぞ?」
 射程距離10メートル、タンク容量は・・・などと訊いてもいない解説をしつつ、気楽な調子で窓を開けるなり水鉄砲を撃つ。
 グォギャアァアア!
 かなり近くから聞こえたのは獣じみた悲鳴と、続いて何か重量のある物が落ちる音。
「!?」
「ヴァンパイアって確かにメチャクチャ強いけど、弱点も多いんだ。ちなみに、これは聖水な」
 ヴァンパイアを見事に撃退した本人は、別に大した事をしたつもりはないらしい。
「例外は阿久津さんくらいじゃないか? あの人は真祖の先祖がえりだとかで、元々致命傷になるような弱点がない」
 喋っている間も(さりげなくとんでもない事を暴露された気がするが)圭士の手は動いており、次々とヴァンパイアたちを撃ち落していく。手にした水鉄砲が空になると後ろの春麻が新しいものを渡し、空になった方に水を詰めた。
 幾らもしないうちに空中の敵は一掃され、窓の下では水浸しのヴァンパイアがのた打ち回る。駆けつけた熊さんが、ゴミをかき集めるような調子でそいつらをまとめていた。

 窓から見える範囲があらかた片付いたところで一旦窓を閉めた圭士は、勝手に戸棚をあさって茶を淹れる。さらにテーブルの上に置き去りにされたケーキを見つけて「俺らも食べていいか?」ときいてきた。
「・・・・・・・・・どーぞ」
「どーも」
「ご馳走になりまーす」
 しばらく平和なお茶の時間になったのだが。
「で、環と賢太郎はどこ行った?」
「え? そこにいるだろ?」
 唐突に不思議な質問をされて、こちらを向いて首を傾げている環と健太郎を指差す。
「ほら、そこに・・・」
「ふーん」
 圭士は脇においてあった水鉄砲を持ち上げて、発射する。
「あ・・・!!」
 ぽんとはぜるような音と共にあったはずの姿が消え、後には小石が2つ転がった。『たまき』『けんたろう』と墨書きした文字が、少しかすれている。
「な、け、圭士、どうしてわかったんだよ!?」
「どうしてと言われても」
 圭士は言葉を選ぶように「ん〜」と唸った後、「命かかってるからなあ」と笑った。
「人間ってのは、人間同士の小競り合いでも余裕で死ねるか弱い生き物なわけだ。ここ(魔法街)じゃあ、1回の判断ミスで死にかねないだろ? 勘も磨かれるわけで」
「だったら・・・なんでこんなとこ(魔法街)に住んでるんだよ」
「春麻がいるからだけど?」
「ちょっと圭ちゃん!」
 何を当たり前のことを・・・といった調子で応じた圭士と、赤くなって圭士の肩口をぺちぺちと叩く春麻を見比べて、紺は不用意な発言を後悔した。
「まあ紺が新しい幻系の技を覚えたって話も聞いてたし、他のみんなには多分ばれないから、自信をなくすなよ」
 よけいな世話である。
「で、結局どこに行ったんだよあいつら」
「ゆ・・・紫さがしに・・・・・・」
 誤魔化そうとする気力は、既に根こそぎ奪われていた。
「へー、ようやく反抗期か」
 圭士はしみじみとした調子で全てを片付けた。
「あらまあ」
 春麻は1つ瞬きをして見せたが、それで終わりにしてしまった。
 第2陣がそこまで来ていたので、それ以上時間がかけられなかった、というのが正しいかもしれない。

「あんまり来るなよなあ〜・・・こっちだって趣味でやってるわけじゃないんだから」
 うんざりした調子だが、手加減をする気はないらしい。圭士の銃口(水鉄砲)は容赦なく標的に向けられた。
 春麻はその背中を頼もしそうに見つめている。
 ・・・2人揃って、環と賢太郎は放っておくつもりらしい。
「・・・とめないのかよ?」
「あら、どうやって?」
「俺たち、ここから1歩出たら命が危険な弱者だぞ?」
 こいつに言われると、この上なく胡散臭い。
「嘘じゃないって。熊さん辺りにデコピンされたら死ぬって」
 それはそうだろうが、普通の弱者は襲撃されている現場で平然とケーキを食べたりはしないだろう。
 吸血鬼を水鉄砲で狙撃したりもしないんじゃないかと思う。
 化け物の弟はやっぱり化け物だった。
 ・・・『弱さ』って・・・『強さ』って、何だろう。
 力欲しさに人を襲った過去のある仔狐は、つい考え込んでしまった。

「こらこら、暇なら手伝ってくれよ」
「そうそう。いつまでも難しい顔してないで。はい、どうぞ」
 手渡されたのは先端に小さなカプセルがついたダーツのような形をしていたが。
「ニンニク?」
 かなり濃縮されているようで、ただ持っているだけでもイヌ科の鼻にはきつい。
「臭いの嫌? 十字架もあるけど」
 そういう問題ではない。
「これが効かないような強い奴は兄さんがシメてるはずだから、遠慮なくやっちまえ」
「・・・うん」
「あ、それと身代わりの新しいやつ作っとけよ? 誰か覗きに来るかもしれないし」
「わかってるよ!」
 紺は濃縮ニンニクを幾つか、渾身の力で窓の外に投げた。
 何かに当たらないと、やってられない気分だったのだ。