半人前は高望みをしがちだ>>   

「・・・深夜の住宅街のはずだったんだけどね。なにこれ、どこのサファリパーク?」
 こいつにも目眩ましがかけてあるらしい。環がその存在に気付いたのは数メートルまで距離を詰められた後だった。
 現在は一定の距離を保っているが、きっかけがあればいつでも飛び掛ってきそうな雰囲気である。
「若君・・・」
「走らない。多分、まだ様子見だから」
 見張りの存在くらいは覚悟していたが。
「蝙蝠じゃないのが予想外かなあ」
 まあ、古来より吸血鬼のパシリといったら蝙蝠とアレに決まっている。
 アレ対策も一応は考えてあるのだが、さてうまくいくかどうか。
 賢太郎に簡単な作戦を説明し、適当な角を曲がる。
 すかさず取り出したのは、化粧品などを入れる小型のスプレー2つ。どちらも春麻と圭士の自信作で、効果のほどは保証つきだ。
 まず、左手に持っているほうを、自分と賢太郎に振り掛ける。

 先を歩いていた獲物の臭いが急に薄くなって、消えた。
 追跡者は驚いて後を追い・・・角を曲がった拍子に、自分の5倍以上ありそうな土佐犬の頭突きを正面から喰らった。

 べちゃっと潰れた狼に、環が右手のスプレーをぶちまけた。
 左は『警察犬も騙せる』が謳い文句の臭い消しだが、こちらはニンニクの臭気と唐辛子の刺激をベースに、謎の材料を混ぜ合わせた『痴漢・魔物撃退スプレー』である。生身の人間にとってもちょっとした兵器で、まして嗅覚が発達した動物なら効果抜群。
 本性を現した賢太郎が環を銜えて、悲鳴を上げて転げまわる狼の横をすり抜けた。
 そのまま駆け抜けようとしたが、横から新手に飛びかかられて体勢を崩した。体重差のおかげで倒れ込みこそしなかったが、環を放してしまう。
 放り出された環は、地面に転がった。
 いつの間にか周囲は、10頭以上の狼に取り囲まれている。
 そう言えば、狼は群で行動するものだったな・・・などと冷静に考えている余裕はもちろん無かったわけで。
「賢っ! 止まるな!! 逃げろ!」
 しかし、賢太郎は立ち止まった。彼の性格からして当然の行動かもしれないが、今だけは洒落にならない。
 狼たちが、無防備になった賢太郎めがけて跳躍したその瞬間、

 ・・・空間が歪む気配がした。

 上空にぽっかりとあいた穴・・・空間と空間を繋ぐ『門』から、巨大な蛇の尻尾が出現し、狼をまとめて薙ぎ払った。
 続いてやはり巨大な頭が現れ、逃げようとした狼を捕まえる。そのまま呑みこもうとして、口に合わなかったらしい。適当に開いた門に『ぺっ』と吐き出した。(環は、その行く先がゴミの埋立処分場であることを確認した)
 そして環と賢太郎の前に、赤い大蛇が下りてくる。
「い・・・イサ・・・」
「い、さりび・・・どの・・・・・・」
「2人揃って・・・何してるんだよ?」
 大蛇・・・漁火は、かなり不機嫌そうだった。
「何があったか・・・聞いてるんだよね?」
「圭士から聞いた」
 肯く大蛇の頭を見上げながら、幾つかの手段を脳内でシミュレートする。
 逃走・・・・・・漁火の方が速い。追跡を振り切るのは不可能。
 抵抗・・・・・・体力的に無理。漁火は人間型でも綱引きでトラックに勝てる。
 其他・・・・・・思いつかない。
 結論。絶対に逃げられない。



「イサごめん! 謝るから! ごめんなさい!! 頼むから見逃して!!」
「武士の情けでござる! お許し下されっ! どうか、どうか!!」
「・・・なんか、誤解があるみたいだなあ」
 いきなり2人がかりで縋りつかれて漁火は呆気にとられ、次に憮然とした。
 環の顔が見たくなって、魔法街に顔を出したのはついさっきのことだ。
 まず、初めて見る修羅場に驚いた。しかも環の家に陣取っていた圭士と春麻が、『環なら賢太郎を連れて出て行った』などと告げたものだから、環らしいと呆れると同時に『また』何かあったらどうしようと恐怖した。
 あてにならない保護者たちに恨み言のひとつも言いたかったのだが、その時間も惜しんで追ってきたというのに、この扱い。
「俺は、環の味方だよ?」
 揃って首を傾げる環と健太郎に、深い溜息を1つ。
「どっちかって言えば、魔法街はどうでもいいし」
 基本的に漁火の世界は自分を中心に回っていて、環がいれば自分と環を中心に回っている。
 魔法街がどれ程のものか知らないが、漁火にとっては所詮『環のオプション』で、世界の中心とは比較にならない。魔法街の意見と環の意見が食い違っている場合、どちらに味方するかなんて決まっているのだが。
「もしかして・・・手伝ってくれる、とか?」
 肝心の世界の中心はこの調子で、まるでわかっていない。
「そのために来たんだけどなあ」
 ・・・と言うより、最初から漁火の協力を求めていれば話はもっと簡単だったのだが、その辺りは指摘しないことにした。
「あ・・・有難う」
「かたじけないでござる・・・」
 まだ信じ切れていないようなボケっとした表情で、礼を言われた。正直、あんまり嬉しくない。
「ごめん。イサ」
「は?」
 しかも、何故か謝られた。環は俯いているし、賢太郎は尻尾をだらんとさせている(耳はもともと垂れているので、見分けがつかない)
「俺が、もうちょっと強ければね・・・」
 珍しく環の口から零れた泣き言で、漁火にもようやく2人が悔しがっているのがわかった。
 彼ら(多分、紺が一緒でも大差ない)にとっては命がけの冒険でも、漁火が出てくれば尻尾の一振りで片がつくのだから、『俺らって何なんだろう・・・』という気分になるのもしかたない。
 しかし漁火には別の意見もあって。
「環に俺と同じくらい腕力があったら、手に負えない気がするんだけど」
「・・・・・・(コクコク)」
 実感のこもった台詞に大真面目に頷いたのは、何故か賢太郎だった。
 ・・・気を取り直して。
「で、どこに行きたい?」
「「ユカちゃん(紫殿)の所に!」」
 一秒でも早く! という勢いで答えた2人のために、漁火は門を開いてやった。