強情の月 ゴウジョウノツキ >>   

 家に帰って以来、満月が嫌いになった。変に期待するのも虚しいので、最近は雨戸を閉め切って引きこもりになる。
 誰だ、一時の気の迷いは家に帰ったら忘れるって言ったの。
 ・・・俺だった。
 その日もさっさと部屋に閉じこもっていたのだが、なんだか外が騒がしい。
「いつものことか」
 魔法街だし。
 ところが、表の入口が物凄い勢いで叩かれる。
「環――!!!」  「マキちゃああああん!!」
 圭ちゃんと春麻ちゃんの声。
「窓開けろ―!」  「早く!!」
 渋々と窓を開けると、2人は何だか慌てた様子で、背後を気にしている。
「何?」
「それはこっちの台詞だ! お前、アレは何だ!?」
「は・・・?」
「だから・・・うわっ! 来た!!」
「あ、後はよろしく――!!」
 結局返答はもらえず、2人は隣家に駆け込んでいく。
 窓から覗くと、こちらに突進してくる巨大な蛇と目が合った。
「環!! ・・・ぎゃっ!!」
 窓から首を突っ込もうとして、鼻先を窓枠にぶつける。
 本物だ。
「漁火・・・?」
「やっと見つけた!!」
 今度は慎重に首を差し込んだ漁火が、人間の姿を取る。
「な・・・何しに来たの?」
「いや、環にどうしても言いたいことがあって」
 漁火は妙に緊張した顔で、俺の手を握った。
「俺は、環が好きだ」
 ・・・・・・・・・。
「えーと、つまり雌に好意を持つのと同じ方向で」
 ・・・・・・・・・。
 今更言うまでもないが、あえて言おう。俺は暴力沙汰が苦手だ。
 そんな俺が躊躇なく漁火の顎に右アッパーを叩き込んだのは、それなりに理由があってのことだと理解していただきたい。
 漁火といると、知りたくもなかった新たな自分を発見してばっかりだ。
「・・・やっぱり、嫌か」
 どんな理解をしたのか、納得したような顔をしている奴の首を掴み、とりあえず締めてみる。俺の握力ではびくともしないのが残念だ。
「なにを勝手に言い捨てた挙句、1人で結論出してるのかな、漁火は」
 しかも、『やっぱり』と来たもんだ。
「つまりアンタは、俺がアンタを好きだってことも、二度と会えないと思ってもの凄く落ち込んだことも、何も気付かないで、半年も経ってから、家の近所を真夜中に大騒ぎで這い回った挙句、俺の家に窓からもぐり込んで、俺が好きだとかほざいているわけだ?」
 ノンブレスで問い詰めてやると、漁火はびっくりした顔で首をかしげた。
「環・・・俺のこと、好きなのか?」
 ・・・そこに注目するのか。
 どうしてくれよう、このポジティブシンキング。間違っていないだけに腹立たしい。
「好きだよ? 綾緒さんと穣雲は気がついてたけどね」
 あ、落ち込んでる。
 明後日の方に意識を飛ばしていた彼は、数秒かけてようやく回線をつないだらしい。
「じゃあ、俺の番いになってくれるのか!?」
 つがい・・・2つ組み合わせて1組となるもの。対。特に雌と雄 by岩●国語辞典
 ・・・翻訳すると「お付き合いしましょう」ってこと?(雌じゃないけど)
「良いけど・・・漁火?」
 いつの間にやら、漁火の両腕が俺の背中と腰に回っている。顔が近い。
 ・・・で、何故に獲物を狙う捕食者の顔?
 ・・・・・・まさか、繁殖期の雄の顔!?
「環〜v」
「ちょ、ちょっと待・・・」
「おい、そこの変質者。人の息子に何してる」
 あんまり嬉しくない急展開にストップをかけてくれたのは、隣近所一帯においてこんな時最も頼りになる人だった。
「よう、取り込み中だったから、勝手に鍵開けて入ったぞ?」
 家主の許可なく鍵を開ける行為は俗に『犯罪』と呼ばれるが、今だけは助かった。
 変質者呼ばわりされた漁火は、俺にくっついたまま首をかしげている。
「ヘンシツシャ? 俺?」
「そういう格好で人に抱きつくと、そう呼ばれるんだ。もしくは露出狂。覚えとけ」
「「ああ、そう言えば」」
 漁火は今、素っ裸だ(服ごと変身できないのだからどうしようもない)。寝る仕度にかかっていた俺はパジャマである。
 片や全裸で片や寝巻き。確かに外聞のいい格好じゃなかった。
「いや、このヒト蛇だから」
「そりゃそうだが、人間の格好するならパンツくらい履かせるように」
 ・・・これで済ませてくれる親って、とても有難いモノかもしれない。
 漁火の図体に合う服が俺の家にあるわけないので、バスタオルを渡して腰に巻かせておく。魔法街にも規格外に大柄なヒト(元が熊だとか杉の木だとか)はいるし、朝になれば誰かの服を借りられるはずだ。
「しかし紛らわしいな。父ちゃんはてっきり、真っ最中なのかと思ったぞ」
「いきなり雪崩れ込むわけないだろ!」
 隣の漁火が、やけに残念そうに「え〜」とか言っている気がするが、気のせいだ。
 気のせいであってほしい。
 父さんは俺の抗議を聞き流し、下ネタ発言とまったく変わらない調子で「それじゃあ頑張れ」と続けた。
「そっちの彼氏が這い回って壊した公共物の修理、ついでに紫が大蛇と遭遇したショックで気絶して、春麻が記憶を曖昧にする薬を作ってるからその手伝い。どっちから始めてもいいぞ」
「・・・父さんは、手伝ってくれたりしないんだ?」
「父ちゃんは大穴が開いた結界の修復と、母ちゃんを誤魔化して家に押し込めておくので忙しい。なんならどっちか手伝ってくれても構わないが」
「それじゃ父さん、頑張ってね」
 これだけ騒いでいるのに、母さんが出てこないわけだ。少なくとも明日の朝まで、平穏は保たれるらしい。
 父さん、俺は今、心の底から貴方の息子でよかったと思う。
 それでも今夜中に片付けなければならない手伝いが減るわけじゃないから適当に服を着て外に出ると、腰タオルの漁火もくっついて来た。
「・・・・・・手伝ってくれるの?」
「うん」
 当たり前のような顔をして頷いた男は、当たり前のような顔をして腕を回してくる。
「持ち上げてくれなくていいから」
「足は?」
 ・・・・・・半年も前の捻挫が、まだ治ってないわけがない。
 本当にボケているのか、それとも確信犯なのか・・・かなりの確立で前者の気がするけど、漁火は降ろしてくれなかった。

 さてその晩に漁火が轢き潰した物は、郵便ポスト、看板、澤田さん家の自転車、翌日回収の不燃ごみを含む57点。でも、一番面倒くさかったのは薬を調合する春麻ちゃんのサポート。ようやく寝床に入れたのは午前5時を回った辺りだった。
 材料を切らしていた霊薬を1晩で調合しなくちゃならなかった春麻ちゃんと圭ちゃんもフラフラで、元気だったのは人外体力の漁火だけだったなあ。
『ああ、それは朝まで放してくれなかったこのヒトのせい』
 俺は少し捻じ曲げて話しただけで、嘘は言ってない。
 正確には、朝まで手が放せない用事を作り出してくれたこのヒトと、数時間分の余計な作業を上乗せしてくれた君のせいなんだ。
 よりにもよって君が、しかもあのタイミングで、漁火と鉢合わせさえしなかったら、俺の睡眠時間は3時間以上延びたはずなんだから。
 だから、この程度の嫌がらせは許されてしかるべきだよね? ねえ、ユカちゃん。

 つまりこれが、俺と漁火の始まりだったというわけ。