犬も喰わぬと言われるものを あえて喰い付く味音痴>>   

 実を言うと、環と漁火を眺めていたのは紫だけではなかった。(公園は公共の場所であるからして、道行く人々(?)の目に留まるのは当然なのだが)
 忘れてはいけない。公園と隣接する三軒長屋には、環の親が店を出している。
 その日、上田環の両親は、揃って三軒長屋の上田生花店にいたのである。

「仲良くしているようで・・・」
 微笑ましく見守る(デバガメと言えないこともない)母親の横で、父親が嫌そうな顔になった。
「気に入りませんか? お父さんは」
「お前がそこまで気に入る理由がわからん」
 からかいを含んだ問い掛けに、上田は憮然と眉を寄せた。
「あいつは妖怪だよな?」
「本人(蛇)は精霊だと言っていますが」
「同じだ。環は人間だろうが」
「今更それを言いますか?」
 20年近い時間を魔法街ですごし、最近は異世界にも出入りしている息子を捕まえてそんな風に言うのは、上田靖臣ただ1人である。
「紫(普通人)って友達も出来たことだし・・・そろそろ外(人間社会)に戻す頃合かと思ってたら・・・」
「まだ諦めていなかったんですね」
 
 環が赤ん坊だった時から、飽きるほど話し合ってきた問題だが、結論は未だに出ていない。
 理由は簡単。両者がどちらも自説を譲ろうとしないせいだ。
「自分を押し隠して、他人に溶け込んで生きる事が幸せですか? 人間は異端に敏感です。生物として当然の本能ですから、責めようとは思いませんが」
 行き過ぎれば謂れの無い差別や迫害に繋がるが、生存戦略の視点で見れば自分の仲間とその他の区別は大切だ。
 だからと言って阿久津には、自分の息子が『区別』の対象になるのを当然と受け入れる気はない。
「あえて排斥される側に回る必要はないでしょう? 他者とのかかわりが必要だというなら、何も人間社会(あちら)に限定することはないはずです」
 実際、『あちら』に感知されていないだけで、『こちら』の世界は結構広い。
 ずいぶん前に里山圭士が考えた屁理屈を応用する相方に、上田は胡乱な視線を向けた。
「お前さ」
「何ですか」
「要は、手放したくないだけなんだな?」
 可愛くて、大切で、自分の手の届かない所に行ってしまうなんて考えたくもない。
 つまりそういう事なんだろう。
「子供かお前は」
「・・・・・・」
 それは、見事に正解を言い当てていた。
 そして図星を突かれた手合いは、大概逆上するものである。

 そして魔法街に、警報のサイレンが鳴り響く。

『皆さんこんにちは・・・何て言うか、ごめんなさい』
 いつも事務的に門予報や危険を伝える、上田環の声。何故だか今日はとても沈痛な雰囲気だ。
『・・・危険ランクSが発生しました。速やかに魔法街の外、もしくは里山薬局まで避難してください。繰り返します。危険ランクSが発生しました・・・』
 紫はまだ外にいたのだが、奇妙な放送に首を傾げたところを物凄い勢いで走ってきた士郎に引っ掴まれて里山薬局に連れ込まれた。
「出るな」
「はい・・・」
 危険ランクがC以上の時、戦闘能力を持たない者が外に出るのは自殺行為だ。
「・・・Sって?」
 環に聞いた話では、魔法街の危険ランクはE(あまり危険はないが、油断すると怪我をするかもしれない)からA(相当の実力者でも危険がある)まで5段階に分かれる。緊急放送が入るのはCからだ。
 Sというのは初めて聞くし、避難勧告が出るのも初めてだ。尋常ではない雰囲気に戸惑っていると、士郎はあっさり教えてくれた。
「夫婦喧嘩」
「え?」
「上田さんと阿久津さんの夫婦喧嘩だ」
 ・・・これが、この2人が数週間ぶりに交わした会話だったのだが、本人達もすっかり忘れていた。

 里山薬局の座敷には、近所の住人たちが鮨詰めになっている。外からは爆音や破壊音がひっきりなしに聞こえてきて、紫はその度に背筋が寒くなった。
 魔法街の元締めである2人が桁外れの力を持つ魔物だということは聞いていたが、実際に実力の程を見るのは初めてだ。
「・・・・・・ごめんなさい。本っ当〜に、ごめんなさい」
「お前のせいじゃないって」
 一同に向かって深々と頭を下げる環を、圭士が宥めている。
「でも、また俺が原因みたいで・・・」
「いつもの事だろ? お前がいなけりゃ別のネタで喧嘩するに決まってる」
「うん。あれはもう、原因なんか忘れてると思うなあ」
 窓から顔を覗かせた大蛇が、いっそ感心したように口を挟んだ。元が頑丈な彼は人口密度を少しでも下げるため、本性を現して薬局に巻き付いている。
「あ、西の方が吹っ飛んだ」
 ついでに、喧嘩の被害を実況中継している。いつもならこの手の仕事は遠視と透視の能力を持つ環が受け持つのだが、今の彼はあまりの居た堪れなさにそれどころではない。
「あ〜、俺の家・・・」
「それよりあの辺、××が無かったか?」
「そう言えば・・・××はまずいんじゃないの?」
「うん、なにしろ××だし・・・」
 住人の一部が不安そうに囁いているが、深くつっこみたくない。××(聞き取れなかった)の正体など知りたくもない。
「え、阿久津さんと上田さんだろ? ××くらいどうにでもなるよ、絶対」
「そうね。丁度××の始末に悩んでたところだし」
「うんうん。跡形も無く消し去って貰うのが一番手っ取り早い」
「ついでに粗大ゴミとか、表に出しておくべきだった?」
 なにやらおかしな方向に話がずれている。

「ああ見えて仲はいいんだけどね・・・たまに喧嘩すると全力投球になっちゃうみたいで、1年に1回くらいあんなかんじ・・・・・・」
 あからさまな破壊音や爆音が響いてくるというのに、一同が平然としている理由が良くわかった。
「まあ、外にいなければ大丈夫。里山薬局にいる限り安全だから」
「そうでもないよ?」
 口を挟んだのは、紫や環とそう違わない年代に見える金髪の少女である。スカートの裾から牛のような尻尾を垂らしている彼女は、40年ほど前から住み着いているトロル(北欧出身)だ。
「環くんは小さかったから覚えてないかもしれないけど、1度潰れたことがあんの。この建物、新しいでしょ?」
「「・・・・・・・・・・・・」」
 そう言われてみれば、建築自体は古めかしいが壁や柱はあまり古びていないような気がする。
「怪我人や死人は出なかったし、次の日に元通りにしてもらったけどね」

 幸いにしてその日、里山薬局が潰れることはなかった。
 一部で問題視されていた××は、綺麗さっぱり消滅していたそうだ。