あんな奴等にこう育てられ 無事に育ったその奇跡>>   

 里山薬局では、久しぶりに顔を出した久子姐さんに会うために近所の皆さんが入れ代り立ち代り顔を出していた。
 精も根も尽き果てた紺と賢太郎は、紫の背中に寄りかかってぐったりとしている。
 姐さんとは初対面の紫は彼らがどうして半死半生になっているのやらさっぱりだったのだが、哀れな二匹と一緒に隅っこに小さくなって、環や圭士が語る思い出話に耳を傾けていた。
「じゃあ久子さんって、委員長の育ての親でもあるのか?」
「うん」
 環は頷いて、苦笑した。
「父さんは一応もと人間だったけど、子育ての経験があるわけでもなかったし……母さんに至っては、人間の生態が理解できてない状態だったらしくてさ」
「笑い事ではない!」
 わざわざ近くまで寄ってきて(紺と賢太郎が小さく悲鳴を上げた)、姐さんは環に詰め寄った。
「……妾がおらなんだらそなた、無事に成長しておらぬぞえ?」
「……俺も常々、そう思ってるよ」


――久子姉さんの思い出――
 『泣き止まない……』
 『元気もないし、どうすれば良いのか』
 『……腹を減らしておるようじゃが、食事は』
 『与えていますよ。きちんと3食』
 『馬鹿者どもがああああっ!!!』
  ※生まれたての赤ん坊は胃袋が小さいので、ほぼ2時間おきに腹をすかせる。


 万事、この調子。
 さいわい2人とも頭は悪くなかったので、1度教えたことを繰り返す手間だけはなかったが、そもそも1から教えなければならないことが多すぎる。
 このままでは赤ん坊の命が危ないと思って2人から取り上げようとした所、環と名づけられた彼が火でもついたかのように泣き出したので断念せざるを得なかった。
 耳の良い姐さんにとって、全力で泣き喚く赤ん坊はかなりの凶器だったから。
 ならばどうにかして親の方を教育しなければならないのだが、これも一筋縄ではいかない。
 時に叫び、時に拳を振るいつつ走り回ったあの数ヶ月を思い出すたびに、姐さんは何とも言えない脱力感に襲われるのだそうだ。
「あの馬鹿共のどこがそんなに良かったのやら……」
「うーん。物心つく前のことを言われても答えようがないんだけど」
「…………」
 ちょっと涙ぐみ始めた姐さんに、士郎がそっと番茶の湯飲みを渡した。
「士郎……そなたにも苦労をかけたのう……」
「士郎さんも?」
「うん、主治医って言うか、姐さんがいない時の監視役って言うか……俺が死なないためのストッパー?」
「……よくわかった」
 その数ヵ月後に姐さんはどうしても外せない用事があって、魔法街を出なければならなかったのだが、その際士郎とレストランの熊さんに『死なせるな』とだけ厳命しておいたお陰で、環の健康管理はほぼ完璧に行われていた。

「……この話はここまで」
「はーい」
 姐さんと環は、心臓に悪い思い出話を続けるのが嫌になったらしい。丁度近くにいた紫に関心を移した。
「お主も見たことのない顔よなあ。……いや、どこかで見たような……?」
 数十年前に魔法街に住んでいた祖母の関係で、こういう反応をされるのは初めてではない。
「あ、はじめまして。伊藤紫です」
「芙喜姐さんの孫だよ」
「芙喜の……言われて見れば、似ておるなあ」
 姐さんは紫の顔を覗き込み、記憶の相手と共通の面影を見つけたらしい。
「俺の同級生で、里山薬局の居候」
「芙喜の孫が、里山薬局の? さて……」
 姐さんの微笑みが、やけに意味深に見えるのは何故だろう。
「純情なことよ。士郎は芙喜に惚れておったものなあ」
「「「「…………は?」」」」
 あっけに取られた声を出したのは、合計四名。
 紫、環、圭士、春麻である。
 周囲を見回すと、近所のヒトビトの内……芙喜姐さんがいたころを知っている面子が目を逸らした。
「士郎さん……ばあちゃんが好きだったんだ?」

 妙な沈黙が室内を満たし、最近の人間関係を知らない久子姐さんが首をかしげた。