2007年12月30日(日) |
なぜかのんびりムードの年末だったのに、ここに来てあわただしくなってきた。
辰の刻、藤岡のMさんのお宅にお邪魔するので、神社参拝をする。何が何でも何度も繰り返す。人を見ることも、見られることもなかったのに、見られたような気がするのは何故だろう。感じられる喜びの心とともに。
自分を成長させつつ人様に対する。これしか自分のやり方はない。新年のご祈願もこれでいく。
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2007年12月28日(金) |
Zの忘年会のお手伝い。最初はなかなか要領がつかめない。
起業家で上場までもっていく人というのは、何かもっている。そして腰が低い。自分も影響を受ける。しかし先祖のルーツをたどると、何か不思議な縁も見えてくる。
夜だけれど、一階に住むというのはもう年をとったということか。イメージもあるけれど、心ということ。そして明日へとつなげていく。
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2007年12月27日(木) |
年末という理解があるので、辰の刻にゆっくりごあいさつ。その余勢もあって、お墓参りをし、巳の刻に円仁まつりの案内を配る。年末なのと人がいたので、要点のみ。雲の形に興味を持ってもらう。龍の話も。
年末のドライバーは何故急ぐ人が多いのだろう。またスタンプラリーの回収。
酉の刻に出口。
昨日の夜はSさんの依頼で絹に朱印を押させていただく。なかなか難しいものだ。
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2007年12月25日(火) |
朝ごあいさつ。昨日掃除をしていただいたようで片付いている。そういえば、その時刻頃だろうか、家の前に同じ種類の鳥が、地面の上にとどまって動かないでいた。お礼に来てくれたのだろう。
辰の刻、昨日からの続きでもあるし、平常の心に戻る。
柴又の帝釈天に行く。本殿の前に、大きな松の木が横たわる。珍しい造り。
そしたら、浄行菩薩という一メートルほどの石像があって、みなが水をかけてたわしで洗っている。水はご神水だそうだ。ヒントになる。
ほぼ満月の夜に、満月の瞑想。こんなにも気持ちいいとは知らなかった。
しかし、サンタさんと大黒さんは似ている。
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2007年12月23日(日) |
岩舟町に初めて第九の歌声が響く。この二日で様々な芸術に触れたが、ドイツ的な厳格で巧みな音曲に、しばし感慨にふける。宗教音楽は哲学にも通じるし、形而上なものへの憧れもいだかせる。
岩舟町出身の関口尚さんと知り合いになれる。様々な話をきかせていただく。将来円仁さんのことを書いていただくことをお約束していただく。
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2007年12月22日(土) |
冬至。待っていた赤石が到着する。
昨日より乱された気を呼吸によって戻す。不思議に戻った。心は体に左右されることがある。
町の芸術祭。出だしはこのようなものだろう。年末だし。知人とゆっくりお話ができる。
時間、時間にその時間にあった考えをしている。
冷たい雨が降り出した。雪にならなければいいが。
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2007年12月21日(金) |
暦が危ういときは、気に問題のあることがある。それで冬至を心待ちにしていたのだが、最後の日にやってしまった。
三支並びで三合の巳の刻、直進しているときに、いきなり対向車線から車が右折してきた。あー、といっても遅い。どこをぶつけるか。少しずらすしかない。あとは力。
一瞬以上、記憶を失う。痛い体を支えて起き上がる。エアーバッグが開いている。親切な人に助けられる。
救急車内で警察の方と話し、血圧を計られる。病院で診察。頭にかすり傷とたんこぶで、頭の中身は精密検査で異常なし。相手の人もすまないと謝っていただく。
不思議が重なった。相手の運転手の呼吸が見えなかった。事故を最初からずっと見ていた人が近くにいた。昨夜からの影響のおかげで、恐怖もなかった。昨日から神社で鳥が死んでいた。それを神主さんに話した。以前車を降りたときに、金属が焦げる匂いだけがした。そして、おそらく瞬間的に異常な気を出していたのではないだろうか。
それに最近密教に突き進んでいる。すきあらばと、妨げが来ても不思議ではない。
実は四つ目、七つ目、身代わりにはなれる。
だから、あの場所にあの時間、数秒とたがわずに自分があそこを走るというのは、前もって決められていたとしか思えない。
早速神社と本尊様にごあいさつ。大難を小難にしていただいたことに。一日二回のお参りは怪訝がられたかもしれないが。
月に大きな輪がかかる。
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2007年12月20日(木) |
朝、時間にごあいさつ。同じ鈴の音が遠くより聞こえる。
インターネットのオークションに始めて参加、なかなか難しい。だけど道筋だけはできる。同じ事象が、数時間前から起こっている。
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2007年12月18日(火) |
昨日は、銀座で知人のMさんが写真展をやっているので見に行く。不思議世界というタイトルがついている。
風邪からやっと体調が戻る。
巳の刻、里山のパンフと、山の神と川の神の話も。妙義山は紅葉がきれいなのだそうだ。若いころの話。
火星が最接近だそうだ。明け方東の空に、いつまでも輝いているのは金星だろう。
気の充実した目が必要であり、また十分である。だからこそ頭がふらふらする。今という時間と二十五年前の時間とに思い致し、生き方を心静かに、想像でなく実感する。家庭とも。
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2007年12月17日(月) |
年末になっても、心静かに朝を迎える。あわてても仕方ない。
朝も日が射して徐々に暖かくなる。早目に動いても時間には、遠く斜めでも理解ができる。
中国は上海から来た友人に話を聞く。中国では、中学生くらいになると、白酒に様々な薬草を入れて、夜にお猪口一杯を親が無理にもで飲ませるのだそうだ。あと、去年から飲酒が十八歳からという法律ができたともいう。
真言宗の人の本を読む。阿字観のことが書いてある。天台密教の専門家の人に聞いたら、天台でもやって悪いわけではない。天台には止観があるから阿字観がないのではないか、という話であった。
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2007年12月14日(金) |
鐘つき堂の前に街灯を立てるため、巳の刻、あちらからこちらから話をする。時間がなかったが、上まぶたの紫はどんな事象だっただろう。
昨日、風邪でふらふらで電車に乗って帰ってくる。ふと床を見ると布団がしいてある、ああ寝られる、と思ったが、気持ちをしゃきっとさせると、妄想であったことにばからしく思う。
先日聞いた話。知人が飲み屋さんにいたときに、二軒隣で火事があり、まだ子供がいるというので、飛び込んで救助したという話を聞く。ありがたくて涙が出る。
確かに大慈寺には大黒様がいらっしゃらない。いつかお迎えしなくてはならない。外にも仏様をお迎えしたい。
今日は、三合の酉の刻に街灯のできを観察する。驚かせないような心配りが必要。
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2007年12月12日(水) |
注射を打つ時に、右がいいのか、左がいいのか。お医者を信用しないではないが、右を出すようにしている。左は守るべきものだから。
あいさつだって、右手は積極であり、左はおずおずと出すものであっても本心の現れだ。巳の刻、心静かに感動する。
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2007年12月11日(火) |
Mさんより写真をいただく。何とも不思議な写真の数々だ。どまん中田沼。ネーミングがいいが、日本の中心なのか、ここにも写真がある。
朝普通であっても、さらに執着すると、喜びであるかのように驚かれる。
酉の刻にはよい知らせ。こちらも肩の荷が下りる。
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2007年12月10日(月) |
夢にはいろいろなものがある。大抵のものは、後でよくよく考えてみると、自分の潜在意識が作り出したものが多い。しかし登場人物が、明らかに自分の意思をもって自分に働きかけている、というものもある。その人物の意思が、自分の意識以外のものになる、と感じられる。
明け方卯の刻ころ、そのような種類の夢を見る。先方より、こちらの方に顔と意識を向けられている夢。そんなときは、体が何となく温かいし、何とも気持ちがいい。
午の刻に、ごあいさつ。拝殿の前で、改めて自分の心を見直す。そして自分の祈りや願いの方向を正す。新しい方向性。
申の刻、山際のやぶの中から出てきたら、少し驚かれる。それもありがたい答えの一つ。
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2007年12月7日(金) |
本来ならば、昨日中国から帰国していたはず。中国行きが中止になったので、言っておくべき人には話しをしておく。
大雪、気が変わる。辰の刻に力ある目が動く。巳の刻には急いで移動して、仕事の話をする。ありがたいのだが、こちらから出向く必要がある場合もある。
仕事があると、どうしても別の部分をオミットしなくてはならない部分が出てくる。周りの人に迷惑をかけているのはわかるけれど、これも浮世に生きる身、理解してもらわなくては。
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2007年12月6日(木) |
明け方、亡き師の夢を見る。ペンというのに、出すのをもたもたして怒られている夢。生前を思い出し、何かすごくありがたい気持ちになる。
ある土地に三本の丸いルートの道を作るというので図を描いている。しかしそこではよく理解できなかった。
そしたら仕事帰りの電車で読んでいた本に、チベット仏教の本だけれど、三本のルートのことが書いてあって、びくっとした。
今日は行きの電車から諏訪が岳がきれいに見えた。電車が動くにつれて、その向こう側に、壁のような前日光の山々が見えた。そしてさらにその向こう側に、諏訪が岳と瓜二つの形をした、まだ雪を載せていない男体山が、二倍もの高さのシルエットを作っていた。圧巻。本当に小野寺という土地は、日光の山々なくしてはありえない。
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2007年12月4日(火) |
夜、境内に明かりが少ないので、電球を交換し、そして新たに電灯を建ててもらう打ち合わせをする。
巳の刻、そんな話をしていたら、あまりにも偶然に間の前を通り過ぎるものがある。一日二十四時間あっても、こんなことはない。人知でできることではない。自分の周りで何かが変わっているのを実感する。
境内整備をしたせいか、お参りの人も、カメラを構える人も増えている。
真言宗が気になる。
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2007年12月2日(日) |
延暦寺よりの手紙により、陛下ご夫妻の来山の日程が明確になる。
11月13日のおそらく巳〜午の刻。丁亥年辛亥月辛亥日。224で4の陛下が仏においでになる。巳の直し、か。仏の神か。
根本中堂にお入りになるのは初めてだそうだ。本尊薬師、そして毘沙門をご開帳する、と書いてある。秘め事であろうと思う。
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2007年12月1日(土) |
お一日。確かに気が変わる。
浄法寺町まで往復。片道が二時間少し。自分が珍しかったのだろうか、地元の小学生の女の子二人が、自分の参拝する前後を行き来している。そしたら、夜、浄法寺さんの本を偶然手に入れる。
帰りの車の中で、異常な幸福感に包まれる。何もかも捨てることができるような気分になる。こういうことが時々起る。
本堂を輝かせたい。そのコツのきっかけがわかりそう。
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2007年11月30日(金) |
朝、諸々の仕事を終わしてから法事。坂道で手をあげる。
境内整備が今日終了する。見違えるようだ。あからさまになったのは、本堂の祈りの度合。本堂を皆の祈りの場としたい。そこが出発点。
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2007年11月29日(木) |
神社にご奉仕の人がいる。それで時間がずれて、でも無理でもごあいさつ。強い気持ちに微笑み。
バス乗り場に一分前に着く。そしたら同じような人が先にいて、もたもたしてくれていたので、余裕で乗れる。
高速バスは不思議に寝てしまう。頭を使わない本でも読めない。
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2007年11月27日(火) |
思うことがあって、そしたら辰の刻にごあいさつ。
真壁の石屋さんを見学。六メートルもある観音様。御霊が入っていなくても、見ているだけですがすがしい気持ちになる。
恵比寿、大黒は言うまでもなく、愛染明王や、薬師、日月光菩薩、布袋様まである。どちら様かをお迎えしたい。できるならば。
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2007年11月26日(月) |
昨日申込があって実質的に今日から経木塔婆供養が始まる。これも偶然がずいぶん重なった。導かれるように。
甲子の日。満月の夜。清めてから、昨日の夜七時に出て二時間半、帰りはすいていて二時間。十一時半から大祭。中の岳神社。困りごとは、というと、神にまかせなさい、というお答。出発前のお答と同じ。平伏するのみ。
なぜ黒かと思ったら、大黒ともいう。水、水のためか火のそばに座らせられる。
電気を消して大太鼓、小太鼓のリズムで、大国大神、と唱え続ける。鈴の音の金のがいい。ふと意識が山の上に飛ぶ。満月の夜。
同行したTさんは、シャーマンの原型を見た、と話されていた。それに東京の方々も無事帰宅された。その報告の声に力がある。何より、自分の参拝の目的を果たすことができた。
辰の刻にご報告。そしたら無理してあいさつのようなもの。
意識が高ぶっている。各神社にお参り。川辺の神には、午の刻なので、人間との関係でなく、かねがねよりのお礼。
業者の方とのお話。夕方まだ少し明るい申から酉の刻にかけて、人間心でのふれあい。
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2007年11月23日(金) |
11月11日、天皇陛下と皇后陛下が、比叡山の中堂に初めて入られたそうだ。酉6の日。薬師様なのに、不動様なのか。不明。
今日、額に関する本を思い出して読む。そうだったという感じだ。目標を思い出す。
午前中、太陽の下で笛を吹く。太陽の光を浴び、体の中に吸い込む感じ。
昨日に続いて築山の移動。
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2007年11月22日(木) |
今日は大切な日に朝から思える。業者さんが来るのでごあいさつ。急いで近づいたのだけれど、年相応の声に、年相応の、自然体の呼吸をする。これも年を取るということ。
風の強い日、東北では観測史上最高の降雪記録になったそうだ。空気が澄んで夕焼けが美しい。月も何とも言えない十二〜三日の形で、夕方東の空に、圧倒的な姿で出ている。酉の刻、寒くても心は温かく。
鐘つき堂前の樹木伐採の切り株や石の移動をしてもらう。さすがにプロは早い。今日からいつまでかは不明だけれど。
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2007年11月20日(火) |
極端な月なので、事象も意識も極端になる。神社にご案内、遠くで仕事をする姿を見る。
法事の席で聞いた話。昔小野寺から葛生に抜ける道に、諏訪が岳より大きな絹が岳という山があった。戦後、採石ために山一つなくなってしまった。その山にはどうだんつつじの十センチもあるような木がたくさんあった。山の上に神社はなく、山の下にはお宮があった、ということだった。
山一つなくなると、地形も気も何もかも変わってしまう。ただお陰さまで、男体山が見えるようになったのではあるが・・。
きれいな月が当たりを照らす。月のありがたさ。
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2007年11月16日(金) |
電話の転送サービスはとても便利だ。どこにいても携帯で受けられる。目の前にいるのがわかっていても、時間を見計らって、電話をすればつながる。
電話は電話で、他の影響を排除して、会話に集中ができ、心そのままを映すこともある。
だけど、電話の声が普通と変わる人というのも多い。声の底に心を知る。
昨日、何となくお参りがしたくなった神社、今日新聞を見たら、その神社のお祭りの当日だった。確信に近いもの、信仰、安心を得る。
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2007年11月14日(水) |
最近夢を多く見る。
出産された同僚のSさんは同僚だからわかる。おとといは、K先生とO先生が祈りのジョイントをされるという夢。そしたら今日、K先生の新しい本を見つける。
昨日は怖かった。何か古いお寺の跡地のような、岩場を切り開いたようなお堂がたくさんある場所に紛れ込む。車のタイヤはスリップして何とか止まる。そしたら、その岩のお堂の上の石が転げ落ちてくる。小さいのも次々に落ちてきて、別の方角に逃げても、そちらの山が崩れてくる。逆に逃げていたら、高圧電線が落ちてきて、もうだめだと思う夢。あの電線に触れたら死ぬな、と思って触れる直前で目が覚める。
その夢解きではないけれど、ある本を見つける。それは自分にとって大変衝撃的なものだった。あらゆる方角からも自分が責められている本。そのことを意味していたのかもしれない。
帰ってきてご報告。それでも本尊様はたしなめられて、悠然とお座りになったままだけれど。
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2007年11月13日(火) |
昨日の夜、子の刻ころ、外に出ると雲がちぎれて空にあり、全部白く見える。確か月は夕方細いのを地平線すれすれに見たので、出ていないはず。それに月も宝石のように輝いている。何か恐ろしいようだった。
朝は一転して、快晴。心のごあいさつ。奥に入るまで。昼間はとても暑い日となる。
先日、Kさんが見明の沢で月を写真に撮ったら、何か別に光るものが写っていたという。肉眼では何もなかったのに何だろう、と話されていた。
見てみないとわからないし、見てもわからないかもしれないが、空にはいろいろなものが飛んでいる。
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2007年11月11日(日) |
独鈷水の開眼法要。今まで知られていなかった土地。そこを整備されたSさんのお心に頭が下がる。
自分はやらされたような気がした、というお話だった。
昨日が雨、今日も午後が雨、このときだけ雨がやんだ。話をしているときには薄日もさしていた。石碑の方は如法に。新しい水には水のため、日の如くに。
月のしずくが新しい井戸に落ちる。あそこには槐を寄進しよう。西安を象徴する木を。
月恩会。今日は、これはというときにはすぐにそばに来る。注意、注意。
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2007年11月10日(土) |
三日からやっていた木材伐採の工事が昨日終わる。
霜月会。お坊さんの前でお話するのは、何かが違う。この前の寺庭さんたちの前と同じように。いいか悪いかは別にして、後ろの問題だろう。それが何かは、まだわからないけれど。
疲れが一日で出るのは若い証拠だそう。一日で出ないからといって安心してはいられない。
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2007年11月8日(木) |
立冬。ごあいさつ。ふと、社殿の扉、上座。・・花札・・。威厳。
さて降りようと思って、足元に、動かない鳥がいる。さっきはいなかったのに、しかも降りてくる音がしなかった。全く落ち葉色をして同化している感じ。そばを通っても動かず。確か前にも見たような。お使いだろう。
そしたら保育所の遠足で、大慈寺の山から神社の山を巡ってくるのだという。子供の甘い香り。無理に羽田の水の話をする。資料案内。
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2007年11月7日(水) |
栃木のこの近辺には、多くの近現代の宗教家が来ていることを知る。
O神社の谷村黄仙、M寺のTSなど。益子の神社にはDも来て碑を建ててる。確かにその昔は、多くの僧侶や武将がやってきたのではあるけれど。
戌刻、北極星の方に流れ星が向かっていく。帝王星を背負って6,7であり、酉寅か。昨日のUFOの話ではないが、星がきれいな夜、何が来てもおかしくはない。
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2007年11月4日(日) |
激しい二日間がとりあえず終わる。また明日からも激しいが。
昨日、O先生に、広智菩薩の墓はどこだったのかお聞きした所、昔研究していた人がいて、大慈寺から西南と言われているから、見明にある大日という地番の場所ではないか、昔そこに石仏があったが、盗難の可能性があるので、今は自分の家の庭にある、とお答いただいた。
また、そこからさらに150メートルくらいいった場所には、昔、祠のようなものがあったということだった。いろいろと重要な情報をいただく。
今日の月恩会、すこし特殊なお話をしたら、急に一メートルくらいのものがこちらに近づいてくる。マのような感触ではなかったが、威圧する力を備え、自分を押し倒そうとするように来る。触れるくらいまできたので、すぐに話をやめる。
こんな経験初めて。あれは何だったのだろう。
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2007年11月1日(木) |
お一日。人間の感覚が劣っていたら、人間の感覚でわかるように教えてもらえる。賽銭箱の音。お恥ずかしい、人間としての心も、ありのままに。
先月は師に関する変動するときだった、としていいだろう。
昨日、知人の女性が四十台ではじめて出産される。男の子、と断言したのが当たったこともあってほっとする。
先方不在の準備が自然とできている。日本史の世界に足をつっこむ。
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2007年10月29日(月) |
この時期なのに、夏日になったという。
朝から調子よく進む。見えない箇所で、心配りの心を知るときはうれしい。
慣れない事務仕事を一日行う。それでも終わらない。必要なのは場数なのだろうか。
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2007年10月27日(土) |
今年「千の風になって」という歌が流行った。「私のお墓の前で鳴かないでください。私はそこにいません。・・」という歌詞。いや、困ったなと思っていた。仏教の教えと違うのだ。お墓は先祖供養の大切な場所であるし、そもそも訳詞であるから、日本とは文化背景も違う。
そしたら今日ラジオで、曲を作った新井満さんというのが出ていた。この歌が売れたのは世相を反映したからだろうという。それならますます困る。しかし彼の言い分は違った。これは人が亡くなったあと全く無になってしまうのではない、死後でも家族を見守っている、さびしくないという歌詞が共感を受けたためだ、という話ぶりだった。
それならわかる。いやむしろそれは、土着の仏教が、言い続けれいたことだ。都会ではわからないが、今でも地元では、死後四十九日までは家に霊魂がとどまる、という話をして、大部分の人から共感を得ることができる。</FONT>ただ歌詞の表現に問題がある、ということ。痛し痒しかなあ。
お墓に霊魂が、いつもいないということは絶対にない。今日改めてそれを実感した所でもある。
それから新井さん、啄木の和歌に曲を付けていた。それも聞いたが、古典を汚すことなく、むしろぐっとくる歌になっていた。
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2007年10月26日(金) |
中国旅行の資料を配布する。行く行かないは別として、心に受け入れてくれれば、十分に満足であり、壁のない距離感となる。
大丈夫?という言葉がありがたい。修習を引き続けて行う。
将来がどのように動いていくかわからないこともあるが、何が何でも押さえておかないことがある。
今日はほぼ満月であろうが、雨や曇りで月は見えない。
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2007年10月22日(月) |
辰の刻から、ごあいさつをして、通じて、全部お参りしてから準備に入る。
栃木県の天台宗寺庭婦人会の方々の参拝。本堂と大師堂。大師様だけでなく毘沙門天に祈願。説明が十分にできたかどうか。奥の院に行くとき、保育所の子たちと会い、重なるかと思ったが問題なし。みな息を切らせながら、円仁修行の地まで足を運ばれる。
そうしたら相輪塔の所に、十五センチもある大きなムカデの出現。みなキャーキャー騒いでいて、写真まで撮っている。毘沙門のお使い。
奥の院にも大きな蛇の抜け殻。またある人から、前に大慈寺で2メートルもある蛇を石垣の所で見た、というお話も伺う。あれは主ではないか、と話されていた。
午の刻、教えられたのか、遠くに見つけられることがあったので、近くでも一瞬にして通じる。心は視線に乗る。歩行も仕事のうち。いつまでも独占する空間。
申の刻、久々に四十分行。我流なので何度でもやる。
亥の刻、十二夜の月を見上げる。昼間諏訪が岳に出ていた鰯雲がまだ残っていて、月に照らされている。虫がなく。遠くの山で知らない動物の鳴き声がする。明るく静かな夜。
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2007年10月19日(金) |
朝からぐずついた天気。しかし雨の降る前に、すべきことをする。窓より思いがけないありがたい印。勢いがあっても、心に感じればいい。
日本史の資料の扱いを少しずつ覚える。大切な発見もあり。
今月に入るころからある、この幸福感は何なのだろう。これを維持したいと思うのは当然の気持ち。
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2007年9月17日(水) |
最近夢を見ることが多い。たいていは、その日のこととかかわっている。
台風で木が倒れたが、何もないときのいも木が川の側に倒れている。ということは反対の場所に関係あるが、そちらも、導かれるように伐採しなくてはならなくなる。
その他、この近辺のことは、夏に行ったあることと関係があるとしていいのではないだろうか。
伊吹山が石灰を取るために削られているという話を聞く。九州のある三山あるうちの一つなどは、完全になくなってしまったという。信仰の山、自然の山が、人間の欲のために破壊され変形していく。
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2007年10月14日(日) |
昨日の月恩会初心者向けのせいか、今朝、師のリアルな夢を見る。時間は戻せないけれど、しておくべきことがあった。
一家をなした人の全集の最後の部分だけを読む。中国からの輸入であるが、これが日本に根付いていくであろうし、日本の神々も許すであろう、と書いている。
内容はわからないが、すべてを自分の範囲の中で解釈してしまう、という執念、達人的な思い入れに心動く。
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2007年10月12日(金) |
涼しくなったり、暑くなったり、体調管理には気をつかう。
朝も、忘れるわけはなく時間を守り、ごあいさつ。心から安心感が広がる。強い感触。
久し振りに知的なものに触れて、心と頭のバランスを取るのに苦労する。
本に出会う。普通だと倍はするだろう。新本に近い。
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2007年10月9日(火) |
10月節の始まり。辰の刻、天気を見ながら神社にお参り。その帰りに音と音。深い安心を得る。
普通は何でもない本堂の花瓶の水の匂いがどうにも耐えられない。お香を焚いてもだめ。それで音を打ち鳴らす。食べ物と匂いは関係があるようだ。
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2007年10月8日(月) |
子の刻、外に出ると東の山からオリオンが出ているのがくっきり見えて、圧倒される。
お薬師様の日。新しい水を献上する。水なのに、飲んだあと、沁み入って体から火が出るようだ。
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2007年10月6日(土) |
細心の気を使った昨日、辰の刻、掃除にありがたい気持ちをいただく。それに本にカバーをする。
今日も続いて行動するが、巳の刻に忙しい中だし、一般人と同じふりをする。それで帰ってきて未の刻、道路を歩いていたら、これまた偶然にお知らせがある。
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2007年10月4日(木) |
明け方、亡き師の夢を見る。教えてもらい、心配してもらっている。初心者向け開始にあたって。相変わらず、思いもよらない技をされる、という夢。
どうしたら神にそばにいてもらえるのか。神社もそうだが、どこまでだろう、と思っていたら、神示を思い出す。読むだけでどれだけなのか。
清まるのはわかる。そして眠くなるほど何かが変わる。ここで行ってみる。
Wikipediaに書き入れてみることあり。
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2007年10月3日(水) |
朝早く仕事にでかける。車を平然と動かし、高速道路の下のボックスを平然とウィンカーを出して曲がる。昨日のお答か、よくわかることあり。
恥ずかしながら、今日知り得たこと。「法華懺法」は半行半坐三昧に当たり、「例時作法」は常行三昧のことであり(ただし般舟三昧経のかわりに阿弥陀経になっている)、非行非坐三昧の密教要素も減っているということ。
四種三昧にかかわる大切なことだ。
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2007年10月2日(火) |
巳刻、弁財天。
午刻、決意をもって出発すると、2日だし車の上から、意外なお手配がある。その気をもって、神社二か所参拝。災いにせず、というご祈願。
水辺の神社というのは、山とは違った気である。集落の密集した気も、昔の雰囲気を残している。運命共同体。
申刻、突然知らない業者が来る。弁財天のお手配と思い、剣に似たような三十センチの香木などを手に安価で入れる。ベトナムで現地調達という。禍切りの大きな道具。
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2007年10月1日(月) |
田舎の都市の学校に入り、近くの海辺で、荒れ狂う波、険しい岩、事務手続き、政治家、帰りの時間の心配、などの夢を見る。
お一日のお参りをいつもしている方が、ご主人の喪中で参拝されずに、お寺においでになる。
病気であったけれど、死ぬ自覚があり心の準備もできていた、立派な往生だったようだ。神社参拝の余徳があったとも思われる。
そのご主人が、葬儀の二日後の明け方、家の中を杖をついて歩いている。おじちゃんどうしたんだい、と声をかけたら、すっと消えた。娘の夢にもその時出てきていた。しかしそれ以降はない、というお話だった。
その方は、杖が付けるほど健康になった、と知らせにきててくれた、と言っていた。そうかもしれないし、旅立ちができたという知らせだったかもしれない。自分の葬儀をした方。少しほっとする。
なぜか、ごあいさつには一度だけ来るようだ。
午の刻、小藤神社にお参りする。駐車場に着くと待っていたように、烏が鳴く。南と北、本殿の東。7,5,8.ここはちょうど諏訪が岳の真裏だ。不思議な気の場所。手が動く。
気といえば、この前の太鼓のKさん、五分以上一人でたたかれていたが、最後の方は、体の回りが真赤になっていた。 |
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2007年9月28日(金) |
この時期だというのに真夏日となる。やはり自然がおかしい。
巳の刻、一万円の両替。三合だし、おそらく福。
そのときに、足の秘密がわかる。なぜ両足の爪をはいだのか。弥生人だから。足の人差し指が出ている縄文人はあまり影響を受けないのだ。
指の爪はきれいに切るのがよい。少し伸びても構わない。説明しようと思って、足と心を手の人差し指を見せてしまうと、ふふと笑われる。肌色のネット。
午刻、今日もまた八十人の団体のお客さん。一昨日の団体さんも小町の墓まで参拝していたらしい。神主さんの許可をもらって、隣の神社まで、拡声器をもって先導する。旅行会社の人になったようだ。
未の刻、電車に乗ると、前に抱っこされた赤ちゃんが、突然こちらを凝視している。おしゃぶりをしながら、見つめられる。泣くでもなく、笑うでもなく、ただ見られている。目を少しはずしても、こちらを見ているのでまた合わせてしまう。お母さんも困って顔を動かそうとするが、また顔が戻ってしまう。
怖いおじさんに見られたか、コレ人なのと思われたのか、赤ちゃん好きの本性が見破られたか、ともかく四駅、十分以上も生後六か月の赤ちゃんに見つめられていた。可愛いかった。
弘法大師空海が、大慈寺の三祖広智に送ったという十喩の詩を改めて読む。「千年も忘れないでしょう」とある、それから千年以上たった今、自分がその詩を読んでいる不思議を思う。
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2007年9月27日(木) |
彼岸を過ぎたというのに、まだまだ暑い。
用事があることがあったが、先方お取り込み中で、十分達意をして帰ってきたら、これまた偶然に車上で知ることがある。
地元の話で、協力体制ができつつある。
月が明るい、という以上に明るい。昼間のように景色が見える。
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2007年9月26日(水) |
昨夜はきれいな月が出ていた。
辰刻、あとから計算すると、十二支が日時であるときは、その九星が出る。意外な出会いより知る。
宇都宮より60人。説明を褒められる。はずかしい。
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2007年9月24日(月) |
昨日秋分の日。HPの経木塔婆の項目を作成して、今日アップした。張り紙も出した。このときから、皆様のご先祖のご供養を受け付ける。
とても大事なこと、大慈寺でできることは、少しでもお役に立ちたいと思う。
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2007年9月22日(土) |
新たな気持ちで、月恩会。会場をお貸しいただいたNさんに感謝。
阿倍総理がなぜ総理になり、なぜやめたのか、なぜ明日福田総理に決まるのか、などの話をさせていただく。
動かし始めたからには、動かし続けなくては。
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2007年9月20日(木) |
お彼岸だというのに今日も真夏のような日。
卯の刻、強いからか夢をみる。礼服もあり、息も吹きかかるし、持ち物調査もされる。親しくないとこれはできない。
辰の刻、気恥ずかしさの笑み、心配が解消される。
申の刻、またあたらしいスタート。若い人との会話。また自分を仕事の顔へと変えていく。
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2007年9月18日(火) |
未刻、今の大慈寺の源に当たる方のご供養。
昔の話になり、葬儀でお金をまいたこと、そのお金はその日のうちに使ってしまうこと、それで下着を買うと長生きができること、などの話を思い出す。
知り合いにお経をお聞かせするというのは、どうも恥ずかしい。どんなふうに思われているのかと。昨日は法話までしたが。大人数の中の偶然、よくわかるごあいさつ。
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2007年9月15日(土) |
地元北小の運動会。朝早くから動く。何となく落ち着いてきている。ばたばた出入りしている間に、巳の刻にはお約束もあり。
雨でもなく晴れでもなく、満足な天気に感謝。
急に相談の方が来られる。どうしようもない状態。お話を聞いていて、この方には、来てくれてありがたい、という気持ちが起こり、そのようにお話する。これで開運できる、よく頑張ってきたという気持ち。
これから、いろいろな方の先祖をご供養させていただくことになると、ますますいろいろな動きが出てくるだろう。
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2007年9月13日(木) |
辰の刻に許可をもらって、巳の刻に作業する。九星が悪くても、十二支で何とかなるもの。ネジは右回し。言霊に反応する年代の人もいる。驚きを押し殺しているけれど。
ペットを大切にする人が増えている。間違いない方法ならば、ご供養してもいいのだろう。
小一から十九歳までだと長生きの猫だろう。家を改築すると何かがいなくなる。
ルシャナ仏の光背仏を奉納いただいた方が、わざわざ調布から見える。
今日はありがたいことに、平日の昼間なのに、ばらばらに六組の方々が団体でおいでになる。これが不思議に全組夫婦の方々。
粟野よりプレゼントあり。
粟野は雷の本場で、今年だけで、あるCCで木が二十本も倒されたそうだ。
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2007年9月11日(火) |
朝から土砂降りだったが、辰の刻、本当に必要な十分間だけ雨がやむ。昨日の気の残りがある。
午刻に一時期雨がやんだので、奥の院にお客さんをご案内する。湿った山道を歩いていて、修行の山である、という実感が初めてわいてくる。ここで今も修行ができるかもしれない。山を降りたらまた雨が降ってきた。
その流れで少し窓から顔を出す。わかっていても見られると意識されるものだ。
未の刻にやんだ雨が、また申刻に降ってきた。
円仁のことを書き続けている。いいのやらどうなのやら。
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2007年9月10日(月) |
雨が降りそうで降らない辰の刻、お参り。車のカギをかけるのに心配り。
巳の刻あたりで、雨になり、本堂の中を熊のように行ったり来たりする。そしたら傘をさして便りが届く。諸計画の話。 濃い桃色が緑に映える。
ほんの数分なのに、この心からの安心は何だろう。快く寝いっててしまうほどに。人間というのは、快さを求めるものなのだと実感する。
携帯用のHPを作成する。うまくいったのかどうか不明。
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2007年9月8日(土) |
今日は白露。
昨日の台風で、川のそばの木が根こそぎ倒れる。半分枯れていた木だけれど。
見えない話をしていると、電気系統がおかしくなる。携帯が故障、修理に十日かかるという。仕方ないか。
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2007年9月6日(木) |
朝、台風の近づく風に、黒色に紫の模様のついたアゲハが遊んでいる。風の方を向いていたかと思えば、石に止まったり、逆を向いたかと思えば風に乗って遊ぶ。
そんなアゲハに誘われて、導かれていくことあり。
今日より読み上げをする。さすが。かゆい所に手が届く。自分の不足していて迷っていたこと。
夕方まではよかったが、夜より雨と風。明日の予定が立たない。
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2007年9月5日(水) |
小さな鏡の中で心が反射する。小走りにいく。
こちらが信じ込むことが大切。そうしないと相手も信用しないし、効かない。船に飛び移るんだ。
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2007年9月4日(火) |
知人の話を聞く。正直に話すのが人を引き付ける秘訣か。運のいい人は顔が違う。
辰と酉は合局か。何の作為もない。境内の草むしりをするのに、下着姿のことだってある。
今まで縁のなかった日本史を真剣に見ることがあって、改めて最澄さんの時代の東国の様子に思いを致す。そこにいた僧侶たちのことをリアルに想像する。
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2007年9月3日(月) |
デスクワークをしているときに、ふとおいしい水を取りにいきたくなって、午刻にでかける。
片道55キロ、1時間半。下界では曇っていたのが、今度は霧に突入する。いや困ったと思ったら、38のカーブを曲がったら、今度は一面の快晴。まるで真夏の気候である。山並が遠くに見えて、大袈裟にいえば地上天国のようだった。
山はそれぞれ意思をもっていて、何か言いたいときに自分の頭の上に雲を出したり、霧を出したり、雷を出したりする。この周りの世界が一つの空間を作っていてそこにあるものすべてが語り合っているような、本当にあの世の景色のようだ。
車を降りて二十分足らずの場所に水がある。水にも特質があるが、ここのは浄化された水、か。
ほんの三十分少々しかいなかったが、元気をもらう。別に不元気というわけではないのだけれど、一歩歩くごとに向こうの方から、「元気をあげるよ」という具合に、勝手に気を与えてくれる不思議な土地。
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2007年8月30日(木) |
昨日は満月の翌日、まだ影響がある。
確かに前日、お墓にくっきりと横線が出ていた。それで車をダンプにすられる。ほんの数秒で、数センチで違うことが、前もって知らせてくれることもあるのだ。
満月というのは人の意識が変わる。普通でないことを普通と思ってしまう。普通まじめな人でも心が揺れるのがよくわかる。
怒っている人には、線香に、ご先祖様、ご本尊様。
魂のせいなのか日盤のせいなのか、心のゆれがあったようであり、申の刻に意外な下見にこれまた意外な運転がある。
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2007年8月28日(火) |
自分を馬鹿だと思うことは多々ある。馬鹿でもぐ愚直ならいい、と自分に言い聞かせて、恥ずかしい日々を送っている。
でも人間だから、そういう行動を理解していくれる人というのはいるものだ。ありがたいし、声のトーンが何とも言えずに、しっとりと心の底を刺激する。ありがたいと思う。
巳の刻、書道の件の話し合い。
山伏である人の書いた本を読む。刺激多し。
音を聞く。求めているものに何か違和感があった。天地大日月。そしたらすっと、どかっと来る。自分では自分の行動がわからない。だけど、何かを求めていれば、何かに出会えると信じている。
月食なのに雲で見えない。ちょうどその時間は稲妻がきらめく。終わった亥の刻ころ、雲間から月がのぞく。
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2007年8月27日(月) |
朝から暑いのは今日までだと天気予報はいうが、さてさて。
最近アブが多い。プールに入るときなどは裸だからどうしようもないだろう。辰の刻、十分にそれらを理解する。フォローとしての形あり、心のごあいさつ。十分というのは、心の底までということ。
今日は本尊様も、何か神仏が、引き締まっておられる。
座禅、多数でやると、どうも同僚関係だとか、上下関係だとかを気して、入っていきにくい。仕事関係の人とやるのは良し悪しだ。だが素直にやってくれている人は、ずーっと入っているのがわかる。たった二十分だけれど。この技を残していただいた先人に感謝。
百合のような匂いだと思っていた植物は、臭木というのだそうだ。葉は確かにいやなにおいだが、花は本当に甘い。諏訪ガ岳の頂上で間違えたのは、この木らしい。百合のような匂いだ、といったら、専門家に怪げんな顔をされてしまった。
この前の他の寺院の施餓鬼、時間も心の余裕もあったので、儀式の間、いろいろなものを見せていただく。
夜に月恩会。
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2007年8月22日(水) |
人間は、意思以外の場所で支配される、動かされるということを改めて知る。
どうしても仕方ないことが子の刻にあって、そしたら偶然にも辰の刻に答えが出る。
それは星の都合で内容には不満もあったが、ごみを出すというのは大切なことであり、でしゃばりではなく、できることをしたまでのこと。不満だとしても、通じることは通じている。他人とのあいさつでよくわかる。
夕刻に明日の施餓鬼の塔婆が到着。スリル満点。
戌の刻、巽の空で雲の上で稲光がする。何とも神秘の姿。そのあと、しばらくぶりの雨が降り出す。
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2007年8月21日(火) |
安心というのは、少し距離を置いていても、理解できるということに他ならない。
机掃除をする。その安心。
暑さの中、仕事の量がにぶる。
お墓に行くと、四,五羽の何やら知らない鳥がいて、何やら林の中を歩いている。ありがたいと思う。友達だとも思う。ようやく故郷という実感がわいてくる。
夕方、ふと見ると坤の山の上に上弦の月が浮かぶ。
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2007年8月20日(月) |
昨日の夜の雷はすごかった。満天どこでも雷が起こり、ある雷源から心臓を貫かれたような感じがして恐ろしかった。
確かに夕刻、K寺のMさんとお話しているときに、雷のことを含め、様々な危険なお話をしていたのは確かだけれど。
明け方、寅の刻ころ、亡き師のリアルな夢を見る。師が肉体を持って生まれ変わられて、(生きていたとき以上の体格で)そして、大慈寺のことをお話いただいている。
画像を教えていただき、眷属がいるだろう、だから本尊が力を持つのだよ、というお話。
その壁の場所には、海老かザリガニのような大きな赤い画像が見えていた。
意味する所はわからないが、何かしらかのシグナルではないかと思っている。
朝いちばんに、濃いピンクと黒のコントラストを見せられる。もちろん、自然ではなく、人為的なもの。
夕方また稲妻。今日のは部分的。それでも形がはっきり見える。
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2007年8月18日(土) |
自分の親がなくなるよりショックだったと、他人なのに、なくなったことを評される人というの方がいる。自分にも心に思うこと多くあり。
親族のあいさつをされた人が、今月初めより、どうもこの人がなくなるのではないかという思いがしていた。薬の話などもした。しかし突然になくなるとはわからなかった、と話をされていた。
六年ぶりに念仏。
古い信仰の山で、天狗さんをお祀りする、Iさんのご住職にお話をおうかがいする。
天狗さんを信仰されている人というのは、波があるそうだ。すごくよくなる時もあるし、それで信仰をおろそかにすると最低まで行く。そのときに信仰を復活させればいいのだろうが、なかなかする人はいない、ということだった。
また、職業上とはいえ、自然を破壊するような仕事をする人は運がよくない、という話もされていた。
いろいろな信仰が身近な場所で生きているのに驚いたり、感心したりする。
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2007年8月17日(金) |
今年のお盆は、言葉では表現できないような酷暑であった。40度を超える記録を作った場所もあるという。今日もひどい暑さだ。
今年の棚経も、自転車で行動したが、何度やめようかとも思った。自分の体の方がさすがに大切だったので。今日の昼間に、そのときの疲れを取らせてもらう。
辰の刻、辻立ちではないが、「一番と七番」と聞こえる。ああ、何と楽しいこと。
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2007年8月13日(月) |
丑の刻、ペルセウス座の流星群を見る。
こんなにきれいに天の川が見える日というのはそうない。自分の子供のころにはたくさんあったように記憶しているけれど。
三分に一個の割合位で夜空を行き来する。あっちかと思えば、こちら、短いのもあり、ぱあっと明るいのもあり。
時間が短いので、お願をする時間もないという。一つの言葉に気合を入れれば、そんなことはない。何がなんでもという。
お盆なのに出勤している人もいるし、新しい出会いもある。場所を通るごあいさつ。
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2007年8月10日(金) |
今日も暑い一日。
人様のお顔を拝見し、あまりにもその通りなのに唖然とする。
未刻、神社の斜面を写真に撮る。心が引っ張られるように感応することあり。
酉刻、仙台のKさんという方が来られる。内容の真偽はともかく、彼の話。
自分が仙台の古刹K寺でお守りを売っているとき、車の整備をしていたら、黒い衣を着たような人がそばを通り、わしは天台宗の三代座主じゃ、と話しかけて通っていった。
その寺は不思議なことが多く、坂上田村麻呂の供養に基づいて、蝦夷の人たちがたくさん眠っているが、そこの場所を掃除をしたら、半日間、お堂の屋根からピシッという音がしていた。鈴ではないような音楽を聞いた人もいた。
自分は観音経を集中して四日半で覚えた。観音様はすばらしい。云々。
観音経は先祖供養にもなるのだろうか・・。
最近、いろいろな方がお見えになる。
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2007年8月8日(水) |
立秋。そういわれればそんな感じがする。
朝、時間が錯綜していたのに、見事にしかも二度も達成していく。
Aさんの視察という名の釣り。沼に真夏も雲が映り、そこに浮が静かに動く。
どこにいても、宗教の話になる。それはそれで、自分にとってはうれしい変化。
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2007年8月7日(火) |
夢占いというのも面白い。
びしょ濡れで、二人乗せて運転。衣類を絞る。降りて夏のいでたち。くしゃみ一回。飛びかかるつば。
何も知らぬ本人のとっては「いやあ」というほどの話だろうが。おそらく寅、というより卯の刻のリアルな話。明らかになる予定ではなかったのに、巳に表明される。
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2007年8月6日(月) |
血が出たを、火が出たに聞き違える。今月は気を付けることが多い。またあまりにも明白なのに、気がつかなかったことがあり、あまりに恥ずかしい。今後こそ役立てる。
昨日の夕立ちは「すんごい」嵐だったようだ。停電し、看板が飛び、木が根こそぎ倒れている。砂利も箒できれいにしないとだめで、スコップでは足りない。
誤解も解けたであろうし、心で知るのであるし、更にカジュアルになった。
神社の階段を降りるとき、その姿は、何とも言えない時間を有している。
三日前、千葉県T市の八幡様の村祭り(盆踊り)に、地元民の顔をして参加する。ラムネ、金魚すくい、焼きそば、福引き・・。そんなとき、いかつい人が近寄ってきて何やらにこやかに、声をかけられる。おう、といって缶ジュースを出す。一体この人は誰だったろう。どこで会った人か、あるいは自分の頭が、あるいは次元が狂ったか・・。そしたら、○○大工かと思った、いや失礼しました、お茶は差し上げます、といってその人は、バツが悪そうに離れていった。むむ、ということは、自分が地元民になりきっていたということか・・。
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2007年8月2日(木) |
朝の読経のときに、今までにないような気が本堂に充満する。
確信のようなものを得ても、安心してはいけない。うれしいはうれしいとして。
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2007年8月1日(水) |
子の刻から満月を少し過ぎた月を見始め、丑の刻まで起きている。寝たと思ったら、寅の刻に目が覚めてしまう。
朝、不在であるからこその喜び。しかし既に夢にあったように、ある先生が知っておられるようにも思える。それで問題があるわけではないが。
県立高校の社会の先生方が見える。昔の感覚を思い出す。ある程度満足していただけたのではないだろうか。S先生より広智様の新しい情報。奥の院に、長い蛇の抜け殻。
床屋の後だからこそ、酉の刻に気がつかないうちにぐぐっと知られている。
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2007年7月31日(火) |
卯の刻、夜叉様の清掃。辰の刻に、想いにより時間が合わさる。
午の刻に、Mさんの写真展。何とも素晴らしい。そして自分のまだ至らなさを思う。与えられるものだとは思っても、自分からつかみたいとも思う。何か感じるものがあったが、不動明王だとは思わなかった。龍の乱舞も。自分でできることしかできない。
まだ夕日の残る戌の刻、三鴨山の北を低空で飛行機が二機西へ飛んでいく。
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2007年7月30日(月) |
昨日の満月の余波もあり、辰刻にはきっちりとわかる。人という字。
途中から雨になり、また晴れる。おいふぁ関係の留学生が見えて円仁の研修をする。
言葉が難しいのと、理解しにくいのと、宗教が違うのとや何やらで、成功したかどうかおぼつかない。
大平山に登り、霧が立ち上り、太陽の差し込む情景に出会う。すがすがしい本殿。
その後、気分が飛んでしまい、車の中で祝詞。ある方向に意識を向けると、あたかもわかっているのだよと言いたいように、いつもの烏が車と並走して飛ぶ。
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2007年7月27日(金) |
空間と音と心とが一体となる。カギには鈴。郵便の見返り。
自分の行動がいいか悪いか、神仏が示していただけることはない。ただその心持ちに対していい悪いの判断があるだけだ。
人が亡くなる前後というのは、親族に日常経験しないようなことが起きるようだ。テレビが見えなくなったり、自分を呼ぶ声が聞こえたり・・。今日聞いたお話。
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2007年7月26日(木) |
辰の刻、神社で赤。
巳の刻、画家のTさんと、諏訪が岳に登る。途中山百合がたくさん咲く。榊の群生地もある。
正面から急な坂を登るが、途中に諏訪さんと思われる祠あり。弘化二年に建てられる。とすると大慈寺が全焼した年。
出発から四十分程度で頂上へ。十二個と一個。男体山の気に通じるようにと。
頂上を降りるときに、山百合の強い匂いがする。しかし回りを見回しても花は何もない。近くにあるような強い匂い。どういうことか。匂いが上ってきたのか。花もないのに。
京路戸で一休み。
帰ってきて、お寺で赤。相輪塔へ。
諏訪が岳の不思議なる夢を何度も見ている。恐ろしくリアルな夢がほとんど。これで全部が終わったのかどうかはわからないが、できるだけのことはした。自己満足と言われても。
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2007年7月25日(水) |
丑の刻、K先生の夢を見る。
朝、4時40分に家を出る。
日光中宮祀到着がはやくて、参拝、神。登山開始が6時37分。
三合目から道路で四合目まで歩く。そこまで1時間。8時20分ころ、樹木が途切れる場所に出る。二時間後に六合目。トンボがいる。
三の次は四で、四の次は五。これは普通間違いない。しかし七の次が八ではない。7.5なのだ。そんなのありか、と思う。
八からは道が楽になる。六から八は岩また岩。寸分も心をゆるめることができない。休んで呼吸を整えても、歩き出すとすぐ息が乱れる。呼吸と心臓をだましながら歩く。
八合目で三時間。休みなく登る、足元が悪い上に心臓破りの坂。
九から上は完全に赤石と赤砂の土地。水がない分、男体山は赤石か。
登頂がまさしく四時間後。子供や夫婦連れの方々に抜かされていく。体はいいのだが、心臓が苦しそう。
へとへとで登頂へ。七十歳の同級生のグループもいた。
息を整え、上着の上に座り、酒、塩、米、火打ち、笛、祝詞。そこはまるで龍の頭の上のよう。祝詞の途中下の方で雷のような音がする。
十三個と一個。赤砂。
剣の所にいたら、急に太陽が出て写真を撮る。この日はほぼ曇り。しかし遠くまで山々が見える。
11時半に出て、2時間50分。五合目に二匹猿がいる。一緒になった人が、この山に登れれば、大概の山は登れるだろう、と説明してくれる。いや、余程のことがない限り、もう参拝することもないだろう。
下山でごあいさつ。再び神。
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2007年7月24日(火) |
予定が行き来する。神社参りの訂正もする。
暑い日。辰に水、酉の刻には五分と違わない。どなたが教えてくれているのだろう。
南の月に上弦の月が出ている。
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2007年7月23日(月) |
体調が戻らず山登りを断念する。
今回わかったこと。山登りの予約を入れた時点あたりから、あちらとこちらで吟味が始まる。心は行っていたが、どうも今回はこちらの都合のよう。
明け方、中級の免許の特別な夢を見る。
ぴったりの時間にありがたさ。美しいオレンジであり、完全に通じている。
月恩会。地震について、先人の残されたそのままであったことに感動もし、感謝もし、出会えたことに感謝する。
墓の話の途中、部屋の後ろをすうっと影。
大暑。天気ではなかったが蒸し暑い。午後から雨、北関東から南へ雨が移動する。
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2007年7月20日(金) |
辰の刻から話を動かす。早まった時間も導かれるようになる。忙しくても心が通じていれば。
外人と話すときでも、親しくなったらファーストネームが大切。尊称もいらない。それがそのまま心として反応する。遠くにいても。
夜に東京で仕事を終え、栃木に帰ってくると雨が降っている。確かに片道二時間半、距離でも百数十キロ。天候が変わるのも仕方がない。
亡き師の話をして、いろいろと思いだすことあり。
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2007年7月19日(木) |
辰の刻にお参り。人の目もあり、わかっても、それでもよし。
梅雨でプールに入る子供もいない。偶然の掃除。
何ごとでも熱心にやる姿はほほえましい。学生は勉強が仕事だから。
水道橋から神田まで歩く。登山道具の店やら、書店に寄り道する。
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2007年7月17日(火) |
お寺のことは、本尊様にお話するのが一番。当たり前のことになかなか気がつかない。
未の刻にビワの苗を買う。ビワをやってみる。
一霊四魂。自霊拝。まだわからないのだが、感覚が敏感になる。
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2007年7月16日(月) |
昨日の暴風雨をもたらした台風が過ぎて、一転暑い日となる。
法事の途中で大きな地震。新潟が震源地らしい。構わずに読経を続けたが。
般若心経の和訳を作ってほしいと言われて作成する。文字面でわかることは限定されるだろうが、その文字面でさえも難しいものだ。
相輪塔のそばに、伝教大師最澄様の祈りの言葉を建てる。と同時に私たちが同じ気持ちになって、同じ祈りができるような言葉も添える。多くの方が、この祈りに気がつき、幸せになってくださることを願う。
一隅を照らすという言葉が一人歩きして、最澄様の出家の動機が明瞭でなく、現代風の各宗教に共通の祈りの言葉がないものか考えていた所だ。自分にできることとして。
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2007年7月14日(土) |
出家されたいという仏教信者のNさんがおいでになるが、とても自分に人様の師匠になる資格はないので、天台宗の経典だけをお授けする。
僧侶には二種類あって、本尊を背負っている人と背負っていない人がいるのだという視点は興味深い。
今回の台風はどこにやってくるのやら。水解消の期待もあることはあるが。
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2007年7月13日(金) |
昨日も今日も、神仏やその他お参りさせていただくときに、烏が異常に近くで鳴く。逃げもしなければ、何もしない。鳴き方も変わっている。何を訴えたいというのだろう。
辰の刻から始まって、巳の刻には、後始末をする。よくわかるしありがたい。納得しないと動かない、あるいは非力にしても、冗談かと思うほどの場合もある。
流れてしまうのを午の刻に締める。電話で復元、手直し。十分なる心の現れ。
日本史の文章の件、自分に本当にできるのだろうか。
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2007年7月12日(木) |
中国でお世話になり、また円仁のご研究で有名なAご夫妻がおいでになる。初めてのご来院ということで、道順に戸惑われてもいたが、ご満足いただいたものと信じる。
隣の保育所で、子供たちとお会いになって、かわいいねえ、というお言葉もいただく。ライシャワーの人形に「ハルちゃん」という命名もしていただく。
うれしい時間。心とか、行動による思考とか、パターンとか。
夜、久しぶりに高速バスに乗る。音がない空間で外を見ていると、夜景が飛行機から見ているようにきれいに映る。
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2007年7月10日(火) |
辰の刻にちらりと真心が見える。どんな幼稚な形であれよければいい。昨日も。
日光参拝。ごあいさつの必要による参拝となる。水を取り終ると雨が降り出す。滝尾神社。裏見滝、寂光滝。
日光は杉の土地だ。樹令5,600年の木がぼこぼこ生えている。天海大僧正に想いをいたす。次はご本体か。
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2007年7月7日(土) |
都合で寅の刻まで起きている。外で星を見たけれど、曇りでよく見えない。
夕方よりO先生。約一メートル上に金の光。久々に見る。もともと神社があった土地だそうだ。
根本の神は他の神々に勝ちを譲るのだという。そして民衆が神様ありがとう、というのを喜ぶのだと。
そういえば、最近お伊勢様にお参りしていない。
まだまだわからないことだらけ。
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2007年7月6日(金) |
宇都宮市民大学。慈覚大師堂の前でごあいさつ。早かったので、自動車の方向が違える。
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2007年7月5日(木) |
朝の時間にお出迎えと資料渡し。朝からの暑さに帽子は欠かせないし、履物も空気が通らないと。
巳の刻、子供の手直しとて墓参るすることあり。大きな蛇を見たともいう。
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2007年7月3日(火) |
円仁研究で著名な方がいらっしゃるということなので、巳の刻より電話相談。風邪ではないが、のどがいがいがする。
心は言葉に現れる、か。愛語という意味を考え味わう。
今年の夏は山に登ろう、と決めたら、足をひどい毒虫にさされてしまった。大切なとき、ジャマモノを排除する気合いと心を込めなければ。
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2007年7月2日(月) |
昨日の参拝のおかげか、ゆっくり休める。
酉の刻、鐘をつくことあり。ある意味大切な日である。心がある。
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2007年7月1日(日) |
お一日。
到着が午刻くらいになってしまったが、古峰神社に初めて参拝させていただく。奥の院にお参りする、そのごあいさつのために。
帰ってきて理趣分をあげているときふと、意識に感じるものあり。ようやく、漠然と大慈寺の位置がわかってきた。それによってこそ、大慈寺の価値というのもが見出せるように思えてきている。
なぜ裏山の夢を頻繁に見るのか。しかもデフォルメした山であり、意味のある山。それがようやく、だからこそ、知らされていたのか。何とか元の意味合いを復活させなくては。それが人様に役立つことにも通じると信じる。
随分と時間がかかった、と言うしかあるまい。まだ不明の点は多いのだけれど。
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2007年6月28日(木) |
辰の足による音から始まって、巳に改めて書類を出す。
くすみがとてもありがたいものとして受け取る。コーヒーの香りにも驚きつつ。
心と実動とは違うというのを改めて知る。しかし理由はわかっているのだから、そこだけ回避すればいいのだ。
という思いを持ったまま、月も叶っているので、巳に巽に出かけて神社へ。最初から上座の木だとは感じていたが、下座にする。しかし三度でもだめなので、やはり上座にお願いし、本殿にお参りし、心だけ弥栄を願う。後は野となれ、とは思わないが、自分に一体何が別にできるというのか?
そうそう、酉の刻にはキャンパスで叫ぶに似る。
神仏の立地条件について書かれた本。大慈寺も実は男体山が大切、ということ。
月恩会。三種の香。
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2007年6月27日(水) |
昨日の日記風メモを読んでいたように、今日、9時過ぎに外で電話をしていたら、蛍が一匹ふらりふらりと飛ぶ。
あれれ、とみていると、川のそばから飛んで、そして自分の目の前あたりまできて、そして上空に飛んで行った。そしたら、何と、光が消えたのだ。目をこらしてあちこち見てもどこでも光らない。
一体、あんな蛍がいるのだろうか。
こっちの神仏にお参りした方がいいですよ、とお話をしても不思議にいけないときがある。車が故障もしてないのに動かないとか、あるいは無理に行くとよくない状況にあるとか。神仏に方角はない、という人がいるかもしれないが、特別に「この願意」というときには、あるものだと思う。その証拠に、普段では考えなれないような妨げが入るということがあるから。
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2007年6月26日(火) |
辰の刻から業者が入るようだ。黒で決めている。遠くでもよくわかる。
未の刻には、ウサギが井戸の周りを跳んでいる。車の音で逃げていってしまったけれど。
そういえば、今年は蛍を見ていない。飛駒では出ていたらしいけれど。微妙な何かが、微妙に毎年変わっているのかと思うと、何か恐ろしくなる。
そういえば、本でも多数の本が出ている。今までは目にもできなかったような内容のものもある。社会も何かが変わっている。
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2007年6月25日(月) |
酉の刻になったばかりに、車が導かれるように運転する。普通では行かないようなルートなのに。
そしたら突然、正面より心を込めて通じる。こんな不思議があるのかと思う。五日目というのは、一週間以上ではない。
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2007年6月23日(土) |
丑刻まで起きていることがあって、夜空を見たら、雨があがってきれいな細かい星が見える。北極星を目印に探し、天の川の中の白鳥、牽牛と織姫とも見つける。空気がきれいなせいか、久々に細かい星まで見えた。
卯の上刻、亡き師の夢を見る。何ということではないのだけれど。
梅雨なのに真夏のような日。
昨日が夏至だったせいか、夕方戌刻でも空が美しい。南方より空を見ると、諏訪が岳に向かって大きな鳳凰のような雲が東からかかっている。何とも優美な姿。
そして西をふと見ると、これまた変わった形の雲が出ている。雲は横にたなびくというのが普通だろうが、縦にたなびく雲がある。細く竜巻のあがっているような形。もしや煙かと思って目を凝らしても動かず、やはり雲である。まるで土の気が天に上っているようだ。その上には明星が存在感を示している。
夕刻の何ともいえない小野寺のひと時。
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2007年6月21日(木) |
本当に久しぶりにリラックスできる。長くたまった言葉が次々に出る。三十分。
巳の刻に計算して、笑いが何度も出るようではないと、本当ではない。ありのままではずかしくない、という気持ちがないと笑えないものだ。その気の余韻にひたる。
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2007年6月19日(火) |
辰と酉で合局。なるほど出入り。草とつるを取る。作業にほほえみ。
墓参りをされると、不思議に水の模様が出る。大丈夫ではないかと思うのだけれど。だけど、もっと片意地をはらないでくれればいいのに。金じゃないのに。
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2007年6月18日(月) |
地元S紙に、昨日栃木県北で太陽に暈がかぶっていたという写真が一面に出ている。
ドア音、あじさい。未刻に、ある土地神にお参り。二か所。仲を取り持つ神に神と。川沿いという立地条件からか、西を向いて拝む。山の神とは気がまた違う。だから近辺の家の造りも南北に長い。道路に沿っていたりすると、プライバシーがなかろう。保気も。山と川の合流をすべきか。出向いて。
申刻に木を削る。作って時を待つ。
そしたら、酉刻にお導き。左からの動物は、決してマイナスだけでなく、何かある、注意しろ、というシグナルのようだ。だからプラスのときもある。二度も、タイミングを計るように、ぐりぐりと来る。
申刻に、Sさんという年配の女性がお見えになる。自分は他の人と違ってお寺詣りが趣味だ。今まで坂東三十三ヶ所を五回もやった。子供たちに朱印帳を一冊ずつやって、残りは自分で持っている。その一冊を、がんの手術だという人に、ひらめいて貸してあげた。ずっと枕もとに置いておいた。そしたら、今ではぴんぴんしている。お寺にお礼参りをしたいと言っている、という話をされていた。
貴重なお話をお聞きする。
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2007年6月15日(金) |
東京の狭い部屋で細かい文字を読んでいた。確かに魂が飛んでいたようだったのだけれど、酉の刻、夕日が入って自分の影を作る。夕日がビルの窓に反射し、その光が窓から入り、それが更にガラスに当たってこちらに入ってきたのだ。
皇極経世の解説本を買う。知らないことが多い。だけど応用が利きそうだ。
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2007年6月14日(木) |
辰の刻から梅取り。ごあいさつ、十分意識していただく。
申の刻に吉報。あわてないように、気をひきしめるようにとお話をする。
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2007年6月12日(火) |
少し強引になってしまったけど、午の刻に花を咲かせる。その土地の繁栄は、その土地の神の気持ちであろう思うから。
日曜日の山の気の力もあってやる。Kさん相当かぶっていたらしく、変わりにこちらが重い。だけどすべきことだけはしておかないと。チャンスは二度は来ない。あとはお任せ。
そういえば、一昨日の水は、本当においしい。まろやか。単なる沢で汲んだ水なのに。目が丸くなる。
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2007年6月10日(日) |
午前中、三鴨山に落雷があり、中学生九人が軽傷を負ったという。
時の記念日。横根山。雨の修行。雷が山下から山上に来るという珍しい状況。極めつけは、横光、傘に放電。
確かに朝のごあいさつと同じ状況になる。いやはや。
前日光は、男体山から伏流水が来るのだという。粟野町は途中から全然雰囲気が変わる。山というか、違う世界に入っていく。
鍋山(御岳山)の威様。そして永野地区の植物。皮をむいた表面。焼やし供養、これは使える。
NPOにかかわる人の家を走る直線。そして横根山へ。これを解明したく、・・またお邪魔いたします。
夕方、驚くほど明るい明星が存在している。
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2007年6月9日(土) |
午前中に、ゼファーの方々の田植え。少し雨まじりの天気だが、みなさんに満足してもらえたようだ。
午後から東洋関係のお話あり。いくつかメモすべきこと。
釈迦三尊像というのは、文殊菩薩と普賢菩薩だが、あれは華厳経の入法界品の逸話によるということ。
また水戸光圀は、儒教式の葬儀を行い、朱子の「家礼」に基づく部分が多いということ。仏教式の位牌は儒教の神主のものからできたのであろう、ということ。中国ではこの儀式は途絶え、韓国や台湾に残るということ、など。
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2007年6月8日(金) |
辰の刻、対応によって心を知る。すなわち、満腔の心配りの状態により、心根を知る。口に出さなくても、それだけでいいのだと思う。時を待つ。
巳の刻、心勇んでいると、導かれるように偶然に出くわす。
午の刻にだって、久し振りの古本屋に引かれるように入っていく。珍しい本を見つけて買ったら、十分前に店に出したばかりだと言われる。大切に使わせていただく。
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2007年6月5日(火) |
辰の刻にごあいさつ。人という字が、支えあってできているように、人間には心が何かに依存するということがある。だから、出すことも大事だが、受けることも大事。ゆっくり走る。遠くに合う。
昨日の六観音の伝法から、何か心が興奮している。一つ一つ法が積み上げられる、そんな感じ。そういえば、昨日は宗祖大師のご命日。
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2007年6月4日(月) |
昨日終了した県立博物館の「慈覚大師円仁とその名宝」展は、H研究員のお話によると、通常の二倍以上の人出で、大成功であったということだ。
何よりも関係者の方々の努力に感謝申し上げたい。
この次は仙台と滋賀とである。行けるだけは行きたいと思う。仙台ではまた延年の舞もあるというし。
今日も弁財天にお祈りをして終わると、地面の底の方から、ドドド、ガタガタガタと地震が起きる。何とも気味が悪い。
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2007年6月2日(土) |
普通あまりないことだが、昼間のある時間に、たまたまお祈りをしていて、そしてたまたま、今日だからこその祈りのときに、大きな地震が起きる。かまわずに祈り続けていたが、終わったと同時くらいにあちらも終わる。何というか、空間のずれが必要なことなのか。何なのだろう。
何か最近偶然が重なるし、見えない作用があるとしか考えられない。
この地方、震度4。
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2007年6月1日(金) |
お一日のごあいさつ。
一日早かったのだけれど、明日がだめなので、今日動く。間接的だったので、がっかりしていたら、車の右折時にお知らせがある。偶然といえすごい偶然。
そして車を走らせていたら、どこからかローレライの一節が耳に入ってくる。「・・魂も迷う・・。」何とも珍しい音楽だこと。
一体何なんだと思う。おそらくこれが、自分の宗教家としての方向性だろう、と漠然と思い、決意してから、勘のようなものがすごい。驚いてしまうほど。だからこの方向性でいいのだと感じている。
ともかく、大きな節目に心を込められた。それに時間を経てからも手ごたえあり。
夜に満月が出る。暗い部屋の隙間から、自然のライトが照らし込む。蛙が鳴く。田んぼが光る。
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2007年5月30日(水) |
東京のY師が、比叡山のF堂で断食108座の護摩を終了されたということで、報恩のために、伝教大師ゆかりの寺院を歩いて参拝されておられる。
今日は大慈寺にお泊りになり、明後日は緑野寺さんだそう。明日は4時頃出発という。
行を終えたばかりの方は、どことなく違う。
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2007年5月29日(火) |
昨日の月恩会では、少し力を入れすぎただろうか。
辰の刻、陰遁最後のごあいさつ。また立ち止まり、うれしさあり。
昨日沢ガニを取っていた保育所の子たちが、今日は山に登っていた。
先住の教え子というHさんがごあいさつにみえる。藤岡町の部屋から三十分くらい。二十年前を思い出し、奥の院で歌を歌っていただく。
住吉様へごあいさつ。生活圏でも、心の中で訴えることに従う。鏡。
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2007年5月27日(日) |
昔の本を見直してみる。随分と見落としているものがある。いつか自分に役に立つだろうと思っていたもの。今しかこれは利用できない。
Cホールで人形供養。形のあるものに霊魂が宿る。そう考えて持ってきてくれた人たちだ。だかたらまだ、日本人の心には神仏が住んでいる、と思う。
法話、少し口が滑りすぎたかもしれない。
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2007年5月26日(土) |
明け方夢を見る。裏山や近くの山がきれいに掃除されて、奇妙な形の木だけが残る。それで太い切り株が山から落ちてきて、仮本堂を押しつぶし、庫裏を回転させる。火事ではないので、本尊仏は大丈夫だろうと考える。
そしたら本堂の中にいて、空の雲が様々な形になっていて、それを知らせようと思ったら、大きな物体が旋回していた。それを誰かに伝えている。
巨大恐竜の骨があったり、野球選手がキャッチボールを始めたり、旅立つ人がいたり・・いやはや、何とも奇妙な夢だった。庚申様。
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2007年5月25日(金) |
はっきり見えなくても、心が通じるとパッと浮かぶことがある。うれしさあり。
古い本の見直し。
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2007年5月24日(木) |
昨日の真夏日に続いて暑い日。
大慈寺のHPだけをごらんになっている方は、大慈寺がものすごい大きな寺のように見えるらしい。残念ながらそうではないのだが。
何十年ぶりに東洋文庫の図書館に行く。時代の流れは感じたが、受付の方たちが丁寧なのに感動する。
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2007年5月21日(月) |
遠くなのに声が聞こえるのは、意識がそちらへ向いているからなのだろう。向こうの意識ももちろんあるだろうが。
本堂に入るとすぐ、買ってきたばかりの百合の匂いがする。百合の影響力に驚く。匂いのない百合もあるそうだけれど。いつも百合のお線香を焚いているような感じだ。
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2007年5月19日(土) |
慈覚大師円仁とその名宝 |
県立博物館で後半の展示物を見る。御首像がないのはさすがに寂しい。
知人の関係で、中国の方々も見に来られる。とても熱心に見られている姿に、こちらが感動。それに、英語のできる方だったのでコミュニケーションが取れたのもうれしい。
元中国大使夫人のV阿南氏の講演。画像も音楽もいい。実際に中国に住んでいての写真なので、普通旅行者の視線ではない。
誕生地の話・・うーん、皆さん思い入れがあるということは、円仁様の人気の証拠、ということか。
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2007年5月18日(金) |
辰の刻にあちこち動く。自分で意図していたことがあっても、相手方もより深い希望を持っていることにでくわすと、意外な感じになる。気は言葉として出る。
一つ一つ積み重ねるように話をするというのは苦手だ。だからこそ、そういった発想であり訓練が必要だ。
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2007年5月17日(木) |
人様のお話を聞くというのは大変なこと。もう一度、宗教のあり方を問い直す。どこまで宗教は現代人に役に立つのか。
鈴の音に、十年前の気持ちが、ありありと蘇る。必ずそばにおいでになる。
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2007年5月16日(水) |
古本屋で祝詞の本、1万5千円を千円で手に入れる。ご縁と感謝する。
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2007年5月15日(火) |
なつかしい記事一つ。
今はもう25年も前の知人である人の、16年前までの活動をネット上で知る。なぜであろう、涙が出る。お互い苦労した時代。もう連絡する手立てもないのに。特徴ある名前が決めて。
ご縁のある場所がはしかで2週間お休みとなる。
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2007年5月14日(月) |
ごあいさつ。久々に真正面から、達成感という人間心がいっぱいである。山を征服したような。
昨日来られた同門のMさんは、自分と感覚が近いようだ。彼はこんなことを言われていた。「神は神社にいるとかいないとかいうことはあるけれど、仏は自分の心の中にある。」
価値あるお言葉としていただいておく。
それに対して今日来られたNさんは、仏専門で神様は合わないらしい。
いろいろな方がおいでになったり、ご縁ができたりする。
今年の4月27日に、わたらせエコビレッジのNPO申請が下りた。これで正式な名称を使用できる。略すとWEVとでもなるのか。下唇の上に歯を置いて・・。
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2007年5月11日(金) |
慈覚大師円仁とその名宝 |
脚本家のTさんたちと再び県立博物館へ。
慈覚大師円仁御首像に三度目の参拝ということもあり、心にすきがあった。入口に一番近い所に祀ってあり、その像の近くで人を待っていたら、突然頭から首、特に首の後に衝撃を受けた。何というか、禁足地に入ってしまったような気持ちになった。聖なるもの、立石寺の方々が毎日、この御像に対して、御魂あるもの、生きるがごとくお仕えしている、ということを忘れてしまっていたのだ。あるいは形に慣れたので、心の世界に意識が行けたということかがあったのかもしれない。
そこで参拝客が少なかったこともあって、改めて、常々心に思っている宗教のこと、人助けのことなどを申し述べる。そうすると円仁様が、柔らかく、言うまでもなく、それでいいのだよ、と返答していただいたように思えて涙が出た。
第256代、半田御座主様。座主猊下も御首像に頭を深々と下げられていた。
音楽劇以来の、様々な感謝などを述べ申しあげる。そうしたら、堅くなってよく聞き取れなかったが、励ましやら、ねぎらいやら、ありがたいお言葉の数々を肩を抱かんばかりにかけていただく。
歴史と現実とが一体となって自分の感覚を襲う。円仁様のお導きと感謝するのみ。心新たにするのみ。
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2007年5月10日(木) |
諏訪が岳の上に、映像が出ている夢を見る。多くの人の助けでさせてもらっている。去年も同じ時期に、見た夢も似た内容のものだったような気がする。
朝、神社にお参りしたら、拍手と全く同じリズムで鳥が鳴く。数十秒間も続く。やめたらあちらもやめる。うーん。
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2007年5月7日(月) |
連休あけ、心はずむ。そして暑い日となる。
何か自分の体が充実しているようで、次々に話を進ませる。人のおせっかいにも首を突っ込む。
感覚として、自分がこれでいいのでは、という感触に従ってみることにする。
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2007年5月6日(日) |
慈覚大師円仁とその名宝 |
立夏。昨日の観音様の話の流れから、神仏の探究のありのままのお気持ち。諾。
真岡合唱団と円仁合唱団の方による、音楽劇「円仁」の歌と語り。
歌や語りにその場面が蘇る。ふと涙ぐむこともあり。この喪失感ともいえぬ、過去の栄光の日々を回顧するような気持ちは何なのだろう。それらの場面は一つ一つ美しすぎた。
慈覚大師円仁の御首像を再度拝見。
多くの円仁象を見ると、いかに多くの方々に、しかも長い間円仁様が信仰されてきたのかがよくわかる。
大慈寺においでいただく方は、本当に大慈寺をよくしようというお考えでおいでになる方ばかりだ。ただし各自そのお気持の出し方が違う。こちらはそのお気持ちがぶつからないように、調整もしなくてはいけない場合もある。
昨日の騎龍観音のMさんだって、写真に自分もうれしかった、とお話いただいていた。
そういえばMさんは、今度中国大陸で写真展をなさるそうだ。何かが変わる。
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2007年5月5日(土) |
浅い眠り。同級生の夢を見る。
花まつり。五月五日とて、神仏の重み。
五十名を超す小学生の参加者。足洗いのハイキング。お茶、謡曲、演歌、駄菓子屋。
昨日もそうだが、今日もどうかと思って行動する。しかし何のことはない、先方さんからおいでになる。
円仁まつりのときの、龍に乗る観音。龍はわかっても、観音の姿に驚いた。龍はかつて見たようであるが(意識の底で)、観音は自力でもあり、他力か。他力がどこまでなのか。とすると、こんなこと自力ではない。やはり他力。
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2007年5月2日(水) |
八十八夜で満月。
今日の法事で記録しておくべきこと二つ。
今は使われていない霊柩車は、昭和20年代に、大慈寺のかごがあまりに古いので、多田のお寺さんが霊柩車を新しくしたときに、そのお古を、誰かの紹介でもらったということ。
もう一つ。昔の小学校の担任の先生で、貧しい家庭の生徒のために、修学旅行のお金をこっそり積み立ててくれていた先生がいた、今でもその先生の恩が忘れられない、という話。心のよろいを着けずにこういう話を聞くと、涙が抑えられない。
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2007年4月30日(月) |
国学院栃木短大の酒寄先生を中心にした120名の方々が、大慈寺にもお立ちよりになる。
慈覚大師円仁にかかわる栃木県内の史跡を巡るというもので、今回の県立博物館の円仁展とのかかわりもある。壬生寺や大平山神社、大山寺、たらい窪などもおいでになるようだ。村檜神社にも参拝される。
いや皆さん熱心な方たちばかりで、こちらが圧倒されてしまうようだ。昨日のシンポの発表者の方々もおいでになっていた。NHKも同行取材もある。皆さんが満足して帰られらたそれでいい。
夕方からは藤岡の元あきつ亭さんで、作業場の完成を祝う。気のいい人たちばかり。
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2007年4月29日(日) |
慈覚大師円仁とその名宝 |
県立博物館で、円仁にかかわる国際シンポジウム。10時から5時半。見るだけでもけっこう体力がいる。
回りを見ると、参加されている年配の方も目立つ。180名の定員がすぐにいっぱいになったということだ。
それに、聞くとはなしに回りの人の声を聞いていると、27日のNHKラジオ深夜便で流された玉城妙子さんの話をしている人もいる。何か急に慈覚大師円仁が注目されている。栃木県でも円仁が栃木出身だということを知る人が少ないという。今回の事業は本当に大きな意義がある。
内容は学術的なもので、韓国や中国の学者も参加されていた。思想というより歴史の専門の方が主体で、歴史もなかなか面白い、と関心を持ち始める。
しかし今回の企画、Cさんをはじめ、スタッフの方々は相当大変であったろうと思う。すごい熱意によって進んでいるのがわかる。
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2007年4月27日(金) |
電話で神仏の話をしている途中、ふと見ると、天の真澄鏡ができつつある。10時半ころ。そのあと5月5日の花まつりの資料を配って建物から出てきたら、はっきりと形になっている。
その後駅に行くのに車で出かけ、気になっていることに関して、最初の車のナンバーで☆☆41(よい)とある。
静和で車を止めて降りてもまだある。でもここでは飛行機雲が真ん中を通過、ちょうど真半分になるような形である。それが時間とともに降りてきて、3分もしないうちに、完全な円形に戻る。
これと同じ様子を、平成12年の4月30日にも見たことがある。自分が住職を拝命した年だ。
輪の中は透き通ってはいなかったが、輪の内側が赤系統の色、外側が青系統の色と、虹のような姿になっていた。強烈な磁場が頭から注ぐようだ。
電車に乗ったあともしばらくあり、藤岡、板倉あたりまで見えた。終わったのが11時10分前頃。
これは一体何を意味しているのだろうか?
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2007年4月23日(月) |
昨夜本堂の裏の方から、石笛の音のような鳥の鳴き声がする。はじめて聞く。ぴーっと、長い高い音であり、耳の錯覚かと思ったが、何度も鳴き続けていた。
そしたら夢に石笛を二個手に入れた夢を見る。そして目覚めたあと、あるお店で、人工的に作られた石笛を見る。
栃木テレビの取材。月恩会。
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2007年4月21日(土) |
慈覚大師円仁とその名宝 |
今日より栃木県立博物館で表記の企画展が開催される。それに伴い、「天台声明・延年の舞」の公演がある。
天台声明は、栃木県天台宗仏教青年会によるもので、一年も練習してきた胎蔵界曼荼羅供養法会である。いろいろな音律があるものだと思って聞いていたら、一曲だけ、二十年も前に千妙寺で潅頂を受けたときに聞いた曲があった。不思議に心に響き、今だに旋律を忘れていないものだった。それは「唱礼」というもので「数ある声明曲中、昔の節の名残を持つ曲といわれています」という説明が書かれていた。
延年の舞は毛越寺の方々によるもの。全部で十数番あるそうだが、そのうちの「唐拍子」「若女禰宜」「花折」を演じていただく。
唐拍子は、言葉が何ともわからない。「そよやみいゆう・・」当事者の方々も意味がわからないらしい。これは子供が二人踊るもの。最後の花折も子供二人の舞だった。
若女禰宜というのは、何とも言えない間のある曲である。若い女巫女に扮した僧侶が、曲なしで鈴と中啓を手に舞うだけのものだが、いやいやすばらしい。そこに途中から幣を持った男性が入ってくる。そしてその二人の踊りの絶妙なこと。全く二人は別々に踊っているのだが、それでいて不思議な統一感がある。全く異質なものがいずれ一つになっていく、そんな予感がする。平たくいえば、なまめかしい奥深さを秘めているのだ。これは本来の意図する意味あいとは違うかもしれないが、自分にはこの舞が、玄旨帰命壇の名残りであるように見受けられた。
この三番とも間違いなく、神仏のうちの神にささげられたものであり、摩多羅神をさらに心惹かれるものとさせている。
公演の後展示を見る。五月半ばに入れ替えをするということだがその前半だ。
大慈寺からも出品されているが、今回何をおいても素晴らしかったのが、立石寺の御首像である。思ったほど大きいものではなく、写真で見ていた通り、細かな彫がなされていた。額には三本の線が彫られ、まぶたと眉は肉厚であり、法令は長くあごまで垂れている。耳は仏像のように大きな形をしていたが、円仁そのままの面影を伝えるという一級の文化財である。
もしこの像に触れたならば、温かさがあるではないかと思った。この決して大きくはない像に自分が感じたのは、この像を彫った人の魂の名残りであり、この像を1200年守り切ってきた人々の厚い信仰心の蓄積である。
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2007年4月20日(金) |
穀雨。辰の刻、やはり人間依存しなくては生きていけない。疲れていて思考が遅いときでも、人が思い起こさせてくれることもある。
昨日は隣の保育所の子たちが遊びにきて、山に登ったり、花を見たり、石を触ったりしていた。
そしたら先生の指導なのだろうけれど、円仁立像に手を合わせて(たどたどしくてよく聞き取れなかったが)、「ご飯全部食べられますように」とか、「友達と仲良くできますように」とか、思い思いにお祈りをしていた。何てかわいい姿だろうと思う。3,4歳の子たちだった。
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2007年4月17日(火) |
隣の栃木市では、議員の選挙が始まっている。28人立ってそのうち20人が当選だそうだ。知人も立っている。
心身症のお話。文化会館のお話。デザインのお話。
酉の刻に、ライシャワーの人形。斜めの線をあらためて確認する。
勘なのか、こちらが呼び込んのか、遠くから知ってもらえる。あたかも待っていたかのように。
しかし心静かに。静かにしなくてはならない、ということにうれしさがある。根本を変えるはずないではないか。まごころこめて。
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2007年4月15日(日) |
十五日で神社まいり。ありがたさ。春のお祭りでもあったようだ。どなたのことも全部見ておられる。
昼間、ふと空を見上げると、うっすらとだが、天の真澄鏡。今年は初めて、というより久々だ。
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2007年4月14日(土) |
昨日の夜からずっしりした感触があって、それを思いもかけない形で、朝知る。心の準備と日の関係で、改めて出直そう。
明け方夢を見た。大きな岩が隣の神社から落ちてきて、神社の建物だけでなく、大師堂まで少し傷が付くというもの。
一体何の暗示なのかと思っていた。そしたら朝神社の鳥居が完成しており、拝殿までは行かず、結局は行けばうれしいことがあったのに行かなかった、ということがある。またその後大平町のお寺さんに参拝、そこの山の上に大きな岩があって落ちてきそうだ、という話をする。さらに、家に帰ってから大師堂にすきまがあって、すこし不完全な状態にあるということを確かめる。
なるほど、こういった今日のできごとを、ごっちゃにした形で暗示していたようにしか思えない。ともかく、なぜだか知らないが、夢が知らせてくれていたのだということを知った。
そういった夢をみる場合は、何となく体があたたかい。
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2007年4月13日(金) |
PCが何とか復帰。
久し振りに入学式の話。恥ずかしいという気持ちは大切だが、こだわるのもおかしいのではないだろうか。東京でなければ、悪くはないだろうけれど。
何の気負いもない、自然体にいられることの大切さ。
雑誌の謹呈。駈けていく、ただそのうれしさもあり。
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2007年4月10日(火) |
小学校の入学式。
今度の円仁展でお世話になっているS教授がいらっしゃって、情報交換する。
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2007年4月5日(木) |
一昨日の夕方から、烏が数十羽集ってきていると思ったら、昨日と今日と連続で烏が墓場でいたずらをしている。花を散らかして、線香の灰をばらまいている。そしてまだ燃やしていない焼却場のごみを荒らしている。
まだ来たばかりの烏なので、この場所の仁義を知らない烏なのだろう。地元の烏との融和とかはできるのだろうか。ある烏は教えてくれる烏なのだが。
なぜか、寅の刻に目が覚める。
辰の刻に神社参り。今日はゆっくりしようと思い、見事にストライプの心のごあいさつ。
随分と靴を清めるのに大きな音がするものだ。大きな音も心に響く。
神社の石畳を替えるというので、工事をされている。土曜日のごあいさつ。遠くに心も動かす。
夜、月が久々に完全な顔を出す。窓からライトのような白い明かりが差し込む。
今日読んだ本で、気になった情報。五度の岩戸閉めを易で解釈した人がいて、乾為天の下爻より変じていき、天風コウ(女へんに后) 、天山遯、天地否、風地観、山地剥として説明ができるというものだ。
内容が正しいかどうかわはわからないが、興味深い。そして最後に大地(坤為地)が控えているというのが面白い。
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2007年4月3日(火) |
雨であったが、午の刻にMさんが木材を取りにこられる。古いもので使えないものも多いが、古くて貴重なもののようだ。いたずらに腐らせてしまうより、大いに活用していただければ、木材にとってもこれほどよいことはない。
車が混雑していたのは、儀式であり礼服であったからだ。
酉の刻にも、烏が教えてくれる。烏の鳴き飛ぶ方向を見る。
夕方より曇り、夜になると、朧なるほぼ満月が浮かぶ。西行の夜には遠く、桜を明瞭に照らしはしなかったが、ほの明るい足元の大地がじわり、春を伝えている。
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2007年4月2日(月) |
今日、唯一心に残った言葉。
哲学やら過去の文献読解にどのような価値があるのか。その結果何が成果として、文章として表現されるのか。
それは「人類の財産」を作ることである。だからこそ、現代科学にも匹敵する価値がある。古い価値のないものではない。
おそらくそれが答えの一つであろうと思う。この年にして、哲学的な意味での衝撃を受ける。あとは実証のみ。
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2007年4月1日(日) |
子の刻から思っていたが、意外にも辰の刻に、新年度のご挨拶となる。桜は三分咲きだからかピンク。休日だし。
時間で計算というのはできない。後で結果としてわかることもある。
昼食前、午の刻の法事のお墓参りのときも同様であった。
今度栃木県立博物館でやる円仁展の宣伝が、連日多数されており、いきおい、大慈寺も言及されることとなり、その影響か、大慈寺にも多数の方が参拝においでになる。今日は声をおかけした全員が始めてのご参拝ということだった。
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2007年3月31日(土) |
久々に、あるお墓参り。一歩、また一歩。文字も。
今日を含め、この数日の間にありありとしたデジャ・ビューを二回見る。
夜、どしゃぶりとなり、春雷が鳴る。
昨夜は月の回りに、雲による輪ができていたので、今日は雨かと予想していたが、昼間は曇りに近い状態だった。
この寒さで桜の開花も、この近辺では少しお休みかもしれない。
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2007年3月30日(金) |
年度末、配属部署が変わる人がいる。聴くとはなしに聴いていたラジオ番組も、二十年やっていたが今日終わる。もちろん動かない人もいるが、人が動く時期。
春に新学期が始まる日本だが、これは日本であるからこそ、太陽の昇る国だからこそ可能なのだと思う。だが、時代の流れ、西洋流の思想や感覚に基づけば、西の時期より始まるという考えが出てきても仕方がない。日本の中だって、東と西では違うのに。
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2007年3月29日(木) |
東京学芸大の桜を見る。ライトアップされて見事。東京は八分咲きくらいか。桜の上に月が出る。
なかなか縁がないと買えないものというのはあるが、開店時間とタイミングが合わなかった古本屋に出向き、心おきなく買い物ができる。新本の三分の一程度の値段で各種の本を手に入れる。
こういう楽しみをもって顔を出せる古本屋は少なくなっている。多くの人に知られないけれど、マニアが集る店。あのご主人にはいつまでもやってほしいものだ。
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2007年3月28日(水) |
近しい知人が、伊東静雄ファンだったということを知る。自分も二十年以上のファンだ。その話をしていて、静雄に関する話題の中で、島尾敏雄の話も出た。
そしたら今日、島尾敏雄の未亡人がなくなったという記事を読む。偶然だけれど、相当な確率の偶然だ。
もう十数年前のことだが、島尾敏雄の講演会あがって行こうと思っていたが、出そびれてしまったことを今でも後悔している。
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2007年3月26日(月) |
辰の刻に大平山神社に参拝。重要な場所で、数年前と地形が変わっている。
多くの方のお力を得て、自分の発表をさせていただく。まだ二時間くらいかな、と思っていたらあっと言う間、五時間も経過していた。本当に時間の感覚というのは主観的なものだ。
だがほぼ目安ができる。あとは独りで孤独な作業と六月の準備か。
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2007年3月25日(日) |
明け方布団の中で、心から安心している自分を感じる。昨日までは心のどこかで、そうではなかったのだろう。
瀬戸内寂聴著「女人 源氏物語」(五巻、集英社文庫)を読む。何とも身近な源氏になる。そして現代風な視点を取り入れれば、このような世界があったのだろうと想像するのに十分の小説だった。
なぜだろう、自分はこの時代の生活に異常にまで惹かれる。自然の描写などを見ると、その時代に生きていたことを思い出す、という錯覚にまでなる。
同門だからというわけではないが、瀬戸内氏の文章の魅力、特に女性の立場から描かれる心理といったら、これまたこまやか、原文以上に深い所までを探っていてくれているのが素晴らしい。
無理をせず、何かの機会があればまた、石山寺を訪れてみよう。
そういえば、Mさんの写した写真に、石山寺の屋根に龍が写っていたと話されていた。
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2007年3月23日(金) |
春の日、改めて辰の刻に確認をする。
当初は、暖冬で桜が早いといわれていたものの、予想程は早くないようだ。やっとつぼみが咲き出した程度、これなら四月にも間に合うだろう。
昨日、画家のTさんが面白い話をしてくれた。自分は自然を主として描いているのだけれど、どうしても心惹かれる場所というのが時々出てくる。そうしてそこを描くと、その後に、その場所が壊されたり、変形されたりしてしまうことがよくある。これは自分が、自然に呼ばれるのかもしれない、と言っておられた。
なかなか名言、本心から自然と向き合っている方だからこそのお言葉だと感じた。実はつい最近スケッチを始めた場所があり、そこも近い未来に変形されてしまう場所らしいともおっしゃっていた。
このTさんの描く場所が、減るでなく増えていくようにしなくてはならない。「自然」の概念が、都会の人と田舎の人では違う部分がある気もするし。
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2007年3月22日(木) |
暖かな日。お彼岸のこととて、平日だが多くの方がおいでになる。
参拝者との対応、塔婆受け渡し、無縁さんの整備、ゼファーの写真撮影、境内案内、ハイキング案内、駅に送迎、檀家さんの住所録、Tさんの個展案内、農作業、材木探し、仕事の設定、夜の仕事、書類作成、相談事の相談・・。多くの業務を終える。
心にかかっていたことが解決する。確かに烏が教えてくれていたし、今朝も烏がいたし、間違いないとは思っていたが、やはり答えを見ないと確証を得られなかった。・・神仏は、何と疑い深い人間かと思われていたに違いない。
どちらにしても平常心で。間違いなく快哉なのだけれど。
一方で、知人が職場を異動になって出て行ってしまう。これは悲しいこと。もちろん、縁が切れるわけではないのだけれど。六年もいたのにいなくなるというのは、何とも寂しいものだ。
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2007年3月20日(火) |
小学校の卒業式。それにしても挨拶というのは苦手だ。来賓の数も増えていたし。挨拶慣れしている人の顔を、つい見入ってしまう。心の触れ合いもあり。親しみという意味も含まれる。
夕方金星の下に、一日目の月が細く細く浮き上がる。
夕日は自ら輝いて、この瞬間しかないリアリティーを持っていた。夕日は山際、遠くにあるけれど、夕日と自分との空間には、何物も存在していない。直接のぬくもりである。
もし人が死ぬときに最後の夕日を見るならば、こんなようなに見えるだろうと感じた。
そういえば、明日は彼岸の中日。昼夜の長さが同じ。西方浄土が極楽、彼岸とすれば納得できるか。
言霊の神秘を思う。どうして特定の言葉には、不思議な力があるのだろう。それこそ不思議で仕方ない。
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2007年3月19日(月) |
今日は九州と北海道で部分日食があったらしい。
辰の刻、駐在さんのお仕事。お疲れ様である。
そんなおり、心の触れ合いがある。人とは寄り添って立つもの。もちろん、心という点で。
栃木のSさんの発願によって、今日、足洗いの詰石の場所の足場が整備される。多くの人に参拝いただきたいという願いに基づく。石を少しでも崩すというのは心がとがめるが、時代の流と、Sさんのお心を考えると、少しならば許されるであろうと思われる。信じたい。
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2007年3月17日(土) |
昼前に、奥の院に登る。音の出ない笛を吹く。音は出ないが、頭らか光を注ぐ太陽に手に届きそうだった。
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2007年3月16日(金) |
昨日の夜からであり、辰の刻に意識が延びて実現する。
指示がだめだったのだけれど、祈りにどれだけのものがあるかと思っていたが、結局指示通りとなったことを知る。
結果がわかったからよし。あとは心のケア。神仏に祈る。
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2007年3月14日(水) |
今朝、寅か卯の刻に夢を見る。霊地を参拝している夢。山の上のような場所。どちらかというと、神に近いような気がした。
そこには護摩壇があって、僧侶たちが護摩を焚いている。仏式と神式の護摩を交互にやるのだと言っていた。確かに神式では、清めの印のようなものを結んでいた。自分もそこで、特別に護摩を焚いたような気がした。年配の僧侶が、若い僧侶を指導したりもしていた。
護摩壇は普通にしつらえてあって、肩に力を入れて、さあ護摩をやるという感じではない。日常そのままの自然体のままで護摩をするという感じ。それでいいんだよ、と自分に教えてくれている気もした。
また彼らは、そういう宗教儀式だけで生活をしているらしかった。
その場所は、大慈寺のような気もするし、違うような気もするし、それは過去の出来事ような気もするし、現在行われている様子のような気もした。米山まで護摩の木を取りに行ったりもした。
この夢はもちろん、潜在意識の生み出したものであろう。しかし幾分、何かメッセージ性のようなものを感じないではなかった。その夢の意識が目覚めたあとも、ずっと残っていた。
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2007年3月13日(火) |
仏教思想の権威、N先生のご講演を聞く。その話術に引き込まれるようだ。話の内容もさることながら、その視線の配り方、間合い、声のトーン、なかなか真似できない味わいがある。
大乗仏教の中で、慈悲が先か智慧が先かというお話。智慧を持った人でないと、本当の慈悲が行えないというのが普通の考えだが、竜樹のように、慈悲がなくては悟りの智慧を得られないという立場もある。つまるところ、両方が必要なのであり、我々は低い次元から始めるべきではないか、という結論だった。
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2007年3月12日(月) |
夜、駅まで迎えにいく車の中で、西の山際に金星が輝く。もう頭上では恒星も輝いている。これらの星にすべて意志があるとしたらどんなだろう、というとてつもない想いをいだく。
帰り道、石橋自治会の所を走っていたら、突然明るい星が出現して、空を流れていく。シリウスを10倍位明るくした白い星で、北極星の上あたりから左斜めに、諏訪が岳の暗いシルエットの向こう側へ落ちていく。
「流れ星だな」ととっさに判断したが、しかし、その星が消えないのだ。蛍光灯のような光の大きさを保ちながら、音がするでもなく、消えるでもなく、煙をあげるわけでもなく、明るい光のままでまっすぐに落ちて行く。その上、墜落の音も震動もしなかった。目測では墜落場所は、葛生か田沼のあたりに思えた。
その時間はせいぜい3〜4秒。時計を見たら八時十分。とても車で追いかけてはいけない場所なので、追跡のことは考えなかったが、その場所に、何とかして行って見たいという気持ちも起こる。
あの光るモノは一体何だったのだろう。
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2007年3月10日(土) |
長年戒名のついていない俗名の仏を供養してきた人、また宗教の関係で僧侶を呼んでもきてもらえない人の話を聞く。たまたまそういう人と同じテーブルに座ってしまう。この両方の人とも生活がうまくいかなくて苦しんでいる。こういった問題はすぐに解決できる問題ではない。個人の問題ではなく、菩提寺の問題であるからであり、また金銭のかかることになると、いくら最良の方法を指示しても現況でできないこともあるからである。そのために、その金銭を手に入れる方法からしないとだめなこともある。
世の中に何と悩みが多く、しかも基本を外して苦しんでいる人がいかに多いのかに、改めて驚く。また誤った信ほど恐ろしいものはないことも知る。本人には信でも、外へはエゴである。
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2007年3月8日(木) |
大洗磯前神社にお参りする。9時頃到着。約片道150キロで3時間。
お参りのあと、海を見ていると、何だかにやらで午の刻になる。陰陽と穴。感謝しつつ実験。こちらの意図とは違っても、自分に相応しいものとしか考えられない。今はわからずとも、ひたすら感謝。
海に向かう鳥居を拝していたとき、岩にたまった海水に太陽が反射して、真夏の日のように輝いてまぶしかった。海を見ていると魂が呆然とする。
絶えることのない、打ち寄せる波の音と、引いていく小砂利の音と、水につかって宝石のように輝く波打際の石と、神います御社のある森を見ていると、何事も忘れ、別世界にいるような気がしてくる。
荒れる波と静まる波を見て、数を重ねる大切さも知る。
あることを考えていたが、やはり神の関係のようであり、申の刻に念押しのような偶然もある。
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2007年3月6日(火) |
やっと啓蟄となる。暖冬だから、虫はもうたくさんいるし、蛙ももういるという。桜は開花が早いのではないか、と予想しない人はいない。
辰の刻に建物に入ったあとも、改めてそうだし、巳もそのような気がしたし、未の刻にも両者とも意外なことがあった。ありがたいと思う。人は心で支えあって生きていくということだろう。
新しい小野寺の風は、間違いなく吹き始めた。今日も新しい方との出会いがあり、新しい段階に入っていく。夢物語が実現していく。・・・だから謙虚に、あくまで謙虚に。
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2007年3月5日(月) |
二日続けて春のような気候。花粉も飛ぶ。夕方に強い雨。雲のために、昨日の満月と月が連続で見えないと思ったら、南から北へあわただしく移動する白い雲の切れ間から、十六日の月が顔を出す。雲を透かした状態から全容を出した状態へ変わると、何故かうれしくなる。梅が近くで香る。
こちらからあちらへ、あちらからこちらへの夢を見る。それは色があるのではなく、親しさの表れ。心が許容したということ。辰の刻、現実に同じような心のつながりを架ける。
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2007年3月4日(日) |
午前中、羽田という自治会にある、慈覚大師円仁が加持したという独鈷水に行く。旱魃のときに、円仁が独鈷をついて水を出したという歴史ある場所だ。しかし今は山の中、地元の人でさえ知らない場所になってしまっている。
そして今回、この回りの木を伐採し、祠を立て替えるということで、最初の読経をしてほしいと呼ばれていく。今回は、・・というか今回も、栃木のSさんが私財を投じて整備をしていただけるということだ。今度は朽ちないように、石の祠にするという。誠にSさんの努力には頭がさがる。Sさんは、今経営されているラーメン屋さんを引退したら、この近くに住んで独鈷水を守りたい、沸かし湯でも作って近所のお年寄りを接待したい、という希望までお持ちだ。
今、独鈷水の場所はじめじめしたくぼ地になっているが、落ち葉や木屑をさらえば、必ず再度綺麗な水が復活するだろう、と予想される。Sさんの功徳はとても大きいと思われる。
佐野市に大きな書店ができたということで行ってみる。今までは大きな本屋といっても、靴の上からかゆい場所をかくようなものだったが、今回のは品そろえがいい。神保町の専門店までは行かなくても、ちょっとしたものならそろうだろう。
まあでも大きな書店にない本というのものあるし、結局は大きな図書館はどうしても必要だということか。
今は佐野市となった旧葛生町の、「葛生むかしがたり」という本を手に入れる。内容は、有名な鉢の木の物語など様々、そして何より、語り口調そのままに書かれている。方言もそのままであり、その部分だけカタカナ表記され、後に註がついている。これなどは、岩舟でも参考になることが多いだろう、と勝手に想像する。
というのは、昨日、中央公民会で聞いた美寿々会のことが、ふっと頭をよぎる。新しい語り部の会の支部が岩舟でもでき、それの発表会があったのだ。練習な内容にもよるだろうが、人を惹きつける魅力があった。
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2007年3月3日(土) |
知人が病気であるという話を聞く。切るらしい。何か言ってあげられることがないかと思ったけれど、結局は切ってよくなるという「指示」である。それに「どうしようか」と聞かれたわけでもないので、それ以上の話はしなかった。だから、普通の知人としての会話をする。
そのように「指示」が出るものが本物であるのだと思う。
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2007年3月2日(金) |
知人がチェーホフ作のプラトーノフの主演をするというので観にいく。
いや、難しい。内容が難しいのではない。まずロシアで国が違う、そして時代が違う、名前が違う、文化が違う、・・その上での話なので、なかなか理解が難しい。もちろん、人間性の本質を探究するという点で、どの時代の人間でも、どこの国の者でも理解できるのだろうが、この短い時間にロシア人が理解するように日本人が理解できるとは言えないだろう。
まあそれを差し引いても、主演のWさんは随分と貫録が出てきた。音楽劇円仁のときとは、随分変わったのではないだろうか。でもどうしても普段のことを知っているので、普段の彼が話しているように感じてしまう。ちょうど、知り合いの書いた文章を読むときに、その人の言葉を回想しながら読むのと同様に。
しかしながら、いわゆる古典に果敢に挑戦する関係者の方々に感謝。文学の分野では古典こそ重要であると思われるから。
この日と思った日、その辰の刻に、自分の姿のごあいさつができる。夢の続きではないがこれも喜び。
今日はゆっくりと・・という気持ちがあったが、現在は携帯というものがあるので、休ませてくれない。いっぱい充電した電池がなくなる程連絡したし、その意味では忙しい日だった。
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2007年3月1日(木) |
人間の体というのは左右対称ではない。特に心臓がある方が重要だ、という考えがある。
明け方、寅か卯の刻、その心臓のある左胸に関する夢を見る。これすなわち、人が心を許した証拠だとみる。その他一切なし。その気持ちだけを許可する。神社の森で、衣類の右を押し上げた形が証拠となる。
また卯の刻、怖い夢もみる。自分が怨まれているのではなくても、怨まれるような目をされるというのはいやなものだ。目が覚めたあとで思い出してもぞっとした。職業病、というべきか。ひふみはどうかと・・。
お一日のお参り。
見明の沢の作業が本格的に始まる。書類が現実的なものとして目の前に出てくる、という感じ。Mさん、Kさん、Yさん夫婦。
自分も時間のあるときは参加します、と申し上げる。内心は不安が(いっぱい)あるのだけれど。
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2007年2月26日(月) |
昨日今日と、昼間の時間帯に、境内にいて何とも言えない至福なる気持ちを感じる。天候がいいからかもしれないが、異常なまでの幸福感だ。昔、酉の月にある場所に参拝したときも同様に感じたことがあった。
辰の刻に、烏が何事が知らせてくれる。それを察していくと、まさにその通りであった。本当によく教えてくれてありがたい。だけど、どちらのお使いなのか。
親となったならば、自分のことを顧みず、子供のためにと考えるものだ。神仏に頭を下げるというのもその一つ。まして、当日であるならば。自我を折らない人や、自分のことを話さない人でも、子の親の顔となるとまた別である。頼りにされたならば、その心に自分も感じるものあり。光一つに託す。
何ともナチュラルな会話であり、手の指で触れるような気であり、心の擦り合わせである。
円仁のパンフを作成するお話。円仁が知られていない現状は憂うべき状況であり、これは何とかしなくてはいけない。円仁を知った多くの人がそう感じ、その結果がパンフ作成という話に結実していった。外から見る人だからこそ見えるということもある。だから、あとはお任せしてしまうことにする。
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2007年2月23日(金) |
三日連続で、高速バスで新宿往復をする。楽でいいなどと言っていつつも、つい気持ちよくて寝てしまう。こうなると本が読めないので、本を読みたいときは電車にすることにしよう。人間とはわがままなものだ。
大学の入試があったようだ。大学にとっては一大イベント。受験生は、全入時代というが、どんな気持ちで机に向かっているやら。むしろ親の方が心配なのかもしれない。入口まで見送るとか・・。
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2007年2月21日(水) |
昨日、知人を心臓発作でなくしたという人の話を聞く。あわててかけつけて、救急医療をしたが手遅れだった。むしろその奥さんを落ち着かせるのに大変だった。こんなことが、明日我々の身に起こっても不思議ではない、という話だった。
そうかもしれない。でも人間の潜在意識には、不思議な力がある。そういった災いの前には、内からであれ外からであれ、必ず何かを示してくれているはずである。例えば顔にそういうことが現れるはずではないか、という意見を申し上げた。
人間の本来備えている力は、本人には測り知れない。それにどれだけ気がつくかということである。そのことが人生を送る上で、相当な助けになる。それに出会うのもまた運である、と思う。
三十年ぶりに、同級生と同じ席に着く。感慨あり。年相応の口ぶりや話の内容の奥に、三十年前の教室が夢の出来事のように、ヴィヴィッドに思い出される。
今日の朝日新聞に掲載された加藤周一氏の「夕日妄語」を読む。知り合いが他界されたことに触発されて書いたという設定の内容だ。
先ず私たちは、その内容の是非を考えなくてはならない。言うところとその立場は、現代人の「知性」の最先端を行くような内容であったが、信仰を持つ立場からすれば、浅瀬で足を洗っている程度の感慨しか持てない。いなむしろ、キリスト教をバックボーンとしていることを意図的に現しながら、かつ意図的にそれを隠そうとしている立場を見取るならば、知性と先祖崇拝や輪廻思想の齟齬という大問題を提示しつつ、知性を是とすることイコール合理性であるという近代精神を鼓舞するような内容を露呈するのであり、自分を知識人と是認する一部の人の自己満足を喚起しさえすれ、大衆に物事の本質に目覚めさす内容とはとても言えない。だからこその「夕日妄語」か。本心から、妄語を題するのが知識人の謙虚に当たると考えるならば、それを書いた者は、宗教者の意見に耳を傾けるがよい。評論や心理のオリジンである西洋文明の本質が、たとえひた隠しにされつつも、キリスト教であるということを、日本人の前にあからさまにするためにも。
誤解のないように言っておくと、氏の文章は評論家と言われている人の中では、自分にとって好きな方に分類わけされる。文章を読むとうい点では、教えられたことが多かった。
しかしまあ、宗教者と、実質的な意味でも政治家との間にあって、評論家とは微妙な立場に立っていることよ。
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2007年2月20日(火) |
新しい輪ができる。久々の人達とも出会う。
東京駅から高速バスに乗る。新宿からより、時間的には短いようなのだけれど、待合室がないので、何となく気ぜわしい。
本を読んでいて気がついたのだけれど、その道の達人となった人は、遠い昔の人であっても、始祖とか中興の祖とかの墓参りをしているようだ。顔を見て人の未来を知ったYさんは、Mという江戸時代の人の墓に月一でお参りしていたらしい。
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2007年2月19日(月) |
二十四節の一つ、雨水。旧暦の正月二日でもある。歩くたびに鈴の音と、掃除をする箒の音とが同時にある。その空間。
夕方西の空に、金星と、猫の目のような月が並ぶ。
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2007年2月18日(日) |
足洗い沢で、雨の中、森林ボランティア。初めての経験。下草を刈り、つるを取り、雑木を切ってきれいな里山にする。その上、カブトムシの家作りや、階段作りなどもある。
地元の方だけでなく、県北やら、埼玉や東京などからもおいでいただく。約80名。みな生き生きとしている。呼びかけをした県の方と、顔なじみの方も多かったようだ。初めてする、木を切り倒す快感にはまっている人もいたようだ。
長靴が動きにくかったり、ヘルメットが落ちたり、濡れたり、汗をかいたりしたけど、いやいや終わったあとの、おにぎりのおいしかったこと。地元の方の作っていただいた豚汁のおいしかったこと。
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2007年2月16日(金) |
県立博物館主催の「円仁と親しむ夕べ」ほぼ満員。講演と二胡の演奏会。
初めて二胡の音に触れる。ぐわーっと中国の情景が浮かぶ。その生活の様子、大陸気質、家と匂い、男女の情愛、広大な景色、何よりも生活している人の人生そ。そんなイメージが出てきて、自分を圧倒的な力で、中国に引き戻そうとするのを感じる。
もし自分が二胡を今から習って、大慈寺の本堂で独り演奏するならば、中国に渡った僧侶たちの供養になるのではないか。しかしその習得は容易ではない。いや難しい曲でなくてもいいのだ。むしろその方が人の深い心に響く。それならできるのでは。そうだとしても、自分の年齢を考えてみよ。まだ習得すべき多くのことがあるであろう。それをするのにどれだけの時間がかかると思うのだ。やはり、二胡の演奏者に来ていただき奉納していただくのがいいだろう。・・などという思いが、音楽を聞きながら、頭の中でぐるぐるとめぐる。
写真展もある。今回も、大興善寺へ奉納した円仁像の写真を展示していただく。博物館のCさんに感謝。
銀行印ができる。最初デザインしたときは、鬼がやりを持っているイメージだったが、できあがったら、笑っている顔になっている。何とも不思議だ。印鑑とは、個人個人の持てるまさに霊符だ。
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2007年2月15日(木) |
釈迦入滅の日。今の暦とは違うであろうが、いわれでは、2月15日となっている。
亥年になって初めての会話がある。動かず、時を待つ。
正面から目を見据えるのがいい。それはありのままの呼吸。そうすれば心に入っていける。逆にいうと、だから入っていくのは、ありのままの自分ということでもある。
剣道が一人でできないのと同じように、人の目も一人では支えられない。
そうそう、目は心の窓だというけれど、夕方、ふと窓の外を見ると、金星(ヴィーナス)が見える。夕闇の中、ひときわ輝いていた。時間とともに、闇の部分が増えてくると一層輝きを増し、恒星が輝き出してもなお、その威容を誇っていた。
明星の 眼に映る窓 こころなり
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2007年2月14日(水) |
貸し会議室というのがあるらしいが、なかなか使用料が高い。それに比べ今日使用した、榎町センターの部屋は値段もいいし、綺麗だし、穴場かもしれない。
だけど予約が詰まっているらしく、時間になると、すぐ係の人がやってきて、早々に追い出されてしまった。
雪も降らないのに春一番だそうだ。
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2007年2月13日(火) |
連休明けで今日から週の始まり。
昨日までの薄ぼんやりした感触が、一挙にリアルな感触となって止まる。心楽しい気分であるのは違いない。例えば神社参りの場合に、外からなのか、背後なのか。しかも的確である。
賽銭泥棒の話を駐在さんにする。やせている、太っているの判断が難しい。太っている人は太っていると言うし、やせている人はやせていると言う。だけど自分は自分の言葉に反して、おそらくやせているのが正しいのだと思う。
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2007年2月11日(日) |
昔、今の保育所がある場所で、神社の秋祭りのときに、各地から集った人達で相撲大会をした、という話を聞いた。
そんな話を聞くというのは、再び小野寺が、そのような人の集る場所になってきているからのようにも思える。それに、そういった宗教行事(相撲と宗教の関係は昔から言われている)が再度行われる流れになっているからのようにも思える。
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2007年2月10日(土) |
新しい里山つくりの打ち合わせをする。そして改めて大慈寺から入った谷、京路戸を歩む。本当に静かで落ち着いた場所だ。元は経論堂といったのがなまったということだ。昔の僧侶たちが歩んだ道を歩く。なき師も、こんな場所に家を建てればいい、という話をしていたのを思い出す。
身投げ堂にも行く。今はロッククライミングの練習場になっている。Kさんははまってしまったらしい。こっそり行って、あそこで一人瞑想でもするのではないかと思ってる。岩から落ちなければいいのだが・・。
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2007年2月8日(木) |
仕事をしても仕事に捉われず、手抜きではなく、淡々と行うのがいい。このこつがいいのだけどなかなか。
パソコンと携帯をつないで接続していたが、突然接続が切れる。4,5日格闘する。で今日再度電話で問い合わせ。45分もおつきあいいただき、ようやく復旧する。
夜車を走らせていると、電気につられて猫が左から横切る。危ないと思うより、先に何があるのかと疑う。以前ひどい目にあったことがあるから。
そしたら人が闇の中を犬の散歩で横断しているのに出くわす。こちらは危なかった。反射のたすきも蛍光シューズでもない。こんなことが、昨日、今日と二回目。
50メートル位前ならそうかなとも思う。でも1キロも前でのことだ。これは一体何なのか。何が知らせるというのか。あるいは人の顔と同じことか。人の顔と。
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2007年2月5日(月) |
この数十日の間に、二人の素晴らしい人の存在を知る。両方とも本を書かれており、まだご健在だ。できれば、少なくともその片方の人には出会って直接お話を伺いたい。
基本を踏まえたうえで、その上で自由自在に動き回る。達人、恐るべし。世には人には知られず隠れているが、とてつもない方というのがおられるものだ。
2007年の今日、そういった方の存在が知られるというのは、人間社会が、完全なものと、まったく不純なものと両極端になってきているの証拠はないだろうか。それがちょうど、格差社会が言われてきているこの時期と符合しているのがまた面白い。
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2007年2月4日(日) |
新春。丁亥年あける。
午前中は、晴れていたが、嵐のように風が吹いた。何か今年を象徴しているようだった。
R会の、一日遅れの節分会に呼ばれる。全員で読経が始まると、わーっという気が立ちこめる。特に陀羅尼の部分では大きい。こちらも眠くなってしまう。終わるころには、ざわざわ、もやもやと掛け軸の本尊仏の方にその気が流れていく。と感じる。
自力と他力と言うけれど、随分と自力傾向の強い宗教であるというのを感じた。
そこで二つの話に関心を持った。まず宗教と政治は車の両輪だ、という教えがあるということ。もう一つは、占いは85パーセント当たる、残りの部分はわからない、だが仏法は100パーセント正しい、という教えがある、ということだった。
自分には、まだ政治に対する明確な考えない。一方、占いについては考えがないではないが、拠って立つ所が違うので、答えも自ずから違う。
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2007年2月3日(土) |
節分、その日の祈り。
久々にO先生とお目にかかる。心が具現する世界。礼儀正しく、いつも柔らかだ。
節分。楽しさがこみ上げる。やはり宗教が必要だよな、と思う。あなたはこうだからこうですよ、と言ってあげるのもいいが、直接開運の具現をすれば、それの方が早いのではないかとも思う。いや、その中道か。
戌刻前に山から上がろうとしていた、ほぼ満月が、深更にはぐぐっと空の上に上がっている。
何もない空間の移動する様子を見て、バカみたいだが、これは奇跡だと思った。金属の塊の飛行機が空を飛ぶのも奇跡だが、それ以上の奇跡じゃないかと直感する。そのパフォーマンスは力強く美しい。そして今なおその存在と奇跡を誇示し続けている。
探し求めたO社の伊東静雄詩集を手にいれる。その生涯は恵まれたものではなかったようだが、人間の美意識やエゴを表現することばに、昔心酔していた。今回改めて読み直して、年齢それ相応に感動が変化するものだということを知る。しかし昔読んだ感動が間違いなかったことも、また事実であったことも知る。
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2007年2月2日(金) |
酉刻、ほぼ満月が山際から昇る。このとき人は狂気を発する。 西の空には夕焼けの中に金星が輝く。大丈夫かなと思ったが、祈りだけでは落ちないこともある。まああくまでも偶然の話なのだから。それをどうこう言うのは、言う方がおかしいのである。だけどプラスのものを持っていると、こちらの心の質の如何に関らず、その心が増幅されるのは間違いない。
それに結構、自分のわからない部分で、もう既に解決していることがあるような気もする。気がつくと、偶然のものを手にして活用していた。
銀行印をお願いする。やってくれるという話だが、どこまでできるのだろう。金文。
亥の上刻になって、月の水のような光を浴びる。とりあえず、今日で区切り。
ふと見上げると、月に輪がかかっている。半径で月が五個分くらいの輪。輪の中にも光があって、ちょうどチャクラの絵のような感じだ。
自然と一体になるというのは、どういうことなのか。我々は多くのものに縛られている。それを振り切るのに何が必要なのか。
とにかくずっと、お見守りください、と月のある上天に向かって祈る。
その帰り、遠くに伸びしかも自分のものである、心の復活。
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2007年2月1日(木) |
お一日。
虫歯を一本治してもらう。噛む位置を気にしないというのは快適だ。
しかし驚いた。昔は随分と時間がかかったのに、今は三回だ。最初に神経まで抜いての治療。二回目は型を取り、三回目でふたをして終了。
もちろんT先生の腕もいいのだろうが、これほど簡単に治るというのは、治療技術もこの数年で進んだのだろう。こんなに簡単に治るのなら、こっそりべろで虫歯をいじりながら、どうしようか悩む必要はなかった。
歯科医院に勤務されている知人に、歯は骨と同じだと話したのだけれど、あのとき、自分にそれ以上のことができたであろうか。
今なら別の方法もあったろうが、そのときは自分は、答え得る最高の方法を選択したのだ。今なら何がどうしてそうなのかよくわかる。でもそのとき自分は、最良の道を、苦しみの中で選択したのである。
心は死んだあとも継続するのであり、今でもその心から逃げるわけにはいかない。痛み、あり。
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2007年1月31日(水) |
久々に電車に乗る。バスに慣れたせいか、背骨を真っ直ぐにして1時間40分座り続けるのは結構きつく感じる。
ただバスでは寝る気持ちになるが、電車では本を読む気持ちになるのはどうしてだろう。
学問の片鱗に触れる。学は独立しているけれど、人文系統の話では信条に左右されることもある。その辺がなかなか難しい。ただ学問は、一つ一つ、一歩ずつ歩むと、何ともいえない喜びがある。しかもその喜びを分かち合える。
大慈寺の仮本堂には、西安の大興善寺に奉納した円仁像のモデルとなった、小さな円仁像(これは中沢伊教仏師の奉納による)が鎮座されている。その日にもよるが、小さいとはいえ、円仁様そのものだ。
どんな道を通ろうと、世や人のためにと思い、しかも実際にその時代の中でそうなっていくこと、それこそが時代を超克した宗教の真理なのであろうと思う。古い人の言葉を後生大事に守ることが、必ずしもその宗教の、保身にはなれ、発展や存在意義にはなろうはずがない。それは他ならぬ現実が証明している。
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2007年1月30日(火) |
おそらく計算がよかったと思うのだけれど、未刻に話ができる。言霊を出してのお渡しはよかったし、気持ちとしてリアルな手ごたえがある。その手ごたえを亥の刻まで持ち続ける。
月が出ている。ああこのままでいればいい、と思う。願う。
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2007年1月29日(月) |
天上に近い月の光が、水のように降り注ぐ。頭から首から背中から、神仏の恵としていただく。何のためと考えてはいけない。
昔眠れずに悩みぬいたことがあった。小さなこと、ささいなことが大きく感じられて、自分が極端にダメな人間に思えた。いろいろな方のご協力によって解決できたのだが、何が決め手だったかは今では思い出せない。
昨日、昔おいでになった方と一緒に、とてもいい人相の方が見える。人様の顔に興味が出てきた時期だったので驚く。
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2007年1月28日(日) |
いろいろな人が訪れる。日曜日のせいであろうが、全く初めてと思われる方がほとんど。
そして祈りに関わる話も多い。確かにご祈願を看板とする寺院の僧侶は、祈りが仕事だ。見えないようで、これが一番つらいのかもしれない。
頭でわかっても、心でわからないことというのはある。それを何とかして、よりよい方向に向けていくのも宗教家の役目であろう。
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2007年1月27日(土) |
一人の人間のもつ悩みが10あるとしたら、10人いれば100の悩みとなる。しかも複雑に入り組んでいたり、またその程度という問題も出てくる。しかも、悩みの中にある人は、自分の置かれている場所がわからない。だから正しい誘導をしてくれる人が必要となる。自分もそういった人間になりたいと願っている。
その思いというのはいつから生じたのだろう。お寺に生まれた因縁がそもそもあるし、何かがあるのだろう。
昨年、鳴り物入りで公開された映画をDVDで見る。戦争に関する話であり、現代人が戦争を振り返るというもの。確かに戦争から時代を隔たった若い人には、鮮烈なものかもしれない。しかし自分にとってよかったのは、映像の美しさと、そのやるせなさとだった。確かにそれはわかった。
空を説くお経は多いが、空を体験させるお経は知らない。しかし聞くところによると、その空を体験させる、不思議な言葉というものがあるらしい。仮にもしそれが本当にあるのならば、仏前であげて悪いことはないであろう、と思うのだが・・。
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2007年1月25日(木) |
祈願は知っているが、御供養にも般若理趣分は効果的なのだろうか。わからないけれど、朝、特別な方をご供養する。終わって顔を上げると、本尊薬師如来様が笑っておられる。冗談かと思った。何度も見直したが間違いない。
光の加減かもしれないが、今日は怒ってるなとか、今日は厳しいなとか、今日は生きているなとか感じることがある。しかし今日のには驚いた。これまでで初めてのこと。
おそらくそのお陰なのかどうなのか、夕方、申から酉に変わるときに、万が一というお導きがある。これにも驚く。偶然にしては、できすぎている。導かれたとしか表現できない。
どちらにしても、生きていくには真心しかない。
寒にしては暖かなな夜だ。月が西の山に沈もうとしている。しかも夜なのに、白い雲の上に乗っているかのようにしながら。
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2007年1月23日(火) |
やっと、小野寺の村おこしの話がゴーになったということだ。やれやれ、と。ともかくスタートラインに立ったということ。すべきことはこれからだ。
メールで仕事の話が飛び交う。手が何本か同時にあってほしいと思う。最近機種はそんなに古くないはずなのに、充電の消耗が早い。
仕事の話なのにコミュニケーションが取れる。気持ちのつながりということ。呼吸というか間合いというか。
心臓が動き出しているのを感じる。
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2007年1月22日(月) |
朝一番に神社にお参り。喜びの続きとて元気にいく。あいさつも聞こえたくらいに。
自転車に久しぶりに乗る。一時間二十分。岩舟中学校の前まで往復。たったこの間に、知り合い十一人と出会う。健康のためにいいとしても、どうしたんですか、という理由を説明する近未来の状況を考えて、少しいやになる。
夜、地平線から北斗がもう半分出ている。龍が頭をもたげているようだ。何て星は美しいのだろう。その色もその形も。
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2007年1月20日(土) |
昨日のリアルな気を引きずりながら、どうしても神社にお参りする。そのときからも既にそうだったし、何者かが教えてくれる場合があり、今日の参拝後がそれで、まさかという事態を見る。どなたかはわからないが、自分に影響のある方を実感する。
今の事業に関して、土地の許可が得られるように祈願。
巳の刻、昨日よりの気をぶつける。邪魔者がないので思うがままに。欲するままに。お話の再確認もする。饒舌はこの場合、必要なのであり、火山のマグマのように、次々に火を放ち大地を溶かす。それはマグマの存在意義そのもの。
結局花は午刻になる。線香にプラスのお知らせを知る。今日から、ようやく月が強くなる。祝祭日か記念日のようだ。無意識に本堂の整理をする。
七年前、自分がなさなかったことがまた目の前に出てくる。頭がしびれるほどの気。これは一体何なのであろう。何としても自分の中で解明をしたい。
霊はないと いきがる人に 背後霊
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2007年1月19日(金) |
ある人におもしろい話を聞く。
つい最近まで、岩舟町の岩舟や静和地区の人たちは、家を新築すると小野寺の村檜神社の社殿の下の土をもらって、家の下に撒いたそうだ。
そして、いただくと土がなくなってしまうので、その同量の別の土を入れておくのだという。なかなか興味深い話だと思う。昔は囲いがなかったので、社殿の下に平気で入れて、かくれんぼもできたということだった。
今日はリアルな感触のある日だった。リアルだからこそ、夕方にもどんぴしゃりと現実的であった。大平山の向こうに美しい金星が輝いていたのは偶然ではない。
昨日の法事の席では、少し話し過ぎたようだ。自分もまだ極めめたわけではないし、普通のさしさわりのない話に戻そう。
知ってよし、知らなくてよし。
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2007年1月18日(木) |
長福寺先住で、元妙法院ご門主である福井大僧正の17回忌の法要をさせていただく。本尊不動明王。
法要の途中、ふと見ると、微笑んだ写真がある。
高速バスがいい。佐野新都心まで新宿から、約1時間半、値段も手ごろ、そしてほぼ直通だ。
明治通りを通って、大正大学の側を通って、飛鳥山にぶつかり、王子で一端停車し、それから高速に乗って佐野まで行く。逆のコースもある。ただ明治通りが混むことがあり、それが問題といえば問題か。
ゆっくり座れるし、寝られるし、トイレもある。これには結構はまるかもしれない。
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2007年1月17日(水) |
昼間、仕事中だったので見られなかったが、NHKで円仁まつりの様子が放映されたらしい。
偶然だとは思うが、神戸地震の日と重なっている。
都合で勉強会が延期となる。よく考えてみれば黒月。どんなに小さくても、公表は白月がよかろう。来週となる。
忙しい合間に電話。案ずるより産むがやすい。本当は待ちの様子か。
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2007年1月16日(火) |
偶然といえば昨日の偶然が、今日明白になる。とはいえ、薄い白色は久しぶりだし、とりあえず落ち着く。
まだまだ目先だけでしか動かない。もっと大きく動かすには、修行、修行、なのか。
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2007年1月15日(月) |
NHK宇都宮から電話があり、過日の円仁まつりの模様を放映していくれるという話をいただく。
17日午前11時5分からの「いっと6けん」という番組の投稿ビデオのコーナーだそうだ。もちろんこちらに異存はない。
撮影していただいたのは、藤岡在住で前からお世話になっているMさんという方。Mさんのお気持ちに感謝。
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2007年1月14日(日) |
慈覚大師忌。法事の合間に本堂で、お客さんに大慈寺や円仁様の説明をする。小さな円仁像が寄り代となるようだ。確かに大きな円仁像をお祀りしていたときと同じ感覚。
私的な勉強会の名前を、とりあえず月恩会とする。
法事で、赤見弁財天のそばで、古代人、といっても1200年位前の遺骨が出てきたという話を聞く。まわりに堀を作り、砂を細かく積み上げて、湿気を防いだために、随分と完全な形で出てきたらしい。耳輪や刀もあったそうだ
法事に、塗香が遅れて、気合が必要となる。
たたいていて、初めて木魚を落とす。
岩舟の中央近くの田んぼを歩く。日差しが明るく、風もなく、静かな場所だ。円仁の誕生地を遥かに見るに、山の傾斜がそこに向かっている。
なるほど、こういった場所と比べれば、両側に山を抱える小野寺の土地は、発展という点で遅れを取っても仕方がない。しかし小野寺は精神世界が支えたのであり、今だにそれに応える十分な気を、密かに蓄えている。
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2007年1月12日(金) |
今日は一日、何か感じる所あり。言い訳といえば言い訳だがありのままを申し上げる。
マムシのことをいろいろお聞きする。
いろいろな噂も広まっている。一番いい体制を作らなくてはならず、誤解も願望も羨望も入ってくるものだ。だからこそ皆によいように、という考えを柱としていなくてはならない。
拠り所とするのは、自分の良心と気のいい仲間たち。
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2007年1月10日(水) |
音楽劇「円仁」で大変お世話になった、長楽寺(北向観音)の半田探題が、お座主になられることが決まった。
96歳の渡辺座主が退座され、89歳の探題にお譲りになるということだ。ともかくお祝いを申し上げたい。比叡山以外からは二人目だとか。
キリスト系の人の本を読む。
キリスト教の霊性とは何だろう。これだけ広い世界に広まっているものだから、それは深いものがあるのだろう。それに偽りなく、自分もキリスト教は好きだ。
だけれども、日本人を本当によくしようとすると、果たしてどうなのだろうか。霊性に目覚めるということと、開運というのとは、意味が違うのではないか。またひふみとも何か違うように感じる。
昨日の新聞の影響か、多くの方が参拝に来られている。
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2007年1月9日(火) |
朝、浄達龍神の碑が、膨れてでもいるように、光って見えている。
薬師如来の生命、とは何か。
観光協会のM会長の努力には頭が下がる。行動派であって、家庭サービスをする時間を取るのが難しいくらいだそうだ。
ケースを作るので、人形の採寸をする。洗濯されている。それにしても、そっと、どこまでもきれいだ。
完全に一月の気に変わっている。人間誰しも、配慮されることに嬉しさを感じる。それは自分のきたない面も理解して、受け入れてもらっていることを意味する。人間だからという理由は、いつまでも通用する。
おととし、大興善寺に奉納した円仁大仏の写真が、下野新聞に掲載される。とてもきれいに撮れている。今年、県立博物館で円仁展をやるので、それの前に載せられる円仁の紹介の文章の中でだ。
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2007年1月8日(月) |
円仁まつり。世話人さんの新年会。
まつりの終わったあと、夕方、西の山すれすれに金星が見える。
アメージング・グレースのできた理由を友香さんに聞く。ニュートンとかいう人が、神に祈りが通じたときの、喜びの歌であるということだ。知らないことであったが、多くの国でも歌われている曲であるともいう。
それも確かに話として美しいし、曲も美しい。でも上条さんの歌った「風よ吹け」というのも捨てがたい。いやむしろ、こちらの方に切迫感を感じる。円仁様が中国で、どうしようもない絶望に落ちたときに、神仏に助けを求め、風よ吹けとしか歌えなかったという設定での歌だ。結局円仁様の祈りは受け入れられていくのであるが・・。
苦しむ人が多い世の中、この歌も是非広まって欲しい歌の一つだ。
夜、亥の刻、円仁まつりの宵祀りとして、音楽劇「円仁」のサウンド・トラックを土管スピーカー(岩舟町観光協会特製)でかけて奉納する。一人、夜に音楽の悦に入る。
今年、南天が一つもない理由がわかった。ヒヨドリが食べ逃げしたのだ。だんだん山に食物がなくて、下の方まで下りてきているのだという。去年保育所で死んでいたのもヒヨドリだ。そういえば大慈寺でも、あれから全くあの鳥を見ない。ざっと集団で来て食べつくして、そして移動する鳥だという。
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2007年1月7日(日) |
明日の円仁まつりの準備をする。午前中には天気がよかったが、西から、まるで雪でも降らせるような色の雲と風の流れが押し寄せてくる。しかし天気予報では晴れ、まさか天気が崩れることはないだろうと思っていた。
ところが、世話人さんが手伝っていただける午後あたりから、本当に雨交じりの天候になる。風も吹き出す。時間をずらして準備をしてもこの様子だと止みそうにない。それもあってか皆手早く手伝っていただける。
明日の予行をしようと、焼きそばを焼いて皆で食べる。寒いので、みな夢中で食べた。プロでない方の作だけれど上々だ。
夕刻、再度晴れ上がり、夕日が東山に当たるのが見える。
酉の刻に一度、そして夜、外で風を受ける。風の音というのは怖い。風というのは怖い。同じようなことを、玉置山の頂上でも感じたが。
夜の光が見える。ただ見える。自分の足で歩む。思いを凝らす。風が木々を揺らして押し寄せる。
25年も前に、やろうとしてやらなかったことを、やっているのかもしれない。一体、この時間を取り戻せるか。
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2007年1月4日(木) |
ケーブルテレビを見たといって参拝に来られた方がおられる。収録のときの恥ずかしさもこれでゼロということか。
日が伸びてきているが、まだ暗くなる前、遠くの光を見て、意識がそこに入って何ともいえない喜びを感じる。リアリティーによる心からの安らぎ。涙でも出てきそうな。
よくローソクの流れたあとが、いろいろな形になったといって見せる人がいる。真偽はわからないが、今日の護摩の後のローソクの形が、一般的にはありえないような形をしていた。はやりそういうことはあるのだろうか、とふと思う。
満月が出ている。寒空だけれど、守られているという意識。
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2007年1月3日(水) |
今日も暖かな日。三が日はよい気候で過ごすことができた。
護摩について、もう少し研究してみる必要を感じる。護摩のときに呼んでくる仏とは何なのか。自分の心の中の仏が投影されるのか。この心の感覚でいいのか。
今日の法事で聞いた記しておくべきこと。
昔はウラジロが、大慈寺と村檜神社の間の山に沢山生えていた。そして近辺にはそこにしかなかった。
座禅草も、京路戸と見明の沢にあった。
50年ほど前には、大慈寺の奥の院から南の斜面に、五輪塔のような墓石がたくさんあった。
一日の夜か二日の朝に来ていた賽銭泥棒が、昨日、今日まだ来ていない。多少ゆるい面を見せていたけれど、その根性が気に入らない。
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2007年1月2日(火) |
今年は護摩の火が違うといわれる。暖かいからだろうと思っていた。しかし何度か、おかしな火の場合もあった。そんなとき、Mさんが見えて、火に何かが出ている、といわれる。写真で撮れば必ず写っているといわれる。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ感じるのは、護摩でも調子のいいときと、そうでないときがある。それはこちらの影響かもしれないが、参拝者の影響かもしれない。よくわからない。ただ淡々と護摩に向かうのみ。
Mさんの志は立派だ。彼の写す写真には、龍や鳳凰などが写ることが多い。そこに行けば撮れるというのは、呼ばれる感じがするのであり、そこに写っているというのは、気持ちがその場所に引かれるということであった。
そして自分にそういうことが起こるは、理由がある。そういった写真を世に知らしめることによって、自殺をしていくような人に、誰かが必ず見ているということに気づいてもらいたいためだ、ということである。それを自分の天命だと信じている。それは危険なことではないか、とお話すると、そのことは十分ご承知であった。
しかし日本にも妖精(延令草)という存在があるのだろうか。
申の刻に百合を買う。
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2007年1月1日(月) |
今日から2007年、平成19年。丁亥の年。火と水とが重なっているという形になろうか。
今年は風のない月夜だったせいか、多くの方が鐘をつきにきてくれた。
朝、神社参拝。元旦でもあるが、お一日でもある。
初護摩。毎年同じ人も来られるが、全く違った方もおいでになる。何かが変わっているということを、じわじわと感じている。
そういえば、今日から地元ケーブルテレビの一分間コマーシャルというのが放映になっているはずだ。社寺で出ている人はいない、という話だった。蛮勇をふるって、大慈寺の宣伝をしてきたが、いかに。
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