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2008年12月31日(水)

 明日からの準備。しかし比較的楽。
 廣智さん関連で、今勝道さんが気にかかる。
 大晦日。子から丑へ。 

2008年12月29日(月)

 辰刻、ごあいさつ。社会は休みに入ったようだけれど、こちらは年末の準備。
 10の通過点。
 申刻、神いますの方位に。太陽が美しい。家にいる状態を初めて見る。そうしたら蔵の前に人、子供か。
 ごあいさつを通しておく。

2008年12月28日(日)

 年末の話し合い。藤岡の陸橋の上から、赤城山か、妙義山か、群馬の山々に夕日が沈むのがきれいに見えた。
 山尾三省の話をお聞きする。
 亥刻、最近飛行船を見ない、という話をしていたすぐあとで、艮の方角に光ってゆっくり消えていく光が見えた。

2008年12月27日(土)

 貴重な切りの物が手に入る。描いてもらっらものらしい。六枚もの。

2008年12月26日(金)

 明け方、異常にリアルな、欲望の夢をみる。コーヒーをいれてもらったりする。
 辰刻、ごあいさつ。昨日の今日なので、あれ、と。近くに。
 K短大のS先生から電話。西安の円仁大仏の前にいるということ。
 子子子で、自霊拝の開始。

2008年12月25日(木)

 朝からお隣の神社でご奉仕の方がいらっしゃる。
 巳刻、クッキーの話。売り出すことも。陽遁でやっと初めてか。
 警察博物館を見る。最初の川路警視と西郷さんとの関係などを知る。
 一年に一度の知人に会う。ますますにこやかになりましたね、と言われる。何と返事してよいやら・・。

2008年12月24日(水)

 辰刻、ごあいさつ。寒いときには、厚着をして。戸が動くときに、心が乗る。
 午刻、写真を撮っていると、見られる、知られることあり。元のままになる。
 円仁に関する食品のお話。いやこれがよろしいもの。

2008年12月21日(日)

 冬至。大切な日にごあいさつ。鳥と木の反応。
 新しい動きと予定。動かしていく。
 老夫婦が、袋に大慈寺の裏山からたくさいんの榊を切ってきて、こちらの様子をうかがいながら、こそこそと庭を逃げていく。陰からみていると、その息子らしい男と孫二人も車に乗せてきている。
 子供に罪はない。そして金が貧しいから貧しいのではない。心が貧しいから貧しいのだ。

2008年12月20日(土)

 陽遁のはじめ。閏のときはつらかった。ブッシュがビッグ3を救済始める。ときが来ないとだめなものはだめ。あとは一月か。
 月恩会。空気が変わってきている。

2008年12月19日(金)

 辰刻にごあいさつ。一週間の記録。
 小町の墓に続く道路を整備し始め。お疲れさま。
 巳刻、人がいるときには距離を。小町の小説。忙しそうなので入って置いておく。
 ぞうきんの手が冷たそう。暖かな日となる。

 O大のS教授とお話ができる。西洋の若者も、信仰離れが進んでいるということ。

2008年12月18日(木)

 とても深い霧がずっと残る。巳刻なのに、五十メートル先から全く見えない。
 辰刻遅れてごあいさつ。帰りでなく行きで後ろ。会話が聞こえ、そして影で安心する。
 東京に向かう電車の中で、元館長さんに偶然お会いして話しながら行く。昨日サンライズ・サンセットを見て、上条さんのことを考えていたばかり。お元気そう。

2008年12月17日(水)

 委員会の忘年会。ノン・ドリンカーが増えて、ドリンカーは肩身が狭い。
 辰刻、ごあいさつをする。もう言葉なくして、影として理解している。
 上が変われば、下も変わる。下に苦悩していた愚かさは認めるが、上に通した方がはるかに楽。

2008年12月16日(火)

 昨日のお礼のごあいさつ。やはり通しておく必要があり、通していなかったらだめだったと知る。
 朝早くても、その時間を待って見える。待ちであり動きである。
 Mさんが水道の回りをやっていてくださる。

2008年12月15日(月)

 新しい出発の儀式。偶然に神社が重なる。神呼び。太陽、剣。結果がでる。社長のお顔がかわっている。
 辰刻、先にごあいさつしておく。口に手を当てるのは、隠したいことがあるのと同時に、何かを待っている場合もある。タイミング十分の真正面からだから。

2008年12月14日(日)

 今日は、祖母の五十回忌の命日。雨の中だが参拝。そうしたら、墓が光っている。戒名の少し上の部分が、本当に光っていた。

2008年12月12日(金)

 熱海でN社主催の日中交流会。新しい知人ができる。一芸を極めた人はそつがない。
 巳刻、明日の前に偶然見ることがある。手をあげるが安全運転が必要。十分なことがら。ほぼ満月。あたらしいビジネス。

2008年12月11日(木)

 ずいぶん月が大きくなってきている。これではふたご座流星群も見にくいかもしれない。
 辰刻、おもしろい動きがある。ごあいさつ。偶然だが往復の分早めに動きがある。そこに心あり。
 視線があるが、狂っているとはいえ、星通りなのにも驚いてしまう。
 意識がおかしい喜び、過去、夢・・、なにか気持ちいいのだけれど、ごちゃごちゃになる。
 会社が新生する話、多数。

2008年12月10日(水)

 辰刻ごあいさつ。強いとき。近く理解。
 晋山記念日であり、旧暦の十一月十三日、小野小町の墓の改修開眼法要を行なう。一瞬石の上に丸顔。うーん。
 電車も教室も暑くて冷房が入っている。

2008年12月9日(火)

 曇りから雨に変わる。寒くもある。明日の小町法要は大丈夫か。
 廣智さんの資料を考える。徐々に確実に行く。
 申刻、人の心でも人という字ができるのを感じる。

2008年12月8日(月)

 成道会。お薬師様の日。
 会社の神だなの入魂。最初は氏神様の戸が年に一度の掃除ということで閉まっている。電車も直前で二度止まる。いや困った。

 それで行って、道具を使って何とかしたら、不思議に可能になる。帰りにごあいさつして、戸が開いいてただけでなく、お返しをしたらガラス戸も開いて受けてくださる。
 終わって、なぜか喜びの感覚。神呼びの満足感か、あるいは神の喜びか。背骨の先、頭の頂上より上が気持ちがいい。
 廣智さんのお話を書き始める。

2008年12月6日(土)

 茶話会。多くの人が来られる。
 Mさんが井戸の囲いを作られる。
 大般若のお話。山田お座主様が、大般若は何にでも通じるというお話をされていたということ。それから行者だったS先生が、その師匠を供養するのに使用したこと、ご本人のこと。
 佐野部の研修会。

2008年12月5日(金)

 辰刻、ごあいさつ。見えないけれど、遠くに感じるものあり。
 申刻、本の方に導かれる。本当の神道の本を読むと、読むだけで清まる。氏神様の神秘。
 ヨーガが腰によし。

2008年12月4日(木)

 朝と昼の温度差が激しい。辰刻ご挨拶していたら、駐在さんが賽銭ドロが来ていないか見回り。
 巳刻、小町開眼の資料配布。昔の中学教諭の話。若さが羨ましいということか。お守りの約束
 ものすごい生命力に気がつく。忘れていたものか。

2008年12月2日(火)

 辰刻、ごあいさつ。離れていても直線だから可能。頭と左手との関係。
 委員会のあと、大前のMさんが見えて木材をお持ちになる。こちらはきれいに。農業の深さを知る。
 酉刻、駐車場の電気のそばで清掃。合局となる。
 9の通過点。

2008年12月1日(月)

 お一日のごあいさつ。ありがたい。
 辰刻、昨日Mさんに教えていただいた竜神の印信で、ろうそくがひだひだになる。
 巳刻、子供たちに木の実をあげる。
 小町の文字を入れるということ。手紙の発送準備。
 鼻とお金のケチさとの関係。いや油断していた。
 ようやく気が力あふれてくる。

2008年11月28日(金)

 午前中は雨が降り、午後からは曇りそして晴れとなる。
 雨だから範囲が限定される。さいせんの見回り。辰刻に激しく傘をあげる。
 円仁まつりの準備をする。時間があるときにできるだけのことはしておく。

2008年11月27日(木)

 小町の墓の整備をされている。
 辰刻ごあいさつ。印というのは手でするもの。顔に手で触れるのも十分に印。
 偶然にある先生と出会い、お話ができる。お手配。お手配の多い日。

2008年11月25日(火)

 弁財天のご縁日。しかも大黒天の年に。多くの動きがあった。
 辰刻、ごあいさつ。遠くからわかる。昨日からか、人の心で感応する人というのもいる。
 巳刻、うれしいしらせ。お祝いをしないと。
 平成17年の円仁さんの時の金額が、一円と違わないで動いている。25という数字。偶然であるのに今日気がつく。全くもって不思議としか言いようがない。あと動いていくのは自分の力量。
 そのようないろいろな要素がからみあって、今日より動いてみることにする。しかし根本は動かさずに。

2008年11月22日(土)

 自分が不治の病にかかって、それを同病の人から宣告されているリアルな夢を見る。
 小雪。おわす。

 月恩会。筑波の話が自然とつながる。両性具有が福。

2008年11月20日(木)

 甲子の日。昨日ご報告があり、そのご報告。辰刻に近くでごあいさつ。
 比叡山の浴餅法の情報が入る。また、六曜の話。
 文化財の話が来る。これで進めということか。

2008年11月18日(火)

 N学園のスクールで坂東三十三ヶ所のうち四か所に行く。栃木が茨城に変更になったのも偶然、行ったお寺も偶然。電波が届かない日には、多くの連絡が入ってくる。
 途中、茨城の風景を見ていて、まだ日本は大丈夫、と理由もない確信を持つ。
 清滝寺では、小野の小町の墓があったよう。
 筑波には初めてお参り。尼さん。むべなるかな。徳一さんの元いた場所。筑波神社では、仏の途中でも受けていただく。ことばにより。つくばねは、寄生する植物であり、筑波山の上にある、でも採らないでくださいと言われる。またいろいろ種類があるということ。
 今日はじめて千。

2008年11月17日(月)

 辛酉の日。剣のお手入れ。改めて暖かい。太陽と土地と。
 朝タイヤをパンク。原因は違うとは思うが、一つ手直し。だけどいやきつい。
 噂を聞いて午刻、見える人がいる。ほんの少しでずれてしまう。昨日の選挙のせいでも朝ずれていた。

2008年11月16日(日)

 昨日の亥刻に、見えない世界のことを書いてからおかしい。今日の子の刻あたりは、意識と体がばらばらになったようだった。このような状態は、二十数年前にあったことがあったが、しばらく忘れていた感覚。
 何とかごまかして寝て、とりあえず安定しているけれど、夜中に行に飛び出しそうな衝動があった。
 時間からすると、少しあぶない。お寺はいろいろなものがある、ということ。

2008年11月14日(金)

 暖かな日となる。辰刻、ごあいさつ。近くに。
 朝のあいさつはおはようだけれど、何故かこんにちわと聞こえる。火曜の習気だろう。あと卑下する気がある。関係ないのに。
 巳刻、青い服が瞬間見える。見直しても誰もいない。そしたら鬼が島方面。髪の毛を気づかれないように直す。反応ということだから、伝わっているということ。
 万葉集の時代に、占いで言い当てられて困っている話があった。

2008年11月13日(木)

 朝、本尊様にお参りしているときに、直に聞いていただいているように思える。
 密教の話をする。なかなか自分でも勉強になる。
 N大で能面の展示。大黒様、猩々などが面白い。
 亥刻、ある場所を思い浮かべていると、ずっと昔のデジャビューがやってくる。行き来している自分。

2008年11月12日(水)

 昨日からの余韻か、朝寅刻から卯刻に目覚めてしまう。
 気と感情との関係はある。だから仕事も楽であったし、回りの人もそう感じていた。

2008年11月11日(火)

 十一の並んだ日。
 辰刻、ひさびさにごあいさつ。巳刻、郵便局で昨日の話。貯金のイメージが数日前からしている。

 午刻にかけて、Wで円仁まつりの出演者交渉。中学校で卓球、いぼに茄子、などの話。
 未刻、川岸の神社へお参り。動物が待っている。三回、そして小鳥、更に三回。ぼんやりとしたイメージ。
 同刻、ご報告など。恥ずかしい面もあろうが。面白かったと、そのままお話することに価値がある。十二支のがんじがらめ。

2008年11月10日(月)

 巳から午刻、藤岡町部屋のE寺様の本堂を拝見にお邪魔する。おみごと。
 酉刻、無性にホームセンターに行きたくなり、かねてより思っていた商品の値段を見る。そこでトイレをお借りしているときに、なぜかふと大慈寺に関する名案が浮かぶ。
 昨日の話。髪の毛を燃やしたにおいに蝮などの蛇がよってくるのだそう。

2008年11月8日(土)

 霜月会。岩船山の内陣に初めて入れていただく。閻魔さん、脱衣婆、お地蔵さんの数々、求誓房さん、など拝見。一尺ほどの角大師さんも床にいらっしゃる。
 作家のSさんに久々にお会いする。改めて円仁の小説を書いていただくようにお願いする。

2008年11月7日(金)

 立冬。辰刻にごあいさつ。その前にマが入る、どうもよくない。十一月は十日くらい前から始まっているような気がする。
 本殿では、感覚と視覚と。何とか覚えておきたい。

 自分の心のままに行動すると、三回目でも達成できない。しかし時間のずれはあったものの、気持が残る。
 浅草寺に参拝。平日なのに、人の波。観音様。
 8の通過点。

2008年11月3日(月)

 茶話会。その他多数の方が境内においでになっている。
 苦労されているNさんより、うれしい話。すっと未来が見えてくる。その先の話にも行く。鞍馬様のお力も得て。

2008年11月2日(日)

 昨日、今日とすばらしい快晴。こんなに美しい日だからか、幸福感に満たされる。
 十年以上前の因縁話を聞く。やはり恨みが解けなかったのだろう。今では残念だったというが、その時の人たちの心情は無視できない。

2008年10月31日(金)

 随分と温度が下がるようになった。
 辰の刻、ごあいさつ。こっちと向こうと。そのあと、こちらは遠慮せずに見る。
 神保町でお話。そして本などを求める。都営線から歩くのは久しぶり。

2008年10月27日(月)

 先住の命日。勉強させていただく。
 辰刻、ごあいさつ。遠さあり。巳刻、手紙を出そうとしたら、小町の墓の前で相談をされている。基礎の件。そしたら、通じるものあり。後ろ向きでも。どうしても根が取れないらしい。
 建設業者さん。円仁のお話。ご奉仕の方。Sさん。処刑場の因縁話を聞く。ご朱印。三春の桜の手入れにIさん。その他、結構多くの方が見えている。平日なのに。
 酉刻、次々にいろいろな話。
 戌刻、雷と雨となる。昼間はすごい晴れだったのに。

2008年10月25日(土)

 朝から仕事に来られている。こちらは出かけてN大の哲学会で仏教の話。
 リヨンのパンシャール教授の講演。雷が神話の元になったという。日本では神鳴。知人と同姓同名の人が通訳。
 新しい知人ができる。祖父が岩舟出身という人もいた。大盛りのチャーハン。楽しい会話。

2008年10月24日(金)

 昨日からの続きで、長い時間雨が降っていた。しかし気温は高く蒸し暑い。
 辰刻、雨なので、下にいてごあいさつができる。傘をさしたが、近い距離感。
 R会の方が見えて平和の祈り。Kさんは八十歳ということだ。

2008年10月23日(木)

 霜降。雨が降る。蒸し暑くて、汗をかいてしまうほどだ。
 辰刻、雨の前にてごあいさつ。お見送り。本堂建設日記の方も、5千回見ていただいている。

2008年10月21日(火)

 昨日からの余韻が残る。明け方よくわかる。
 辰刻、ごあいさつ。楽な位置に距離が変わる。
 星が弱いというのは、自分の思想が確立せず、流されてしまうという人だ。
 ありがたいお心あり。

2008年10月20日(月)

 土用にはいる。日中は汗ばむほど暑い。
 間違って大慈寺に来られた業者の人を案内。写真、厚生省、小町の話、足湯の話、お見合いの話。
 木をいただく。暖かい秋の日差し。この時の大切さ。合歓木の花を知っている。
 四十過ぎると若いがいい、という説はあてはまらない。その反応こそを示したい。

2008年10月19日(日)

 明け方本当にリアルな夢を見る。病院に友人とお見舞いに行く夢。その気持ちよさが一日中続いている。
 巳刻、R会の集会で先祖供養の大切さ、というお話。宗教をしている方は話しやすいが、逆に信じすぎている部分には入っていくのが難しい。何でも裏表がある。
 Mさんと大慈寺の将来設計の話をする。そこにWさんが加わった申刻、デジャビューを見る。いつこの場面は見たのだろう。次自分が何を話すのかさえ、明確に分かっていた。
 一日中、異常なほどの幸福感がある。

2008年10月18日(土)

 月恩会。徐々に方向性が見えてくる。自分でできることしかできないけれど。江ノ島の話を聞く。
 円仁さんの新しい方向性は必要なこと。さてそこで必要なものもあるが。

2008年10月16日(木)

 昨日の夜、子の刻になっていただろうか、きれいな満月を少し過ぎた月が天空に出ていた。
 あたりは真白になっていて、皆寝静まっていて、自分だけで月を独占していたような気分になった。
 辰刻、ごあいさつ。かたずけをしている。時間になって感謝、気持ち。今日はお祭り。

2008年10月13日(月)

 ほぼ満月。心が月に吸われそうだ。
 巳刻、小町の墓の銀杏の伐採。とてもきれいになった。あそこまで根が張ってしまうと、墓自体よくない。

2008年10月11日(土)

 十三夜。
 辰刻にごあいさつ。巳刻、保育所の運動会。動かなくても手の甲で汗をふく。地元が大切。わかろうとする態度に感動。つぼにはまると、つぼにはまった笑み。
 未刻、お客様。自分には真新しい世界の話のみ。そこでの苦悩。
 そのときに、つい驚かしてしまう。まわりの笑いにも応えてしまう。皮膚感覚は霊感覚。逆に過敏すぎるのだろう。
 申刻に改めて手直しをしておく。安心へ。カップでお茶。

2008年10月10日(金)

 辰刻、ごあいさつ。
 巳の刻、開山堂と大師堂前の雪見灯篭の開眼法要をする。Sさん夫妻、工事のTさんも見える。
 午刻、小野小町の墓を確認。ほうきでお掃除。時間がぴったりといく。
 人間はこの世で終わりではない。直視する勇気。かまきりの意味。
 ひさびさにインドの言葉。暑い日だった。

2008年10月9日(木)

 辰刻にごあいさつ。業者の方がいらっしゃるので、急いでくる。窓から一瞬はずかしさ。しかし大丈夫。
 巳刻、いつもの時間になる。そこでも遠くまごころ。
 未刻、暑いくらいの気候の中でお話。今度の部屋が快適。
 申刻、とてもうれしい話。お地蔵様を拝む尼さんが助けを出してくれたよう。お礼と目標。
 酉刻、プライベートなことでも、先祖が大きくかかわっている。

2008年10月7日(火)

 旧暦の九月九日。辰刻にごあいさつ。昨日のフォロー、ほうき、赤い反応。確か去年もこの時期、そんなことがあった。
 S会の入札に立ち会い。何度目かで、何とか流れがわかってくる。
 午刻、芳賀町より歴史・文化の会の方々。みな熱心。最後は、手に取るようにわかりました、とほめられる。
 同刻、斜め後ろだが、よくわかる。安心ということ。
 申刻、Nさんが見える。去るも地獄、残るも地獄、という言葉がいたい。何が何でも、何とかしなくては。

2008年10月6日(月)

 朝から雨。巳刻、昨日の事件の報告、対応を考える。忙しい中で。
 数字に償いをさせる。よくわかった。状況も感覚も。何が何でもやっておく。
 Tさんは相変わらずすばらしい。名前も情報も的確であり、感心する。

2008年10月5日(日)

 辰刻に、ごあいさつ。
 巳刻、裏山で鳥や小鳥がうるさいほど合唱している。
 茶話会。まあこんなもの。Nさん親子も見える。奥の院に蛇の抜け殻。
 見明の稲刈り。そこで、いやはや、不届き者が駐車場に来る。いったい今後どうしてらいいものやら。

2008年10月3日(金)

 寝ているときに、夢のようなものを見て、まだ信じられないのか、時計を見てみろというように言われたようで、見たら寅の下刻。
 辰刻にごあいさつ。
 小町の墓を整備するというので、昨日業者が入る。一応写真に撮っておく。
 そしたら昨日よりのこと、黄色い反応。心そのもので。空間を超える壁のようなもの。
 7の通過点。

2008年10月2日(木)

 辰刻ごあいさつ。最初は少し。
 巳刻、起震車に乗る。実際に動けない。
 1で来ている人には、余計な仕事や無駄などが来る。隣で受け入れてくれるか。そのまま仕事に行く。
 オーラとして、他の神を受け入れず、自分の先祖だけを無意識に囲って拝みながらで生きている人がいる。たいていは常識判断のみ。

2008年10月1日(水)

 お一日とて、今日は卯刻にごあいさつ。光のようなもの。
 戌刻、帰りの電車で、若い男が眠って頭を肩にかけてくる。何度動かしてもわからない。あれっと原因がわかったら、それ以降かかってこない。塀の内側のことで、親族の思い。今手段は一つのみ。
 日中の社長より連絡。

2008年9月30日(火)

 辰の刻にちょうど雨。
 巳刻に、予定打ち合わせ。仕事は仕事、それはそれ。
 旧暦で見るのもよし。小町のことは皆見知っている。三日前のことも言うべきことは交える。
 今日動いた人は、どんな人だろう。だが、今日動いた人を不思議に多く見かけた。
 安心したときの疲れのようなものが襲う。

2008年9月29日(月)

 雨が降ってくる前にごあいさつ。
 遠く心に、今日は少し遅れちゃった、と聞こえる。

 巳刻、小町の塚を改修するというSさんの発願を実行する前の、御霊抜きの儀式をする。Nさんもご臨席。供養されていない土地は暗い。四本がからみついた銀杏も切り倒すのだそうだ。
 多くの問題を処理できる。やっと力が戻ってくる。

2008年9月28日(日)

 今日も多くの方がお見えになる。初めて参拝に来られた方が多いようだ。
 見明で稲刈り。小雨がぱらつく。じっくり、どっしり。
 丑の刻、自分の魂に反応したような、あるいは人の魂に反応したような、安心すべき応えがある。

 お墓が飛ばされてしまうという実例を聞く。相当なもの。
 まじめな方なのに、相談の方が出掛けに持っていこうとしたら、物実を探してもないという。来ればよくなるはずなのに、先祖さんは、たとえよくなったとしても、隠したいことというのがあるのか。

2008年9月27日(土)

 地元小学校の運動会と、体育協会主催の合同運動会が行われる。土地が力を持ち始める。
 自分の心の内面をつきつけられる。
 よくわかっているのし、わかったのだけれど。子供の先生は特別か。

 昨日、ホールに入る前に虹が出ていた。虹と他界との関係。

2008年9月26日(金)

 辰刻にごあいさつ、お近くで。
 まじめで、曲がったことがきらいな方で、死ぬ準備をすべてされていた方が、なくなる前後、二歳の曾孫を含めて、ごあいさつに行かれた話をお聞きする。

2008年9月25日(木)

 辰刻にごあいさつ。遅れても、遠くてもよし。
 東京の町に振り回される。空振りが多い。カラスの鳴き声でいろいろ知る。

2008年9月23日(火)

 秋分でごあいさつ。きれいにしていただいてある。
 今日は雲が面白かった。天を覆う雲を、一筋の空間が分けていたり、次から次へと形を変えていろんな姿を見せていた。酉刻にはフェニックスのような雲が艮に見えた。
 晋の郭璞は、五行易を本格的にやっていた人らしい。

2008年9月19日(金)

 昨日までの疲れが残る。
 参拝者がいらっしゃり、境内と神社案内。鳥居の前で、巳の刻、あれと思う。ありがたい、九星はだめでも十二支は生きている。
 甘時望という人を知り始める。

2008年9月18日(木)

 朝から雨。昨日富士山を拝めた。
 今日が敬慎院の大祭。十六名の日蓮宗の僧侶の方々と心一つに、四弘誓願をあげる。
 妊娠祈願の裏で、妊娠しないでくれという祈願があった。珍しい。プラマイか。
 かっぱを着て七時より帰り、三十三丁目で、蛙のような跳び方をする蛾でもない、土と同化したようなわからない虫。感謝。
 三十二丁目で、雨をさけて屋根のあるベンチに座っていたら、上から熊よけの鈴の音が近づいてくる。抜かされるのもいやなので、二,三メートル手前に来た所で立ち上がって出ていこうとすると、・・・誰もいない。音もやむ。空耳かと思って耳を澄ませると、空中で小さく一音する。
 十三丁目より下あたりで白い石。十時着。
 くたくただがありがたい気持ちで帰る。酉刻、車の光にありがたい。

2008年9月17日(水)

 庚申で1・1・1.予定が変わって、七面山。
 十二時半からで四時まで。優秀。奥の院の影向石のしめ縄を張り替えるのに立ち会える。二の池でも。
 お万の滝が柔らかい。二十七丁目あたりから気が変わる。三十四丁目で、つがいの鳥が見事なほど交互に鳴いている。十分以上だったろう。四十丁目のそばの木に、熊か、豹か、護法善神かのお顔。この辺より肩が軽くなる。
 奥の院の部屋を歩いていたら、昔この場面に出会ったという感覚。いつも魂が飛んで、高貴な神仏と人間の生活場が近しいこの雰囲気。ここだったのだ。いつも来ていたのは。しかも大祭の日。
 敬慎院の七面様。様々な願。お水。天行林。けんじんと呼ばれる。

2008年9月16日(火)

 雨がやんだので、辰刻にごあいさつ。
 巳の刻、鐘つき堂の回りの除草。そしたら感じるものあり。十分。
 午刻、ご相談の方。星が決めるのではないにしても、そういう人にはそういう星が行く。その合間にご連絡をいただき、地図の話。心で受ける。
 酉刻、やはり、九星と十二支とががんじがらめになることもある。午刻の手直しの意味もあるし、安心することにもなる。

2008年9月15日(月)

 卯刻に感じるものがあり、そしたら休日なのに、午刻に答えがわかる。開放されている。
 過ぎ去った時間は取り戻せない。取り戻すとしたら、未来への創造しかない。
 月恩会。話をしているときに、自分で質問して自分で答えを言っている。話を終えたあとの、この幸福感は何なのだろう。

2008年9月14日(日)

 十五夜。最初少し顔が出たが、後雨になる。
 今日も何組かの方々が参拝に来られていたが、まだ、本堂はどこかと聞かれる。
 お経は本来本尊様に向ってあげるべき。外では仕方ないが、それを思い出させられる。真剣に祈っていると、真剣に祈る人が来られる。
 気持ちを徐々に山に合わせていく。

2008年9月12日(金)

 お参り前にご不孝の話を聞いて、その後ごあいさつ。鳥居を通れないという話が、あれ、と。その理由を通夜の後に聞く。氏神様の偉大な神計らい。
 辰刻に近くでごあいさつ。で巳刻にも、斜面のお話、でよし。
 今日は真夏日か。

2008年9月11日(木)

 丑か寅刻頃、何かつらい別れの夢を見る。
 辰から巳の刻、人の出入りと、その電話連絡。そして確認。
 二十五年前のことをふと思い出す。意識というのは不思議なものだ。

2008年9月9日(火)

 重陽の節句。ごあいさつのときに、心にひびくものあり。
 辰刻、人という字が支えられている、その手をあげられる。
 秋の空、心が吸われてしまうようだ。残暑はまだまだ激しいけれど。

2008年9月7日(日)

 辰刻、白露のためか、います。
 Mさんが修験道の人に聞いた話。危ないものと対峙しているときは、信仰する場所なり神仏なりをイメージし、魂を飛ばす。そうすると危ないものも一緒についてきて、目の前から消える、ということだった。

2008年9月6日(土)

 汗の流れる日、三婆へ。そしたら、途中で浄法寺さんへ導かれる。三婆川が流れ、赤石が取れる。そしたら諏訪という場所がそばにある。大慈寺と全く同じ。御嶽山という山もある。驚くことばかり。
 柔らかい石は固い刃で削り、固い石は柔らかい刃で削るのだそうだ。

2008年9月4日(木)

 辰刻、鳥居の前で何で変なことを言ってしまったのだろうと思ったら、巳刻、遅刻した人がいて出迎える。いやはや偶然としても心地よい。
 未刻、巽の神社にお参り。心を押し殺して感謝のみする。すると慶びとなる。
 開山堂を改修していただいている方々、プロのこだわりを感じる。
 太陽の黒点が一か月以上出現していない、これは百年ぶりである、という記事を読む。七夕の夜、何故太陽を思っていたのか。

2008年9月3日(水)

 昨日は新しい小屋の支払いに行って、三日遅れていたら六万円違ったといわれた。般若菩薩様のお力。
 辰刻、参拝して久々に気持ち良く通じる。巳刻、町、看板、アンケート、小町のことなど一挙に吹き出す。呼吸が内に向いたときに攻めるときは攻める。ほほ笑みの連鎖となる。
 未刻、東京のとある場所で、ついうとうととした時、大慈寺の現在の境内の画に、過去の火事で燃えている画とが重なって見えた。空間がまだそのときのことを消しきっていないのだろうか。

2008年9月1日(月)

 開山堂の基礎工事のやり直しが始まる。土台となっていた五輪塔をすべて排除して岩舟石でやり直す。
 そしたら20センチもあるムカデがいたらしい。とするとやはり毘沙門で間違いなし。自分はトカゲを見たが。
 総理が辞めた。しかしなんでアメリカと日本はこんなに連動しているのだろう。9・11のときと逆だけれど。キーワードは台風、激震、三合。
 三合の日。7,8月の変化の、その最後。

2008年8月30日(土)

 月恩会の日。新しい事務員さんのKさんが見たという、つがいの白龍の夢というのは何とも雄大だ。
 終わってKさんの話を聞いていると、亡き師の顔がぽっと浮かぶ。この経験二年ぶりくらい。一緒に聞いていただいているという自覚をもつ。
 新しい出発。

2008年8月28日(木)

 今日はお薬師様のお顔が近い。
 午前から昼過ぎにかけて蒸し暑かったのに、夕刻よりひどい雨となる。近くの川の水があふれ出し、元の川との区別がつかないような状況になっていた。酉刻、そんな中を外出できるか見るために、おそるおそる車で走ってみた。車の床にまで水が上がってこないか心配になる。帰宅の人たちはどうしても走らざるを得ない。対向車にふと驚く。

2008年8月27日(水)

 辰刻、久々の晴れでごあいさつ。巳刻、本堂や町、NPOのことなど。心配し喜んでていただける心がうれしい。車に乗っていて再度気がつくことあり。
 未刻、やっていることは同じでも、相手が大きいと終わったあとに、非常に疲れる。大きいものは大きいなりに、何かが動くのであろう。こちらでも動かすのであろう。途中で忘れている急所がふと出てくるのは、自分だけでやっているのではない証拠。だからおまかせに。

2008年8月26日(火)

 卯刻、寝坊しそうになるのを烏が起こしてくれる。9と6。
 辰刻、雨が降ってきたので、ごあいさつできず、近くでごあいさつ。
 今日の大施餓鬼でも話が出ていたが、ここ数日の寒さは異常だ。そこで聞いた話。
 天台宗は江戸時代は千二百も寺院があって、明治以降四百弱になった。政治に関係がある。関東の真義真言宗を家康が保護した。明治維新でさらに大きくなった。O町のM小学校は昔墓地の中にあって、運動会は必ず雨が降った。など。
 酉刻、本堂前の庭を二十羽くらいの燕が乱舞している。高く、低く、何をするでもなくただ飛び回る。自分の体もすれすれで飛ぶ。三十分くらいはいただろうか。暗くなるにつれて、どこかへ消えていった。

2008年8月25日(月)

 意外な展開のある日。辰刻に雨が一時やんでごあいさつ。定位置でふと動く。
 雨が降り出したと思ったらご奉仕のKさん、Sさんが見えて大師堂の清掃、焼却。シロアリの危険が迫っていたのを知る。
 Mさんが出した「無縁さん」という言葉が過日の大施餓鬼の話とオーバーラップして、即決する。その後も供養塔の話。イス。家。
 あれよあれよ、で生かされている、か。

2008年8月23日(土)

 大施餓鬼と臨時檀信徒総会が終わる。本堂再建のご承認をいただく。本当の第一歩。HPを更新し、専用のブログも開始する。
 人の不幸を新興宗教で救われた、と思っている人が少なくない。そういう人はそれでいいけれど、そういう人の不幸の原因は、先祖様の祭り方が間違っていることが多く、先祖様が恨まれているような場合もある。その両方が複合することもよくある。
 そんな因縁話を今日聞いた。自分の生き方は、子孫の生き方まで決定してしまう。

2008年8月22日(金)

 ずいぶん涼しい日だった。午後から長そでの人もいた。このまま秋になるとは思えないけれど。
 余裕をもって明日の準備。ただどうもHPの作成がうまくいかない。だめなら、端折るしかないが。
 昨日同様に酉刻に驚き、驚かす。心は見えないけれど、見える形に出てくる。

2008年8月20日(水)

 今日、大慈寺の法嗣が比叡山で得度をした。お座主様たちと一緒に記念写真を撮る。年齢では一番下。とても大切な日。
 午刻、二か所お参り。最初は、最後の礼をした状態で、カラスが五回鳴く。ありがたくいただく。次は小さなカエルがいる。
 申刻、瞬間的な地震。震度二。茨城が震源らしい。
 昨日の雨乞いの話は面白かった。独鈷水は、昭和六年生まれの人が子供の頃、雨乞いをしたということだったが、最近の日照りに困ったSさんが、独鈷水に十五日にお願いしたら、十六日にどしゃぶりになったと話されていた。

2008年8月18日(月)

 年齢のせいか、ようやくお盆の疲れが取れる。今日の九月並の気温のせいかもしれない。
 辰刻はもちろんお参りしたが、未の刻にもお客をお連れしてお参りする。その前に義経や静御前の話でをしていて、ゆかりの村檜神社でカブト虫のお出迎え。いやはや。杉の気がすばらしい。
 少しのぞいて、目と心の焦点を合わせる。巳の刻はパラソル。
 導かれるままに、先徳様と無縁様にもお参りいただく。自分が僧形で夢に出てきたと言われたが、あまりうれしくない。
 仕事に雇用する話と雇用される話。七月の大変動は世間全体の話だったらしい。

2008年8月16日(土)

 お盆が終わる。今回もいろいろなことを学んだ。二日目は、近所でも車だったので疲労度が少なかった。般若心経に守られる。
 今日も車が浸水するほどの雨。昨日は昨日で、北半球が発電所の事故でもあったようかの稲妻。そのあとにはほぼ満月の月が出たが、栃木は雷の本場だ。三鴨山の大文字火にも驚く。
 本山得度のために、法嗣が衣を着衣してみる。足袋を苦労してはいている。

2008年8月12日(火)

 明け方、体が崩れ落ちてしまう程の霊力を受けていて、どうしたのかと思ったら、広間に徳川家康公の神霊が下りてきている、という夢を見る。
 死後御心のまま修行されて、位があがった、という解説までついていた。

2008年8月11日(月)

 数日やんでいた暑さがまた戻る。昨夜の会合の影響か、気が違う。
 2の日とて、動きに対する待ちもあってプラスの面と、位負けのマイナスの面とがある。朝のうれしさは、動かないことで定着する。掃除、不審者、首タオル、ぼたん、などがキーワード。
 看板のデザインを考える。わからない。という人。円仁さんの言葉も有効であろう。

2008年8月8日(金)

 お薬師様の日。
 八と八が並ぶ日。おめでたい、ということで北京オリンピックの開会式があるのだそうだ。

 そんな日に、皇太子様が初めて富士山に登られたという記事を見る。
 辰の刻に業者の人を見る。その後はひたすら自分の仕事。
 酉刻、忙しい中でストレートな言葉のまごころに触れる。ありがたい。

2008年8月7日(木)

 立秋。一日十五日以外でも大切なとき。辰の刻に、きのうからの流れでごあいさつ。
 回りで初孫の誕生の話題が多い。三日と五日とに。
 午刻車を運転していたら、こんなに暑い日なのに、久々にものすごい幸福感がやってくる。
 歌、が気になる。芸術でも、人の心に共鳴しやすいのか。

2008年8月6日(水)

 巳の刻、昨日の手直しをわざわざしてくださる。檀家さん回りをした後、今日は不思議にいつもお導きをいただける。
 新しい部屋ができる。七月節の内に終えられた。
 追い風を吹かしていただける方々が話しあう。先に飛ぶ飛行機も操縦士さんにも、飛び方を教わる。

2008年8月5日(火)

 辰刻、雨の合間にごあいさつ。振り返り。
 供養のための石が一つころがっている。酉刻に、各方面に聞いてみるが、やはり不思議だという。
 自分は何と生き方が下手なのかと思う。
 自分の書いた文章に、自分が気が付き、自分がここで与えられたことを、こなし、積み上げていくのみ。

2008年8月4日(月)

 お盆が近いせいか、朝から墓の掃除に来られている人が多い。
 辰刻にごあいさつ。意思による。巳刻、ネットの紹介と新しい道具。人の心を溶かすのは笑顔ということもある。
 中国の、偉大な思想書でもあり実践書をゆっくりと読む。
 同級生が人間ドッグで問題ありと言われたという。健康を考える年になる。

2008年8月2日(土)

 先々住の三十三回忌の法要を行う。

2008年8月1日(金)

 お一日でごあいさつ。辰の刻にごあいさつができる。
 前より興味があったものが、到着する。外国のもの。
 未刻、ぎりぎりだけれど寄る所があったら、偶然に知り合いがいて、車でゆっくりすれ違い手をあげる。
 昨日の夢で、ヨーロッパの友人とお墓の話をしている情景を見る。そしたら今日の講演会で、ヨーロッパに留学された話を聞き、その後の懇親会でお墓に関わる方と話ができる。

2008年7月30日(水)

 ・・その日、東京は午後から強い雨が降り、空一面が暗く雲に覆われていた。夕方になっても雨は止むことなく、アスファルトを水浸しにしているのが屋内からも見えた。
 酉の刻を過ぎたころより、マンションの窓から西日が射してきた。黒い雲が地面を離れて、遠く高い山並を離れて、わずかな空間から夕日が射してきたのだ。
 その日に向かって合掌して何ごとかを祈った。どの程度の時間だったかはわからない。・・とその時、さあっと開けた窓から、涼しい西風が(この西風の名前が重要なのだが)吹きこんできた。これは何という偶然なのかとしみじみ思った。・・
 
 そんな話を聞いた。すばらしい体験だと思う。孤独な当事者のみがわかる感覚なのだろう。自分には実感としてはわからない。だからこそ自分は、自分の感覚の中で精いっぱいのものを捧げたい。自分のためにも。

2008年7月29日(火)

 興雲律院の中川師のお導きによって、修験のお話と体験をさせていただく。得ることが多い。行をされた方はお声が違う。
 遥拝には拍手があるし、神前では二礼二拍手一拝もある。自分に使えるのは、不動、辻、入門、相輪塔、錫杖、などか。
 勝道上人御廟では、心が楽に入る。一番弟子という方のお墓は、あとでお話をうかがって納得する。
 酉刻、木材伐採や工事のお話。仮本堂のことや、新しい本堂を建てる多くのお寺のお話。ナチュラルに。

2008年7月28日(月)

 何としても、どうしても、昨日から火のようになっている。
 辰刻、ごあいさつ。音によって知る。時も叶う。
 早く楽になりたいと思う時間が続く。楽になったのは未刻。感謝の読経。ローソクの流れが印を表す。

2008年7月27日(日)

 岩舟町の住民の多くが、佐野市との合併を望んでいることが今日判明した。町長も来月15日に辞任するのだそうだ。
 登高座で祈っていて、終わりふと見ると、ろうそくがちょうど短くなって消える時だった。二つの意味があるが、自分は前者の意味で理解した。
 新しいサイトの作成。

2008年7月25日(金)

 昨日家の入口に、二〜三センチのかわいい蛙がいたのをみた。そしたら丑の刻ころ、顔の上に何かがいる。とっさに払ったら、その蛙が飛び跳ねて物影に入って行った。
 昨日、今日とごあいさつ。しかし暑い。

 巡礼行記を読む。死ぬか生きるかの境。そして何が助けたのか。
 食べ物は難しいという意見に戸惑う。であろうけれど。
 心が一点に集まっていて、何がどうしたものやら、そしてどうしたらいいのやら・・。大海に出る。

2008年7月22日(火)

 大暑。本当に暑い。
 未刻、新しい仕事の話、複合する。

 あるお寺に安置されている広智様の像の写真を拝見する。五鈷を右手いもち、なかなかすばらしい。引き込まれるようだ。
 酉の下刻、静和駅から車で運転していると、突然タシデレーと口について出る。そしたら、意外な場所で意外な方との出会いがある。自分ではない。

2008年7月20日(日)

 昨日今日と庚申に辛酉。昨日は渦であり、独楽である。夜には、どうかなと思う人が救われた話を聞く。自分でも驚く。感謝し過ぎてもし過ぎない。
 世話人さんの掃除、世話人会。提案、出だし。
 大峰の回峰行が、比叡山から伝わったということを知る。まだまだ奥深い。

2008年7月18日(金)

 昨夜は、本堂で心ゆくまで心経をあげて、外に出ると、美しいい月が出ている。そばに明るい星がある。昼の暑さのせいか、空が透き通って何とも心地よい。
 辰刻、遅くなったけれど、桜の写真。柔らかな気に戻る。計算することも必要。
 酉刻、お遊びの手伝いと、蜂退治。掌の日なので楽。意識の先を越して対処できる。百人いる中で、なかなかつながるものではない。しかしやはり近くだと通じやすい。
 戌刻、煙がやてきて境内を覆う。何ごとかと思ったら、隣の保育所の納涼祭で焚いた煙が、雨交じりの水蒸気と共にやってきたのだ。結構どきっとする。
 同じ戌刻、驚くべき情報が入る。神の手の中。来週お邪魔する予定だったのに。確かに兄弟が死神のようについていた。しかし満月の日、余力はまだまだあるはず。

2008年7月16日(水)

 丑刻というのは恐ろしい。
 どこからかの帰りに、タクシー待合所のゲームする混雑した場所で、麻薬だか何だかの針を刺され、中毒になりかける夢。そしたらダライラマ法王様が出てきて、侍従医を使って自分を治してくれる。さらにしつこく来たのだけれど、そこで目が覚める。いやなほどリアル。三合。
 三合といえば、酉刻に帰宅し、急いで帰宅。これも三合。だから取り持つのが酉であり申。
 巳刻、大成殿の孔子様にごあいさつ。

2008年7月14日(月)

 何とか現状に復す。
 辰刻、土曜の後片付けと、蛇除けのこと。納得することが大切。それで心が入る。よろしいでしょう、ということで。
 HPに書き足し、表紙の位置を変える。

2008年7月13日(日)

 辰刻、神社の階段に巨大な蛇が出迎え。緑のつやつやしたもの。二メートルもある。昨日、主の話を向い側の山でしたら、気持ちが来る。その影響か。そしたら金華山に参拝されている方も、巳刻、同じように蛇に出会っている。
 巳刻、艮から坤に向かって、岩舟上空を長く細い雲が三十分も留まっている。決して飛行機雲ではない。視界の半分はある。そしたら、今日大きな地震があるかもしれない、という風評を流している人がいるということだった。それと関係があるのか。
 災いを一つ消す。お化けは心のすき間に入る。
 新しい世界が見える。なつかしさと新しい感動と。世の中、まだまだ知られていない人がいる。
 五の区切り。

2008年7月10日(木)

 辰刻、いつもと位置が違う、しかし排除ではない。真ん中だから。
 その影響で巳刻、人形の話。話が通じず、機嫌が悪いこともある。真ん中は確かに忙しいのだけれど。
 寂しくなったら尋ねていくと、凸凹があるから力が出るのだと。自分で善悪を超えて理解するようにする。
 そしたら、そのあとの車の番号が、これでもか、と思うくらい同じ番号が続く。確率的には奇跡に近い。心を支えるように、と示してもらっているよう。

 未刻、様々な情報を得る。自分の不足がよくわかる。切りの問題。これは指導者の義務なんだと。本や口だけでなく、本人を見ないとわからないことだってある。
 酉刻、引かれるように、穴八幡へお参りする。

2008年7月8日(火)

 辰刻、朝から虫を払うような季節となる。お薬師様の日。
 巳刻、予定を立て直し、ごみを受け取り、行政関連の予想をし、選挙の日程を確認し、繋ぎ目の役ができなかったことを残念に思う。井戸水はがばっと触れるべし。くすみがかかる。お見送りをする。
 大師堂のお掃除。短大生の見学。Sさんのお知り合いの参拝。あと・・、何というか、久々に変わった方もおいでになった・・。
 太陽の光がほしい。最近太陽が気にかかる。

2008年7月7日(月)

 小暑で七夕。辰刻、ごあいさつのときに、御注意を受ける。心得違いがあったかと思って、午刻、再度ごあいさつをする。
 昨日故障した虫歯が一日で治ってしまう。思うことあり。
 七夕の星のエキスがブドウの房のように降りる、ようだ。夜には木々の影からいたずらな顔を出している、ようだ。

2008年7月5日(土)

 暑い一日、いろいろな方がお見えになる。
 広智さんの夢を見てきた、という方は初めて。下野の広智禅師だけでよく来られたもの。
 そのあとも偶然の次に偶然が来て、とどめは、申から酉刻になるときに、一瞬地震が来たこと。間違いなく何かが動いている。今年の円仁まつりで写った先徳の方・・、と感じていたのだけれど、さてどうか。

 輪が広がる。もうける人はどんどんもうけてほしい。それがこちらの願い。天地の弥栄。

2008年7月4日(金)

 久々にK先生と山々を巡って修行している夢をみる。
 朝方どしゃぶりだったのでお参りできないかと思ったが、辰刻、ごあいさつできる。特殊な巳の日。
 鈴が止まると見られるということ。隠れてもよいが、昨日の気がそのまま残る。
 大事な話が動いている。自分が試されること。
どこまで磨いてきたかということ。
 暑い日となる。お遊びで相談は受けられない。

2008年7月3日(木)

 辰刻、遠くからでも小雨から逃げていく状況を理解できる。
 巳刻、一昨日新聞ででた、ご奉仕の方々の情報をコピーして配る。井戸水が冷たい話もする。決して飲んで生活していません。
 とりあえず仲を取り持つきっかけだけは作る。あとは本人次第。
 しかし柔らかな気を持つ方がいたことを改めて知る。それまでの距離の問題もあったが。息と気は音の上でも重なるか。
 
 昨日神田明神で茅の輪くぐりをする。そしたら説明があって、鳥居でもいいのだと。鳥居の場合には、左右左と、内側から8の字を描くように回ってから本殿に行くと書いてあった。
 お寺を守ってきた先人のことを思う。現在、どんな寺であれ、寺を管理し維持していくのは大変なのだと改めて知る。

2008年7月1日(火)

 明け方寅の刻、今日会うはずの友人の夢をみる。おかしいな、と思っていたら、午刻、都合が悪い旨の連絡が入る。本当に明け方の夢というのはおもしろい。そしたら落ちがあって、最近遅くまで明るいので、参拝の方が戌刻になってみえた。その人がぱっと見で、その友人と似ていた。三合の話としてはできすぎの話だが・・。
 辰刻、待ちに待ったこと、その予定通りに動く。掃き掃除をする。気配りもありがたいし、十分理解できる。そして今度は、その対応が三合ではなく六合で酉の刻であった。存在自体が大切な時間。

2008年6月29日(日)

 ほぼ一日強い雨が降り続く。急な来客もない。
 読経をしては瞑想をし、読書をしてはサイを振る。看板のデザインを考えては本を探し、体をほぐしてはまた瞑想をする。こんな日があってもいい。

2008年6月25日(水)

 以前からの願いに従って話を進め、午刻、大きく前進する。自分で進んでみるものだ。
 また文化財の話も動く。
 そういえば昨日、本堂内陣で写真を撮ろうとした方、自分も気軽に許可したのが悪かったのだけれど、何かに触れたな、と感じた。そのあと何も気にしていなかったら、カメラが故障した、とおずおずと言われる。こんなことは初めてだということだった。自分の想像を超えて、教えられる。

2008年6月23日(月)

 出入りの間、ごあいさつの声が大きく響いたかもしれない。
 いつも線香の匂いがすので、境内がきれいになったせいで墓地の線香の香りが来るのだろうと、思っていたら違っていた。露座の観音様を覆うようにかぶさった日本の菩提樹と呼ばれる花が満開であり、その匂いだった。いや全く気がつかなかった。
 ご奉仕を遅くまでしていただく。酉刻、その姿を見られる。気がつかれていないようで、あいさつされたので、気がつかれているものだとわかる。

2008年6月21日(土)

 夏至の日、水に関する貴重なお宝。
 月恩会。自分も学ぶ。

2008年6月20日(金)

 辰刻、平常に戻る。音でつながり。
 巳刻、月下氷人になろうとして仕掛け。ゆっくり説明したのだけれど、中間に入っている人のためらいもあって、しかし共通性がたくさんありすぎるのだから、来週仕切り直しとするか。カレーの準備。結界を占めるときには、お腹でごあいさつ。メタボになってしまった。
 夜、用事があって、昔、若いころ住んでいた高円寺・阿佐ヶ谷付近を歩く。若い頃の記憶がふと蘇る。

2008年6月19日(木)

 昨日井戸にポンプがつけられる。もし必要な人がいれば、持って行って行ける。あと少しの整備をするだけ。
 辰刻、働く人影と心が見える。巳刻、昨日のお礼と次の予約。完全なる子供の気。これが開運の道か。
 初めて副都心線にのる。現在的なつくりだが、災害のときの避難場所であるような気持ちもした。距離はよい人、悪い人、いるであろうが。

2008年6月17日(火)

 ほぼ満月。人の心が乱れる。
 大慈寺の境内清掃のボランティアをネット上で募集を始める。お寺としては清らかさを、御奉仕の方には自然と歴史とのふれあいを、それぞれ得られるようにという願いのもとに。
 しかし実際にはどうなりますやら。・・のんびりと行きましょう。

2008年6月15日(日)

 円仁剃髪の井戸の井戸水をくみ上げる。中はきれいに石段が組んであり、水も透き通っていた。専門業者の人も、こんな井戸は見たことがない、と言っていた。深さ920センチ、直径80センチ。1200年前のもの。まだ蛇口もつけていないのに、これだけで、境内全体の様子ががらっと変わる。いかに大切であったかと。
 夢の中で、今日必ず大慈寺に行くようにと言われた、といってお客さんがおいでになる。空海さんの誕生日。それを言われても、自分にはわからない。とりあえず、自分の知っていることを申し述べ、そこから判断してください、という。
 その人は、昨日、大慈寺の本堂に寝た夢を見たといっていた。確かにそれには感じるものもあり。
 気がつかなかったにも程があるが、最澄さんが比叡山を開くとき、弁財天の導きのままに、国家平和を願って薬師如来を彫刻したのだという。
 昨日辰刻の東北地方の地震は、確かに盲点だったかもしれない。あとから言われればわかるのだけれど。

2008年6月13日(金)

 辰の刻、ごあいさつ。理解されれば、問題なし。
 午の刻、神の日だからではないけれど、神社参拝。ご連絡もしていないのに、烏が待っている。暑い日なので風がありがたく、垂がはためいたが、祝詞が終わるとすっと止んで、ごあいさつの邪魔にならずにできる。帰りに小柄で細面の男性と出会う。
 知らなかった、というより忘れていた多くの情報に出会う。まだまだ足らない。バカになりきれていない。

2008年6月12日(木)

 朝雨が降るが、傘をさしてお参り。電話の応対中に、ありがたいことがある。心の同じ基盤。
 申刻、雨があがる。東京で7時半に仕事を終えて、外に出るとまだ明るい。一年のこの時期だけとはわかっていても、何とはなしに心はずむ。帰宅までの三時間後には、すっかり暗くなってしまっているのだけれど。

2008年6月10日(火)

 時の記念日。ごあいさつ。白いものは気のせいか。
 巳の刻、弁財天のご供養。最初に石笛。終わりに、今まで音の出なかった別の穴でやる。とびっくり、一度で場所が決まって、明瞭な音が出る。うーん。
 同じ刻、水道工事があって、水道が破裂したいたのだという。それに関連して情報交換。ゆっくりと時間をかけられる。目に入れなくて残念、という姿も見せる。境内に場所を移して、御奉仕の状況などをすぐ肩越しに解説する。
 また同時に、看板のせいだろうか、真剣に祈られている方が目に入る。
 お客さんより、地震の原因のお話。それから核融合による、エコ・エネルギーのすばらしいお話。大阪大学名誉教授で文化勲章受章者の荒田吉明博士によると。実用化までもう少しだと。夢は実現すると。
 酉刻、宗務の話で急いでいたが、帰りに意思の疎通ができる。
 戌の刻、どこからともなく大きな蛍が一匹ゆらりふらりと飛んできて、そして円仁像のそばの木に止まる。何とも不思議な景色。亥の刻、それは蛍ではない、と言っていた人もいたが・・。

2008年6月9日(月)

 子供たちが来て、みんな、たんぽぽの種にまっしぐら。小さな手で上手に折って、顔をマンがに書いたように、器用にふくらましてふーっと吹く。種がわーっと広がって飛ぶ。何とかわいいのだろうと思う。
 申刻、明日の予定を入れる。電話表示があるので声を聞かなくても誰だかよくわかる。

2008年6月8日(日)

 旧暦の五月五日。こんな日に、秋葉原では通り魔。
 昨日訪れた場所は、旧大名の屋敷跡。さすがに気が違う。昔の人たちが知っていたことがあるのだろう。
 久々に一円玉。いや熱くなるほど、違う。

2008年6月4日(水)

 宗祖大師のご命日。
 四国八十八か所の集印帳のご利益を聞く。知っている人は知っている。護摩はもっとすごいのだと。
 あと求聞持法の体験者より。求聞持法をやっているときには、とにかく多くのマが寄り付いてくるのだそうだ。心に信念をもってやらない限り遂行できない、自分はおすすめしない、ということだった。
 巳の刻、測ったようなできことがある。工事のこと、そしてお礼。お互いの行動の確認もする。声が低くなるのは、飾り気のない証拠。自分からさらけ出す。
 続いて、神田明神にごあいさつをして、おみくじを引くと大吉。なぜかうれしい。
 仕事を終えて酉の刻、天台とゆかりの深い浅草寺にお参り、ご宝号をあげる。

2008年6月3日(火)

 雨が降り続く。朝、看板の様子を見ていると、お手配されたように、こちらに気がついてくれる人がいる。昨日からの流れ。同じことが未の刻も。時間の十二支で追いかける。仲を取り持つもので。
 申刻、新しい仕事の話。さて雨が消してくれるかどうか。
 不在でないことを、勘を信じてもよかったのに気が付く。だけど心に対する勘が、人のオーラのように来る。

2008年6月2日(月)

 ご祈願をしている神社に関係のある場合には、ごあいさつをする。とても大切な日。そして辰の刻、鈴と入室の礼儀。
 巳の刻、何としてもしておくことがあって、何としてでも、目的を達成する。小さいものだからこそ。三年目か。目の前で修正もする。
 ご苦労をなさった他宗のご住職との有益なお話。本堂と自分の命とを引き換えにするのではないかと思った、という言葉が耳に残る。
 奥の院に参詣いただいた方の話によると、岩の上に、大きな青大将のつがいがいたそうだ。
 待ちに待った本が到着する。しかもこの縁のある日に。言霊のすばらしさ。
 四の通過点。

2008年6月1日(日)

 お一日。ごいさつ。昨日と今日でこんなにも気が違うものか。
 観音様の看板が完成する。様々な申し出がある。 犬と交通事故の因縁話など。
 肉体労働のご奉仕の方と混じって仕事をする。今はこればっかり。

2008年5月30日(金)

 朝少し雨が降る。やんだあと辰の刻、遠くで歩いている足が見える。
 
世の中、本当に似ている人というのはいるものだ。視線の動かし方までそっくりだ。
 変わった本を入手する。一体どのような意味が自分にはあるのか。

2008年5月27日(火)

 ご奉仕の方と、伐採業者の方がいらっしゃる。辰の刻、久々の外出装い。うまい具合に、すぐそばでごあいさつ。
 今日見てきた情報。床の間にお寺でも実は刀。その前に素晴らしい十一面千手観音。あと天蓋をすること。その下だけ場が変わる。

2008年5月26日(月)

 辰刻、ゆっくりするのも、こちらで尊重しているということ。
 昼間は真夏日のように暑い。会議やら、掃除やら、交渉やら、何やら・・。
 酉刻、すごい夕立。一歩前に脱出した人もいたようだが、こちらは手ぬぐいを頬かむりして雨宿りして、そしてすぐ逃げる。辰酉の合。心も乗る。陰遁初めで、とても重要な時間。
 雷が佐野あたりの落ちたようだ。縦に稲妻が走ったあと、間を置かずにゴゴーっとくる。雹も降り、屋根を伝って滝のように落ちてくる。五分ほどで庭が水びだし、川のようになる。雹は神の分身か。地面ではねて、とび、地に積る。また建物のガラスにあたる。一瞬ひんやりした空気が流れる。徹底的にたたかれる。自我をなくす、何の言い訳もなし。ほんの二十分程度。

2008年5月25日(日)

 昨日から陰遁の始まり。比叡山の行者さんたちの話を聞く。天部の神のこと。Mさんは前世で大慈寺と縁があったように感じる、という。参拝されたあとは、二〜三日気持ちいいのだそうだ。そう言われるとこちらもうれしい。
 今日聞いた話。戦争中は、村檜神社のご神木の西で、春と秋のお祭りのときには、的をつるして弓道の大会があったそうだ。
 大慈寺に御奉仕いただいている方々の「藤」の因縁はおもしろい。確かに円仁さんを中国に残してくれたのは藤原姓の人だったが。

2008年5月23日(金)

 夏のような暑い一日。
 巳の刻、時計で一秒違うのがそのまま、一秒違いの事象となる。でもわかる。

 午の刻、今日は家にいて、完全なる天の真澄鏡。お許しを得て神社にも行って拝す。
 自分の見える世界、他人の見える世界、プラス変化する世界がある。十人それぞれ見える世界が違う。不動のものは仏説である、とするのがお寺に生まれた者の立場であろう。縁起と空。

2008年5月22日(木)

 木々の間から透かしていると、その行為に反応される。十分なこと。ほぼ達意。
 地元小学校の生徒が見学にくる。質問が飛びぬけている。
 夜の授業、デジャビューのようなものを見ている自分を見る。
 無縁さんは、何十年ご供養しても、これでいい、ということはないのだそうだ。

2008年5月21日(水)

 ほぼ満月で小満で辛酉。ひたすらごあいさつ。
 丑の刻ころ、亡くなった師の夢を見る。生前と同じように甘えてしまっている夢。手の感触まで残っているよう。
 二週間後に種を植えるので、今日買っておく。無意識に買った本。
 確かに自分の心以外に、自分の周りの世界はない。

2008年5月19日(月)

 この前、境内にある観音様をきれいに掃除してもらったとき、何の変化もなかったのに、昨日、普門品の碑を正当な位置に戻すという話をしたら、見るからに喜んでおられる。
 開運するには掃除をしましょう、という話があり、もちろんそれは重要なのだけれど、家を見るのには、実はもっと重要な視点がある、ということ。
 今は音信不通だけれど、ずっと前の知り合いに似た人をふと見かける。目元とかをじっと確認してしまった。想起することがあったが、5・5の日はきつい。
 巳刻、片手をあげる。驚くことではないけれど。手直しと納得。
 電線にかかる杉の枝を伐採してもらう。
 中国四川省の大地震援助のために、何かしようというK社長の申し出。募金もさることながら、署名をいただくようにする。駐車場看板にも案内を取り付ける。そういえば、四川省の地震は、旧暦の四月八日だった。チベット地区だし。恐らくとは思うが、はっきり見えてこない。
 申刻に、Sさんご寄贈の奥の院の看板が通り沿いに立つ。車の人が皆見上げていく。字も素晴らしい。
 遠くで青いシートがあがるが、意味はわからない。しかし意思が重なりあう。

 月の満ちようとする日、大きな変化が起きる。時、激しく満ちる。

2008年5月17日(土)

 頭で判断すると、ろくなことはない。勘に従うべきときはそうすべき。清掃やら業者対応やらでいなくてはならないときがある。
 巳の刻、法事の合間に梵鐘を二度つく。これで伝わったであろう。

 熱意ある人に引かれて、自分も作業にいそしむ。短時間でもやると境内が変わるものだ。
 般若菩薩の曼荼羅が大きな寺院さんにあって、それの左右に梵天と帝釈天がお立ちになっているという。とするとこれは盧遮那仏と同じ。仏の母。

2008年5月16日(金)

 辰の刻、鈴に、あけ放しの戸があり、昨日からの流れで心地よい。九日前の手直しともなる。
 恥ずかしいのだが、やっと歩み始めた、という感じ。神仏を彷徨する。
 仕事を終えた夜、月が出ている。この気分のよさは何なのだろう。気候がいいからなのか、それとも何なのか。

2008年5月15日(木)

 巳刻、写真のついでに作業。ご指名なら断れない。高く手を伸ばして上を向いて枝を切る。その様子をずっと見ている。先月とは立場が逆で、釈迦の掌の中。それでも心地よい。
 しかし似ていると言われていやな人もいるようだ。いやはや。
 栃木のKさんが、檀家さんでもないのに御奉仕二日目。ありがたい。奥の院も見違える。

 最近沖縄の方の本に出会うことが多い。自然な純粋な信仰の中に、本物があることがある。

2008年5月13日(火)

 ふと、後ろを見られて、後ろを左右から振り向く。平常に戻る。
 本堂で線香が二重の丸となっている。
 話をしていて、雨だったので平気で話しをしていたら、肩が痛い。あれ、と思うと雨がやんでいる。これほど出るものか。
 お別れの話。これでよかったのだと思う。勇気をもって判断。苦労の果てなので。
 Sさん、御奉仕二日目。大感謝。

2008年5月9日(金)

 巳刻、大慈寺の活動を外に伝えるための看板の打ち合わせ。
 そのせいか午刻、静和駅付近で、ふと上を見ると真澄鏡が出ている。それが完全ではない。四分の三程度できているのだが、そのうち特に、その下の半分ほどが虹色になっている。こんなのはじめての経験。
 未刻、引かれるように、初めて靖国神社を参拝する。様々な意味をこめてごあいさつ。
 酉刻、東京国立近代美術館の東山魁夷の展覧会を見る。本人の声でテープの説明がある。一見描ける人には描けそうな絵にも思えるが、彼の思想と思索の裏打ちがあることを改めて実感する。

2008年5月8日(木)

 丑刻、比較的大きな地震がある。
 作為なく、流れのままでいて、こんな偶然に出会えるということに感謝する。

 辰刻、心に対しての音、であろう。
 申刻、どうしようか困ったことがあったのだけれど、ふと話しだした内容が、それを解決するきっかけであることを知る。本当に何気なく話したことなのに。
 酉刻、いつもの道を歩いていると、警察の人たちがいて止められる。すると胡首席が目の前を通っていく。あれれと見ていると、それは国賓、大きなものを持っている。すごい警護もついている。政治のことはわからないが、ふと空を見ると、うす曇りだが晴れ。梅花心易。ほんの五分違えば見られなかった。

2008年5月5日(月)

 立夏で節句で花まつり。曇り時々小雨でしのぎやすい天気。これで作業の方々も楽だろう。二十年も前の同僚の方がおいでになる。また近隣のある寺院さんに、こちらをよくしていただいている噂を聞く。
 まだ昨日の人の気が残っている。相当深いものなのだろう。それともう一つ、漠然たる方向性を見出している。まず自分がよくなること。それから他人。

2008年5月4日(日)

 今日も暑い一日。夢の中でいろいろ教えてもらう、という女性がおいでになる。久々に一般の人のお話で気持ちがいい。足の指の先まで。だから問題ないと思う。
 女性は嫁ぎ先ではなく、実の両親が守る、というのも確認できた。前世で夫婦だったという方もお連れになり、なくなった様子まで記憶されている、と話される。自分は自分のできるお話をさせていただく。
 昨日はある企業の社長さんとお話ができる。確かに眉毛が円仁さんに似ている。円仁さんのお導き、という意見も出される。さっきの人といい、確かにそんな気もしている。

2008年5月2日(金)

 神参り。連休前なので、辰刻、お気持ちがありがたい。
 巳刻、花まつりの案内配布。お忙しい中を、伝えられるし、また事故の事実も伝えられ、決して押しつけでないことを理解してもらえたと思う。
 申刻、まあそれが普通であったのだと思う、ことにしよう。ナチュラルであればこそ。それを補てんするように、酉刻、古巣に帰る道の後をたどることあり。今日三回目。

2008年5月1日(木)

 お一日。夏のような陽気。各方面へ小野寺の問題を話して理解してもらう。しかし結果は星の通り。今日でなくてよかった部分もあり。
 三つ。見えないが、積み重ねられているのだろうか。

2008年4月30日(水)

 寅刻に、ふと目が覚める。昨日の掌によるのか、あるいは自分の本心の求める所なのか。
 四月なのに汗ばむ陽気。午刻、職場近くでなかなかお参りできない神田明神へごあいさつ。近くまでいくと違う。
 酉刻には、引かれるように、三崎町の神社にお参り。本殿の前に立つと、カメラのフラッシュにような光が出る。警備なのだろうか。久々に参拝の旨を申しあげ、参拝されているであろう方の安寧をお祈りする。
 『観音の光に包まれて』(春秋社)。大原弘盟という八十七歳の尼さんの本を読む。先輩より学ぶこと多し。

2008年4月29日(火)

 卯刻、Kさん一家と会食をしている夢をみる。最初はKさんと子供、あとから皆がくる。その後一日、心地よい気が残る。
 神社参りに、ご報告をすれば、強烈なる想いに共感いただく何かがある。

2008年4月28日(月)

 つつじの時期とて、多くの方が参拝になる。
 その日何かあるときに、烏が教えてくれるのだが、卯刻、玄関先で、五回、三回なく。前に車におとされた糞を読み解けばよかったかもしれないが、なかなかわからないものだ。同じような繰り返しともいえる。
 辰刻、余計なお節介をしてしまったようで、拒絶される。時間が一番の問題点をついていたようだ。それはそれで、こちらの良心に従ったまでのこと、何の不満もない。しかし事象が消えている。
 その後、自分の家の先祖参りをしているのに、そちらの神社から感謝の気持ちが来ているようだが、まさかと思う。錯覚だろうか、不明。
 巳の刻、保育所の子たちがつつじを見にくる。事象が消えていることも伝える。今日は掌の中だと思ったので、現状に復す。そのあと、見送りもあるけれど。自分の本当の仕事の内容を理解してもらっていないのだろうから、仕方無い。山全部がピンク色になったよ、と言われて、こちらも改めて見直す。
 午の刻、天の真澄鏡が出る。少し曇っているのだが。笛を吹く。笛と言えば、形が様々、それで口の形、音、・・から、必然的にあるものが帰結される。自分は誰と思えばいい。執着しても、何ともいい。
 酉刻、S先生が来られて歴史の話をさせていただく。問題なし。
 戌刻、お世話になっている中学校の先生が、昨日自動車事故にあって、意識不明の重体である、という話を聞く。ここ数日の感覚はこれだったのか。

2008年4月26日(土)

 北京オリンピックの聖火が長野を走っている間、急きょ、遠く栃木でチベットの話をさせられる。
 未刻、待望の品が届く。音が裏山一面に響く。一挙にその場が変わる。いや素晴らしい。あと一つの穴にもチャレンジする。こちらは手強そうだけれど。
 明治四年の人の心に想いを馳せる。信仰が生きていた時代、そこから平成の今に繋がっているものは何か。
 三合の日。

2008年4月25日(金)

 巳刻、自分のなすべきことをなす。義務であるゆえに。それを話さなくては、と昨日はあまり寝られず。不在からの電話なので、明るい対応をいただいたのだが。
 もちろんその後に祈り歩く。年度からのお礼も込めて。川沿いの神社で瞑目すると、一瞬上座から何かが動いたようにも思える。

 話すべきことを話し終えた後、電車の中で不覚になるほど爆睡。
 神保町の交差点で師のリアルな顔が浮かぶ。弟子のどなたかを誉めていた場面を思い起こす。やはり弟子は努力しなくてはいけないというメッセージなのだろう。

 強力なお守りをお渡ししよう。

2008年4月24日(木)

 いつも木曜日になると雨が降るような気がする。今日も一日雨。
 午刻、人口減少問題の確認をし、親類関係の念押しをする。
 だけど、ふとみた人相、言わないと後悔する。それが「知った者」の役割。明日。

2008年4月23日(水)

 巳の日で6・6の弁財天にご縁のある日。亥刻、自分が辰に縁のあるときに、あるものが手に入る。おそらくご縁だろう。

2008年4月22日(火)

 今日は一日教育関係で動く。巳の刻から電話を入れ情報を得る。その後は嵐のように動く。
 その中で、何とも珍しい、驚くべき情報を得る。昔の記憶というのだけれど。確かに勘が示していた何かはあったが、まさかという感じ。今度どう動いていくか。想いを込めて。
 亥の刻、十六,七日の月が東南の山から出る。何とも真赤な色をしている。

2008年4月21日(月)

 穀雨でほぼ満月。
 看板の話になる。熱意ある方に引っ張られる。
 昨日あわてて買った本に、一文、自分にとって重要な情報がある。

2008年4月19日(土)

 原宿で会席。いろいろな世界の人と出会う。
 もう二十年近く前の思いでが出る。亡き師と行った食堂やらデパートやら。その後月恩会。本当は自分のレベルが低すぎて、話など恥ずかしくてしたくないのだけど。

2008年4月18日(金)

 一日中、ひどい雨。
 神保町で本を見ていたら、二十年ぶりの方に声をかけられる。気が付くとSさん。こちらは随分肥えたのに、わかっていただいてありがたい。

2008年4月14日(月)

 三合の日。午前八時を期して、円仁ゆかりの寺院で梵鐘をつく。別の音に、前もって話していた気持ちで理解しあう。
 申刻に、北に入道雲が出る。鹿沼の上空の当たりか。雲まで何の妨げもないうえ、誰も踏み荒していない雪のように美しい。
 酉の刻に独鈷水での調整。白字を赤にしてもらうようにする。ただ前もってやはりこちらにお話をいただいていた方がいい。背中と両脇を山々に囲まれ、木々の間からは上限の月がのぞく。唯一開いた西側の遠景には美しい夕空が見える。あの下の山は足洗いの滝あたりだろうか。
 戌刻、明かりがあったので行くと、どうも少し驚かしてしまったようである。むしろ意外すぎて喜びにもなる。実際不審な自転車もあったし。お隣の神社との境あたりが開発されていた一昨日の夢と、何かしらか符号を感じる。上に立つ者は、他と色が違わなくてはならない。でも白というのは別の意味でいい。
 不審といえば、九日の新聞に、川沿いの神社で賽銭泥棒がつかまったという記事を見た。

2008年4月10日(木)

 来週月曜日朝に鐘つきをするその準備。
 巳の刻、心静かに会話ができる。子供を受け入れてくれるというおとは、本当に受け入れてくれているということ。目は心の窓、か。
 比肩があると、本当に自分の世界を持つ。それでもよし。
 フレッシュマンたちに会う。この時期皆が感じる、何ともいえない感触。

2008年4月8日(火)

 お釈迦様の日。改めて、自分と和解する道具を眼の当たりにして、漠然と自分の方向性を知る。
 朝からひどい雨となった。まるで桜を散らすのを仕事としているようだ。

 最近読む本に、意味深い言葉が多い。「後ろの色が見えない場合には、音を色と捉える練習をするといい」とか「トイレは裏側で異界と繋がり、家の秩序を正す」とか。
 酉の刻にはすっかり雨もあがる。車のガラスに花びらが落ちて、飾りをつけたようになっている車を見る。よくわかる。

2008年4月7日(月)

 確かに桃太郎でも何でも童子が鬼退治をする。聖徳太子も童子像がある。童子がヒントになるか。
 自分と和解するには、自霊拝しかない。心経は仏だが可能か試してみる。

2008年4月5日(土)

 午の刻ころ、うす曇りの中、天の真澄鏡。

2008年4月4日(金)

 清明。まだ気が入ったばかりで、回りにいるという感じ。
 墓参りをする途中の道に、緑色の蛇が横たわっている。

 一日中晴れてはいたが、夕方から雨、と雷。そしたら戌刻に、ドカンと地震が来る。地鳴りがなくてきたので驚く。震度四だそうだ。
 地震と低気圧の関係はわかったが、昼間も雲を見ていたのに、まさか、という気持ちが先行して真面目に観察しなかったのが悔しい。

 栃木県のつくったHPの中のインターネット放送局に「とちぎの誇る偉人〜慈覚大師 円仁〜」というのがある。そのせいだろうか、最近参拝者がいつも以上においでになっている。

2008年4月3日(木)

 お地蔵様の前掛けを直した昨日、お地蔵様の足元に、子供が落し物をする。今日お届け。
 ほぼ満開の桜に引かれてあちこち散策。仕事をしている人もいる。
 奈良市長をされていた鍵田忠三郎氏の本を読む。「雨は地表にて知り、地震は雲にて知る」という地震雲の研究者でもあったらしい。しかも般若心経を百万遍あげた人でもあった。日本にはいろいろな方がいる。学ぶこと多し。
 酉から戌の刻、観光協会に行こうとして交差点で待っていたら、驚くこともあり。

2008年4月1日(火)

 お一日。寅の刻、気も静かな朝、烏の一声に起こされる。
 そしたら卯刻頃より雨がひどく降り出す。辰の下刻頃止みそうになったので、一気にごあいさつ。そしたら雨が時間に幸いして、ごあいさつ。
 巳刻から晴れたが、一日中ひどい風が吹く。大木が揺れる。雲が飛ぶ。
 山形より来られた方が、東北では冬は、深い雪に埋もれているので、生きていること自体が修行なんです、という話をされる。何かすごく心に沁みる。

2008年3月31日(月)

 年度末とて、人が行ったり来たりする。仕事も酉から戌刻まで続く。テールランプが光る。

 自分では自分のことはわからない。簡単なことなのに、他人に指摘されてわかることが多い。何故大慈寺が二度も全焼したのか。長い歴史があっても残る寺だってあるのに。その原因がわかった。わかったらかには対処できる。ありがたし。

 中国のギョーザ問題の後にチベット問題。とすると、亡命政府は日本の星に近いのか。誕生日か59年か坤か。どちらにしても危うい。

2008年3月29日(土)

 干支九星と心理学者のソンディとが、最後には一つになる、と言われる。何というか、そちらはそうかもしれないが、こちらは何にもとらわれず普通に、着実に進む。
 今日聞いてよかったのは、怒ること、怒鳴ることは負けないためなのだそうだ。
 昭和11年の神典が手に入る。万葉集の人麻呂の歌を見ていたら、古代人の心がリアルに想像できたような気がした。

2008年3月27日(木)

 昨日は遅くまで役員が決まらず。雷に雹が降る。東京では桜だったが、こちらでは梅が散りだしている。
 辰の刻に、工事開始の話。大体どうにかなるのでその場所にいて、二度後ろ姿を見る。

 巳の刻、知人より借りていた書類のコピーを発送する。喜んで駆け足。忘れ物をして恥ずかしさ。
 土地に存在するということは、その土地の気を受け入れているということ。
 そうそう、知人のF先生がツォンカパの伝記を出されたようだ。

2008年3月25日(火)

 夜、大きな寺でのリアルな法要の夢を見る。
 甲子。たまたま見ていたニュースで、賢所に仮遷座されていたご神霊五体が元に戻され四月よりお祭りが開始されるというのを見る。もう少しか。
 古代エジプトでは、玉ねぎを儀式の時に使ったのだという。チベットとの接点は何だろうか。ツォンカパ。

 申の刻、結果のあとの一日目。普段の通りにそのままに。

2008年3月24日(月)

 辰の刻、雨が降ったりやんだり。どうしようか、と鳥居の前まで来ると、本殿が大きく見える。それでえい、一気に階段を駆け上がって参拝。帰りも時間にありがたし。
 顔に心が乗る。何ともいえない安堵感。人間だから。
 戌の刻までに安心。信じるべきものは信じるがよし。しかし人間、最後まで気を抜かないのもまたよし。
 午後より雨があがり、湿気の多い空に星が出ている。冬の星たちは西南に移り、穏やかな春の星座が湿りながら瞬いている。北斗は鋭角に立ち昇り、そのなだらかな曲線の先には、スピイカとアールクトゥールスが東の山の上に息づいている。この世界が、何か小野寺の山々を舞台とし、天に幕を張った一つの美しい箱庭のようだ。

2008年3月22日(土)

 辛酉でごあいさつ。というよりごあいさつしたら辛酉。
 昨日は、四国八十八か所を三度終えられたという七十六歳の方が見えた。あと二回はしたいと話されていた。すばらしい。
 古い講義録を見て思い出すことあり。
 最近、ある団体と関係のある人が来たり、本を見たりする。
 ほぼ満月。

2008年3月20日(木)

 春分。彼岸のお中日なのに、珍しく雨となる。
 午の刻、かすかな気を本堂で感じてもいると、車で通るときに電気で知らされる。休日なのに。何というか、安心感。
 昼間、意識が知らない世界をのぞかせてくれる。当然こちらが変わらなければ、受け入れもできないのだろう。
 二つ。今度はご利益を意識しながら。

2008年3月19日(水)

 辰の刻、ごあいさつ。往復。
 小野寺は人口が少ない割に活躍している人が多く出ている。その理由は、土地にあると思うのだけれど、人様にわかるように言うと、「やればできる」の気持ち。あるいは「やさしさ」とか「素直さ」ともいえる。

 巳から午の刻に、その話が重なる。自分も心を込めたい。
 そんなこんなで、久々に心豊な気持ちになる。あいさつ、入口と出口。
 言霊ではないけれど、話すときは呼吸が大切。それを思い出す。後ろの問題以外ではありえない。

2008年3月17日(月)

 何に引かれたわけではないのだけれど、早い時間に活動をすると、同じように早い時間の反応がある。間違いなし。
 久々の知人。わざわざありがたい。多くを指摘していただく。
 日にちが間違いなく合っているのに、どきっとする。謙虚に、感謝するのみ。

2008年3月14日(金)

 辰の刻、神社にごあいさつ。
 荷物分手間取るが、さりげなく。人という字。
 烏が墓地近辺の地面に三十羽くらいいて、用事があるのでそばを通ると、一斉に飛び立ってこちらが驚く。自分で気がつくのではなく、誰か主たる烏の指示があって飛び立ったかのように、時間と行動がずれている。
 本堂に力がないのに盛っている寺がある。そこにはそれだけのものがあるようだ。清水寺がヒントとしてある。
 群馬教区の寺庭婦人の方々が見える。各教区で特色がある。フランクな方々。

2008年3月13日(木)

 十年以上前から花粉症になっており、最近はきつい。
 岡本天明先生に関するものを広げる。神仏とはいうけれど、神と仏とでは違う。等身大に何かが残っているようにも感じられる。

2008年3月11日(火)

 辰の刻にごあいさつ。ドアが二回あく。
 暑い日になった。そういえば、一昨日だったか、陽気が降り注ぐ午後、どなたかが山の上で横笛を吹いておられた。自分もわからないように、その日本調にしばし耳を傾けていた。

2008年3月7日(金)

 基本に戻る。自分の足元を見直す。
 酉刻ころ、ふと横を向く。新しいかったのだが。
 すかっとするのは、信仰の力なのか。

2008年3月6日(木)

 昨日の啓蟄は朝からでなく、途中からであった。もう今日は完全に三月の気になっている。
 寝る前、子の刻から強く意識される。

 辰の刻にごあいさつ。依存・被依存とするならば、遠いけれど被依存の方である。
 巳の刻、保育所の子たちがお散歩にくる。山に行くのと、川のそばにいるのと。ライシャワー碑の説明と、本堂の話と、看板の話と、もろもろ。
 お下がりをもっていき、もう見越されていたのだけれど、資料とともにしおり。他にではなく一に。それがわかっていただいたと思うし、それでいい。笑顔。
 戌の刻、新しい車。

2008年3月3日(月)

 ひな祭り。ごあいさつすると、何とも言えない安心感に満たされる。
 しかし最近時々やってくる幸福感は何だろう。春が近くなったせいか。あるいは普通の人は一般的にこのような幸福感に満たされているのであり、自分だけ気が付くのが遅すぎたのか。

 未の刻、川端の神にごあいさつ。同じように眼が透明のような感触になる。続いて海の神にごあいさつ。終わって、人も来ないような場所に車が入ってくる。自分に特別な番号の車。今回の二か所にお参りした、その関連かな、と思っていたら、車の名前に目が行く。確か二つの意味をもつ英語。心に刻みこむ。

 夜、歌を歌う。ドレミの歌がいい。単純な祈りの言葉。

2008年3月1日(土)

 昨日は四年に一度という珍しい日。みすず会の方々の訪問。それに関する諸要件を電話で伝える。伝わる。
 今日はお一日。業界の話など。他方、お気持ちに感謝。
 昨日のお話で、一つのお寺を一個人で寄付された話を聞いた。三十億などという想像もできない額。世の中にはすごい人もいるものだ。

2008年2月28日(木)

 寅の刻、お知らせがある人にはあったようだ。
 卯の刻、車で走っていると、何か人の恨みを感じる。こちらがしっかりしていれば大丈夫だけれど。
 辰の刻にごあいさつ、など。
 巳の刻には、明日の打ち合わせ。不在なら行く必要はない。そのお知らせをいただいてうれしい。
 明日の資料作り。それに久し振りにおちついて、すべき仕事をする。
 最近、世の中の、裏の半分を見ている。世界観と人間観が変わる。物や金のことを再考する。

2008年2月27日(水)

 一万の通過点。解脱のみを求めて。
 白檀は媚薬になるという話を聞く。
 今日は気が荒れていた。自分のできることから。

2008年2月26日(火)

 辰の刻は三合にて強く、ふと知られる。
 神社にごあいさつをして感じたのは、昨日の視覚はメガネをかけたような感じ。それが水をかぶったときの感触に似ている。
 酉の刻、まさか突然に、光に照らされた横顔が現れる。自分に向いていた。それを何と表現したらいいのだろう。血圧がぐっと上るのがわかる。

2008年2月25日(月)

 ごあいさつで、いますような。
 神社の階段を登り切ると、透明で美しい、水の中からか、水晶を通したような光り輝く視覚になる。この日だけの錯覚か。美しい風景。

2008年2月23日(土)

 今日も寅の刻に目が覚める。
 月恩会でお話をさせていただいていると、あちこちでいろいろな音がする。

 夜かざはなが降る。帰り道ふと見ると、三谷の山の上に白色の光が三つほどあった。家だろうと過ごしたが、ゆっくり考えてみると、確かあんな場所に家はないはず・・。

2008年2月22日(金)

 昨夜、一人で外に出ると、月だけが出ていて、そこに巨大な輪がかかっている。普通の月の暈なのだけれど、月以外誰もいない夜、どきっとする。
 荒れる日は荒れる。腹からの怒りならいい、という。
 朝気がついたのだが、猫背の姿が映る。そして酉刻、イメージというか、画像がふっと頭の中に映る。こんなこともあるのだろう。

2008年2月21日(木)

 夜の一時頃寝たのに、四時頃目が覚めてしまう。何なのだろう。最近朝早く起きてしまう。
 辰の刻には普通に、自然体。
 その後、久々に議論に力を入れる。最近、何か考えたり、ブレーキをかけたりする気持ちがなくなってきている。
 満月に近い月が出ている。ウサギか、カニか、顔か。

2008年2月19日(火)

 雨水。やっと落ち着くだろう。
 辰の刻よりごあいさつ。看板を見ているときに昨日の問題が解消する。
 巳の刻には、資料を配布。お持ちだったようだが、新しい情報も。他人がいると詳しい話はできず。だけど、何とも言えない落ち着いた気持ちになる。余裕の顔のオーラ。
 
 昨日の話だと、R会が今度仏壇に入れる仏像を作ったそうだ。問題にならなければいいが。
 韓国の写真。一枚だけ光の重なり。

2008年2月16日(土)

 十四日より初めての韓国。一か月前のお導き。今日帰国。いや寒かった。しびれる寒さ。お店も十時ではあまり開いていない。
 十五日は涅槃会。宮殿を見る。仁王(インワン)山の前に大統領府があり、南山までの線上にある。龍の指が四本と七本とがあるという説明。柱は全部朱。空間にもそれだけのものはある。
 国立民族博物館はおおらかだ。見張りはいないし、写真はとり放題。大丈夫なのだろうか。今までこの韓国の生活に関心を持たなかったが、その生活はとても心惹かれるものだった。時間がなかったので、英語のガイドを手に入れる。その入口に衣裳を着た十二支の石像があった。龍も衣を着ていた。

 放火された南大門に行く。大きな囲いがあり、向かって右の隙間から中が見える。痛々しい。近くで民族の歌が延々と流されている。多くの人々が集まって、ただ見つめ、動かないでいる。百人以上はいたであろう。マスコミの人、カメラを持つ人、燃える前の大きなパネル写真の前に献花する人もいる。
 何か自分にできることはないか。後ろの方で、何とか復興を願いたいという署名を受け付けている。若いボランティアの人にその意図と意志を聞いて、日本人でもいいかと聞いた。そしたら受付の彼の言い分がいい。「それはあなたの個人の考えだ。しかし賛同してくれることはとても重要なことだ。」項目欄から、署名すべての名前がハングルが書かれている下に、自分の名を漢字で書きいれサインをした。

 夕食で精進料理の店に連れて行ってもらう。二十品くらいが出される。それが終わって電気が落ちると、民族舞踊が行われる。二間四方の真四角の部屋を、回りからお客が見るように配列されている。その部屋の梁の上、真ん中には、太い柱が一本通っている。客は三十人以上はいたろうか。
 韓国の娘が、民族衣装を着て扇子を持って舞う。ゆっくり、あるいは速く。扇を閉じ、そしてパッと広げ、両手を延ばし、くるりと回り、そして止まる。BGMは老人の歌う民族の歌。魂が飛んでいき、意識が遠くなりそうだ。
 そして音が終わろうとするとき、白い足袋が部屋を出る。客間で踊るのか、と思っていると、自分のそばにすーっときて、今まで持って踊っていた扇子を拡げて渡してくれた。何が起こったのかわからない。あっけに取られてしまう。皆はこちらを向いて拍手してくれる。その後何曲かあったし、何人も出ていたが、同じように行動する人はなかった。
 「一切唯心造」。扇子にはそう書いてあった。昼間、民族の誇りの象徴を失った、その民族の人々の思いを感じていたし、自分も同じような喪失感にも打たれていたが、その自分の思いに対しても、はっと気づかされることであった。釈迦入滅の日、日本に仏教をもたらした韓国の地において。
 地元の人に聞いたらこんな行動はないそうだ。しかしそのヒントがなかったわけではない。今回ご招待いただいたO先生の皆でいう食後のごあいさつ、「先生ありがとうございました。守護霊様ありがとうございました。」と。確かに自分には先生と呼んでいた人が一人いたのだったけれど・・。
 O先生には、よそ者なのに、よくしていただいて、見えない所でもありがたい。

2008年2月12日(火)

 久々にごあいさつ。雪がまだ残る。
 そして意思の力で往復するゆえに、心に触れることができる。相互方向となる。それをあとで反芻する。
 巳の刻、看板の許可。明後日からのことを考えると来週になろうことも。その伝達により、かすかな感触を空間を隔てて感じる。ありがたい。十二支でも通用するということ。
 しかし申刻、賽銭管理をしようと思ったら、参拝者がなかなか動かない。それでいったん引き揚げ、そして再度行ったら、これまた偶然に出会う。大袈裟に一方的だったかもしれないが、電話で話す大きな声が響き、それに感触があったので相互であったろう。これは九星であった。
 般若心経を二冊施本。不思議に相談者が来る日には来る。

2008年2月7日(木)

 辰の刻に神社に行くと、あれ。そういえば今日は旧暦のお一日、ごあいさつ。
 未の刻に、駐車場にある車になぜか引かれていくと、途中でヤマバトのつがいがいて日向ぼっこしている。逃がさないように通り過ぎて見に行くと、引き合わせでもあるかのような偶然に出会う。
 戌刻、雄大な北斗が上ってい来る姿を見る。この辺は本当に星が美しい。

2008年2月6日(水)

 仏教学を何にたとえたらいいのかを考えた。
 お寺の落ち葉拾いであり、あるいは整備というのはどうだろう。地道だがこれがないとお堂が成り立たないというような。本堂や何かの説明ももちろんできるが、掃除の重要性を説きそこに従事する。はき方を決めるのはプラマーナであり、その点で、他のお堂を持つ他の哲学諸派と共通項がある。最終的には自分の敷地からでの議論に終始するのだけれど。
 もちろん、お堂の中の仏像、仏陀になるのは、学問ではなくて修行。

 結構この説明いいと自画自賛した。しかし聞いていただいた方々には受けはよくなかったようだ。
 大黒様の手の形は交合を示す形にするという秘め事を聞く。

2008年2月4日(月)

 立春。今日も雪の積もっている朝。
 昨日は朝起きたときから雪景色で、雪かきの日。夕方やんだのでいいと思ったら再度降り始め、今日も白く路面が凍結していた。
 子の刻に、北に向かって心経と毘沙門の陀羅尼。そんなせいか、寅の刻に目をさまさせられる。
 辰の刻、雪かきを続け、小町の墓の前までいく。黒い色は雪の白に映える。十分な感触あり。
 一日中、栃木県のHPに掲載されるビデオ撮影のお付き合い。雪の各所で写真を撮ることができる。
 未刻、少ない不動の滝の雪解け水が、温かいので驚く。
 酉刻、合局なのか。風邪をひいても予防にもマスク。

2008年2月1日(金)

 お一日で辰の刻にごあいさつ。顔を向けることによって、確かめられる。
 申刻から酉刻にかけて、夕闇から暗くなる時期、いろりで鍋を囲む。昔の日本の風情あり。
 酉刻、明治時代の龍がやってくる。本堂が重くなる。

2008年1月31日(木)

 最近、明け方に目が覚めることが多い。そしていろいろ夢もみる。
 お昼少し過ぎに、心のむく時間に、心のままに出かけていくと、手をあげられたような偶然と出会う。心が自然であると、何かが示されることがある。
 日が延びて五時半頃、少しずつ視界が落ちていく中、空を見上げると光るものがある。何だろうとずーっと見ていると、他にも同じような光が出ている。そう、少しずつ星が出現しているのだ。あれは土星だろうか。こちらはベテルギウスか。あれが宇宙船だったらどうだろう、などと取りとめもなく思いながら空に向かって般若心経をあげる。澄み切った冬の空に、徐々に星の数が増えていく。
 午後七時半すぎ、静和駅からの帰り、石橋の高速道路の下のボックスを出た所で、諏訪が岳の上に明星よりも明るいものが光っている。ああ、と思った瞬間それは消えた。同じような光が動いているのを見ることが最近多いが、今日のは全く動いていなかった。
 最近の自分の回りのできごとを考えると、どうも偶然には思えない。

2008年1月29日(火)

 辰の刻に、小鳥を埋める。
 その続きというのではないが、人という字を心として確認する。
 昨日の話で、岩船山では、三十年ほど前まで、山の頂上でお護摩を焚いていたということだった。本殿と拝殿があって、拝殿の方で。そのお堂も古いものだったがいつか朽ちてしまった。その間、待っている人は、今の空き地になっている場所で相撲を取っていたという。

2008年1月28日(月)

 久々に東北新幹線に乗る。そうしたら、栃木へ向う途中、利根川を渡るあたりで男体山の下に、五分の一位の高さの諏訪が岳が、小さいながらも美しい形がはっきり見えた。うれしさにうちふるえた。

2008年1月25日(金)

 ご命日に読経。本心を申しあげる。対面はなく、こちら。頭の上に離れて。
 午の刻、野木神社に始めてお参り。高さは十メートルくらいだけれど、四〜五抱えもあるような銀杏の木がある。あれ、と思って参拝すると、いきなり二つ眼の光る龍のような錯覚。風がふきすさぶ。頭が回る。
 田村麻呂と関係があるらしい。また銀杏の木の周りに乳が出るようにと、乳房型の奉納物が多数ある。写真が展示されていて、フクロウが木に宿っている様子が出ている。またお祭りで神の光が映ったというものがある。そうだと思う。
 部屋の神社にお参りして、最近の心の喜びは何だろうと思っていたら、明るい日差しに、三〜四歳頃の感覚を思い出す。そうだ、あの頃、こんな気持ちをもっていたのだ。
 何物の何かの縁があってやってきたもの。わかるまではそのままにしておく。

2008年1月22日(火)

 辛酉の日、ほぼ満月。
 辰の刻から今日は変則となって、車で参拝する。その足で送りに行く。代車であるのがわかる。

 その余勢で巳の刻には、雲の写真と法人の話の話をして、赤石の効用に言及する。寝ているときにはいいようだ。頭痛がなかったとしても。うれしさに触れる。実物は次でいいだろう。
 午の刻に明日の車の連絡、お任せする。着信があったので、自然だからこそよい。言葉の中の安心。
 中国に行ったAさんより連絡。西安は十年ぶりの雪だったそうだ。大興善寺の慈覚大師記念堂のそばに、三メートルも長さのあるハングルで書かれた石碑ができていた、と教えていただく。
 酉の刻、Kさんに見明で撮ったという月と、そのそばにある光る物体の写真を見せていただく。自分が見たものに近い。

2008年1月18日(金)

 辰の刻、見ることに何となく反応する。
 昨日より、般若心経をあげているせいか、こんな感触は、そう二十五年くらいぶりのこと。仏に抱かれる感じ。
 そんなこともあって、小原弘万著「心経百万を読誦して」を改めて読む。読んでいよし、読まなくてよし。
 魔除けのものを持つと、体が軽くなる。

2008年1月17日(木)

 寒い朝であったけれど、鈴の音、ステンレスの音が響く。
 電車に乗っている時間、あまり動機として褒められないのかもしれないが、心の中でお経をあげているのもいい。

2008年1月14日(月)

 円仁まつり。円仁のご命日にあたる。そして今年は円仁が最澄の弟子になって1200年目の年。
 この日、この年、総代長より本堂建立に向けた話が檀家さんにある。
 O先生がいらして、大師様の厨子の中にある話をさせていただく。火のお祈りを一緒にしていただく。いやはや、まだ自分の祈りは浅い。最後におめでとうございます、と言われる。土地の清め、かもしれないし、そうでないかもしれない。
 ご指摘の通り、太陽が三倍くらいの大きさで輝いていた。

2008年1月11日(金)

 昨日の明け方、うっすらと今はなく師の夢を見た。内容は覚えていない。そしたら昨日は、師と一時期親交のあったK氏がNHKのラジオに出ていた。UFOの話などをしていた。そしてもう一つ、現実世界で知らせてもらえたことがあった。
 今日、その結果を出すつもりでいたが、自分の力不足、先生に心でお詫びする。
 朝、始発電車まで送りにいった帰り、朝五時半ころ、新里の信号機付近を走行中、三キロ程度西の空に、いきなり発光体が現れ赤城山の方へ向って飛び去って行った。ああ、と思いつつ、ラジオの音を消してどうなるか走りながら見ていたら、三〜四秒ほどでまた消えてしまった。
 光度的には、以前諏訪が岳の北側に見た物体と同じ、明星より少し明るい程度であったし、音がしなかったのも同じだ。星がきれいに見えたので、雲に隠れたわけではない。
 あの時間、あんな田舎で誰も見ていた人はいなかっただろうから、こちらに何かを教えているような気もするし、消えるまで見ていたので、こちらがあちらに気がついているのもわかっているような気がするし、一体何がどうなっているのだろう。

2008年1月8日(火)

 お薬師様の日。かつ新月。
 午の刻、大岩の毘沙門様にお参りする。途中まで車で行き、数段は階段を登る。お正月のご祈願も終わったのか、どなたもおいでではなかった。
 横に六間、縦に五間。急な階段を七段登るようになっている。戸は開いてなかったが、透かし戸のようなものが正面にあって、中の気を感じられる。
 さすがに巨大なるご神霊のおわします場所。心よりこれからのご縁をご祈念申し上げる。

2008年1月7日(月)

 あいさつにもいろいろあるが、意志の力を継続してあいさつすることもあり、そういう場合には、心が通じているのを知る。
 五黄生まれというのは不思議な気を持っている。表面ずれているが、自分の世界を持ち、じっくりと交わる。恥ずかしさがなく、目が作用する。
 昨日の小寒から、完全に一月だ。書類を提出する。次は交渉。
 宗教家の方に手紙を書く。

2008年1月5日(土)

 久々に水、七つ。いきなり変わる。そしたら、前に手に入れられなかったものの画像が眼に浮かぶ。行が足りなかったようだ。
 自霊拝と阿字について考える。

2008年1月4日(金)

 赤石を使うようになったからだろうか、夢を見ることが多い。
 昨日は、心に一物ある人と、インドに摩訶不思議な旅に出る様子だった。昨日は七年前のことが再開されて、そして精神を病んでいる人を見出し、なぜか満足していたのだけれど、明白になった場面もあった今でもその感触が残る。さらに次には、K先生と仏教の法事をして、そして神事に向かう夢もみた。
 辰の刻に石を拾って集める。ごあいさつもかねて。朝からも、それ以降も心が飛ぶことが多い。
 阿字に関心あり。

2008年1月1日(火)

 一年の始め。各種参拝、神社参り。昨日はずいぶん遅くまで音が聞こえていた。
 Mさんが写真を持って見える。その他多くの方々がおいでになる。
 その中でも、仏師のNさんが結婚されるという話を持ってこられたのには驚いた。女性には見向きもしない、という感じだったのに。相手の人も同じような考えのようであるから、あのしっかりした人とうまくいくだろう。いや、驚いた。
 Mさんが絵葉書の話をされる。観音経ではないけれど、観音様はどこにでも出現される。また観音と龍は同じだともいう。眼は観音様にいただいたもののようだ。しかしまだ自分のお仕事にははっきりと気がついてはいないという。今まで気がつかなかったけれど、多くのものに開眼させられる。