遐方記





「終わり」の難しさ


 宗教法人大慈寺のホームページがここに誕生した。

 時代の潮流を見るにつけ、ホームページの完備は宗教法人にとっても必要なものになりつつあるように思われる。そこで、当大慈寺がホームページを必要とすることになった、具体的な理由を書いておきたい。
 
 現在の大慈寺には、おおよそ三種類の人たちが訪れている。第一には、檀家さんを含めた仏事に関わる、あるいは相談および参拝・祈願を目的とする人々。第二には、つつじなどの花木を鑑賞したり、ときには唐沢山県立自然公園の遊歩道を歩む、ハイカーなど自然に親しむ人々。(同じ自然公園内で大慈寺に隣接して、村檜神社という延喜式内式の立派な鎮守様もある。)第三には、慈覚大師円仁さんや、天台宗の宗祖伝教大師最澄さん、場合によっては小野小町さんなど、歴史的な人物の足跡をたどり、大慈寺の歴史に興味があってこられる人々である。
 それらの人たちの中には、近隣の方々は言うに及ばず、日帰りでは来られないような場所から来られる方たちもおいでになる。特に第三に分類される方々にその傾向が見られる。今回、そういう現状に鑑み、社会的な義務も感じて、ここに大慈寺のホームページを開設しようと決意した。
 もちろん、このインターネット利用によって何かしらか大慈寺が潤う結果となり、大げさに言えば、それによって経済基盤が安定すれば法人運営が楽になることは間違いないが、たとえ付随してそういったことが起こったにせよ、それが今回のホームページ開設の第一義ではない。あくまでも、特に遠方の方々への情報提供を目的とする。

 今回このホームページ開設に伴って、住職が日々感じ思うこと、あるいは大慈寺に関連する情報を直接語ることができるページ、「住職の部屋」も補足的に作成してもらった。すなわちこれ『遐方記(かほうき)』である。ネット上での情報であるという公共性を無視するつもりは全くないが、今回の文章も、また今後においても、一人言の類に近い内容と文体になってしまうことをお許し願いたい。
 ちなみに「遐方」とはへんぴな地方を意味する。そしてこの語は、弘法大師空海さんが、大慈寺三祖広智にあてた手紙の中で、大慈寺の立地条件に言及したことに由来する。

 さてホームページを始めたのはいいものの、これを維持するのは大変だぞ、と心密かに思う。あるいはやめられないな、と。先にも書いたように、社会的責任を感じて始めた部分が大きいので、たとえ訪れる人の少ないページになったとしても、そのまま置き続けるであろうとは思う。そのまま存在し続けることで価値があるとするならば、それはそれで十分であるし、ホームページとはそれでも許されるものであると判断し、自分を甘やかしてしまおうという考えもどこかにある。

 しかし逆に考えるならば、このように始めることは比較的簡単であるけれど、何事かを終えるということは、一般的に言って、そうたやすいことではない。
 様々な団体にしろ、何にしろ、自然に消滅・解散した、などという話も聞くけれど、そのようなものは最初から存在に値しないものであることが多く、ここでは話題の対象にはならない。そうではなくて、十分に存在に値しつつも、その存続に努力を要するもの、及びいかなる努力を必要とすることなく存在しているものを、終えるということは容易なことではない。感覚的に言うことが許されるならば、終えるということは、それを維持する以上の努力を必要とするのではないだろうか。いうまでもなく、このホームページも、存在に値するものにしなくてはならないのが先決なのだが。

 
 しかし、お寺にいると、いろいろな「終わり」について考えさせられる。
 たとえば身近な例から言うと、神社・仏閣にお参りするとお守りを買ってくる方がいる。買って来たはいいが、そのお守りをその後どうしているのか。身につけたり、神棚や仏壇に乗せているだけならまだしも、何種類ものお守りが神も仏も一緒に柱に釘でぶら下げられたりしている。どう処分するか、ということを考えずに買ってくる人が多いということだろう。そもそもお守りが、参拝記念のスタンプ位の用しかなしていないという現状もある。こうなってくると、責任はお守りを買う人にではなくて、お守りを配布する側にある。
 それにしても、仏像のミニチュアなどを買う人がいるが、その人たちは、一体その後どうするつもりでそれを買うのであろうか?

 終わりが難しいということは、人間がどう生を終えるかという大問題とも関連がある。そう、死の問題だ。私たちはどのように生を終えるべきなのかを考えると、深みにはまってしまうし、今までにあまりにも多くの「死」が語られてきているので、今ここで考察しない。ただ、誰しもが自分で、しかも一人で考えておかなくてはならない問題であることだけは間違いない。
 
 終わりが難しいというのは、終えること自体が難しいというのだけではなくて、終え方が難しいということも含んでいる。
 例えば切実な問題を話そう。我々人間が他界すると火葬されて骨壷に入れられ埋葬される。そして、これは地方によって異なるであろうが、当地方では骨壷のままカロトに入れられる。そうすると、あまり大きくないカロトの墓地は一体どうなってしまうのか。そのうちにいっぱいになってあふれてしまう。(水に溶ける壷というのもあるらしいが、まだ見ていない。)大概の施主さんは、簡素なものは質素だというプロの話術にはまり、この上ない立派な壷を準備される。それは当然、人生の終わりを重要視してのことであろうが、更に大きい目、高い視点でみた場合、子孫のことを考えたならば決して「徳」なことではない。その壷の処理を誰かわからぬ子孫に押し付けていることに他ならないからだ。そうであるから、最近檀家さんには、壷から出してさらしに巻いて納骨してもらうように話している。そしてこの方法こそが「骨は土に返す、人は土に帰る」という大原則に最もかなっている。(墓が子宮の形をしている地方があることも思い起こすべきである。)
 
 また、似たような問題として――これはこっそり言うべき性質のものなのだが――墓所には、墓石の墓場もまた必要なのである。

 この「終わり」の問題は、少し話しを膨らませれば、人生における別離や恋愛時の別れなどとも同じではないだろうか。あるいは、少し種類が違うかもしれないが、物質の終わりの姿、ごみの問題なども同列に論じられる要素を含んでいるように思われる。

 等々、あれこれ「終わり」について論じつつ、この文章自体の「終わり」のタイミングをはかっているのだが・・、しかし一体、このホームページはいつ終わるのであろうか?

 始まりの時に終わりの話。
2002年9月7日   百十七世 誌


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