遐方記






「寺院の運命、寺院のバイオリズム」
 
 地元の名士Oさんが、あるとき、戦争時代の体験を話してくれた。
「オレが子供のときに、・・戦争中だったけれど・・木に登ってこんな長細い実を取ろうとしてたんだ。そうしたら、グラマンが低空で飛んできてね、ダ、ダ、ダ、って俺の方に機銃掃射してきたんだよ。・・子供だったからわからなかったよ。一体何が起こったのか。そうさ、弾はあたらなかったのだけど、びっくりなんてもんじゃない。・・後で聞いたけど、近くにそのときの薬莢がずいぶん落ちていて、○○がそれを拾って金にした、なんて言ってたな。」
Oさんが、その戦闘機に打たれそうになったというのは、私たちが車で頻繁に走る、みかも山がよく見える、たんぼのまん中でのことだった。
「ひえーっと、思ったけど、ずっと南からきた飛行機は岩船山の方にいって、ちょうど村檜神社の所で旋回して、またこちらに向かってやってきた。・・オレが木に登っていたので上からは、こちらから迎撃砲で迎え撃っているように見えたんだろうな。」
村檜神社といえば、大慈寺のすぐ隣。ということは裏山の諏訪が岳のあたりで旋回したということか。戦後生まれの自分にとって、実際にきく戦争体験談は、たとえそれが何回目であっても生々しい。Oさんはまだまだ話しを続ける。
「またあるときは、こんなことがあった・・。飛行機はぶつからないように、上と下、距離をおいて、すれ違うのだけれど、こっちから、地上から迎撃砲を浴びせたら、当たったんだ。そして上のが落ちてきた。それがちょうど逆方向に飛んでいた下のにぶつかって二機とも墜落したんだヨ。・・そうさな。その場所は、すぐそこの焼却場のところだ。」
「敵軍爆撃機の見張りの監視所は、本当は岩船山にあったのだけれど、相手が間違って、みかも山にあると思ったらしく、みかも山に爆弾を落とした。・・それで、こんなにでっかい穴が開いたんだ。」
 そんな戦争の実体験を聞いている私の傍らには、初春の暖かい光が降り注いでいた。
 話の合間合間に、私はその、爆撃機が往来したという当りの空を窓越しに眺め、当時の様子をイメージしてみた。
 この空に爆音をあげる爆撃機が飛来する。そうかと思うと何の前触れもなく銃撃してくる・・。あるいは二機の飛行機がスローモーションのように、撃墜されて炎をあげ、落ちていく・・。そんなことが本当にあったのだろうか。その光景をイメージするには、今日の光はあまりにも明るく穏やかすぎた。その爆撃機が飛来した日の光と、今日の初春の光と、一体どこが、どのように違うというのだ?

 一般の民家と同様に、第二次世界大戦では、日本国内の多数の寺院が焼失している。

 文化財保管場所としての仏教寺院には、長い歴史がある。そういった特色のある寺院はその時代時代で、時の権力者の影響をよかれ悪しかれ受けざるを得ない。例えば今、法人格を取得している寺院であるならば、言うまでもなく宗教法人法の下にある。では今から300年前はどうだったか。江戸幕府の管理下のもと、各藩の庇護を得ながら、社寺は存在していた。では500年前はどうか、1000年前はどうか、仏教伝来当時はどうであったか。その時代時代で、――仏教を受け入れるか、受け入れないか最初期の段階で、様々な議論が出されたものの――基本的には国家体制が変わったとしても仏教寺院は保護され、伝承されてきた。例外を探すならば、つい最近の、明治初頭の廃仏毀釈が一番大きな仏教弾圧といえるかもしれない。しかしながら日本においては、よほどのことがない限り、仏教寺院は伝承されるものなのである。

 それにもかかわらず、その寺院の歴史を妨げる要因がある。天災と人災とがそれだ。
 当、大慈寺の近辺は落雷が多い。つい一昨年も、隣接する村檜神社の御神木に落雷があった。避雷針が必要な建物が少ないため、勢い高木に落雷する。ご神木に落ちたときなどは、木があまりに高いため、また雨が降り続いていたため、地元の人は、まさかご神木が燃えているとは気がつかなかった。仕事帰りの人が、木の一番上から煙が出ているのを、車中から始めて発見したという始末であった。
 「地震・雷・火事・親父」というこわいものの代名詞があるが、幸いなことに、地震に関しては、当地域は地面が岩盤によって磐石なために、比較的安心していられる。あまり大きな地震被害というのを聞かない。
 今から数年前になろうか、中国地方を襲った大地震があった。そのときには、各寺院所有の墓石がくずれて、墓地に大災害があったということだった。中国地方の墓石は、四角い石を乗せるだけで、安定性がないものが多いらしい。それで墓地全体が壊滅状態になったものもあったという。そうすると墓石はコンクリートで接着してしまうのがいいのか。それとも、昔のように、ホゾを作って乗せた方がいいのか、という問題が出てくる。

 一方、火事は、親父とともに、人を原因とする場合が多いように思われる。そう、戦争の犠牲になる火事である。
 大慈寺が火災にあったのは、天正十三年のことであった。その火災以前には、大規模な伽藍を有していた寺であることは、『一遍上人絵巻』に描かれた絵図によって知ることができる。奈良時代より700年以上続いたその寺が、憎むべき戦国時代の犠牲となって、一日にして完全な無に帰したのだった。
 時代が戦争状態そのものであったので、神仏だけを信仰して平和に暮らすといったことは不可能であったのは間違いない。そういった意味においても、時の運というのは確かにある。
 人間にだってバイオリズムがある。その家にも、寺院にも、国家にも同じような考え方があっても不思議ではない。(生命体ではない寺院に、バイオという言葉はおかしいかもしれないので、それを運という言葉に置き換えていいかもしれない。ただバイオリズムという名詞の方が表現するのにフィットするので、この言葉を使用することにしよう。)
 寺のバイオリズムというのものは、寺に住む者にとって実感としてある。確か、元禄時代頃の大慈寺の住職の文章だったと思うが、「当寺も少々賑わいにけり」というのがあった。世俗的な基準として、参拝者の数や、収入の多寡や、伽藍の大きさや数を考えに入れれば、寺院にも間違いなくバイオリズムはある。そして・・大きな声で言ってはならないのだけれど、その栄枯の波は、どうやら計算できる規則性があるようだ。

 しかしながら、神社仏閣は、その「間違いなくある」バイオリズムだけの影響を受けるのではない。
 寺院は宗教、精神に関わる場所である。一般の家庭と同じようには図ることのできない、プラスであれマイナスであれ、バイオリズムを変えるような、別の要因があるものと信じている。

 思えば寺院とは、精神的な面から考えもて大変な場所だ。まず毎日、僧侶によって読経が行われる。これが他の建造物と大きく異なることだ。新米の僧侶であれ、僧歴何年の僧侶であれ、毎日読経をする寺院というのは、他の建造物とは自から違いがある。
 また寺院では仏事が行われる。しかも墓地が隣接することが多い。古い歴史を持つ寺院の場合などは、その歴史分だけ、鬼籍者の供養をつかさどってきている。このように亡者と常にかかわりをもつ。
 他方、祈願寺というのもある。信者さんの願いを聞き、その願いを神仏へ橋渡しをするという寺院だ。こういった寺院とて、信者さんが祈願を行うとその願いが来る。祈祷料をいただくとすると、その金銭分だけは信者さんの願いが来る。祈りという場合もあろうが、多くは願いだ。その多くの人の多くの願いを、寺院では受け止めなくてはならない。
 その点、観光寺だけとしてある寺院は、目に見えない部分という点で、楽なような気がするが・・これは僻みだろうか。
 修行寺というのもある。僧侶育成のために荒行や修練を行う寺院だ。だが「上求菩提、下化衆生」といわれるように、自分の修行をする僧侶は、衆生のために祈願を行う場合が多い。だからそういった寺院でさえ、信者さんの願いを受けなくてはならない。

 もちろん、寺院の存在する意義は、はてしなく大きい。
 神仏に手を合わせ、見えない世界へ心を通わせ、自分の精神性を変え、あるいは高める。そのときに聖なるものに触れる訓練をする。そして実際には、毎日、自宅で聖なるものに触れるよう、祈ったり、瞑想したりするべきであることが必要であると思う。
 あるいは祖霊の供養を行うことによって、子孫が現世での功徳を積む。
 僧侶が祈ることによって、信者の願いなりをかなえて、それで功徳を積む。また願いが叶うことによって、信者さんに新たな信が起きる。
 あるいは信者さんの話を聞くことによって、生きる者の心のよりどころとなる。あるいは実際に信者さんの問題を解決する。
 あるいは座禅会や写経会などの行事を行うことによって、檀徒さんや信者さん自身が、ますます仏教へ帰依し、悟りの世界への憧れを持つようになる。

 そのように、寺院というのは、プラスとマイナスとの狭間にあって、物質と精神のぎりぎりのせめぎあいをしている。だからこそ、寺院は聖なるものに触れる場所であるように、心がけなくてはならない、と思う。このことは自らへの戒めに他ならない。
 しかし普通、一般の参拝者の方々に説明するには、そんなことはおくびにも出さず、いやあ、戦国時代に戦火に会いましてねエ・・と学者のような、文化財の説明員のような話をして、理性ある方々を納得させるに過ぎないのだ。そして、その場面だけにおいては、それで問題なく完結している。

 死後の世界、あるいは死後の存在を否定するのは仏教ではない。人は輪廻を繰り返す、その輪廻を超えること以外に、仏教の教えはない。それを霊魂と呼ぶのが正しいか否かは別として、仮のものとしてであれ輪廻する主体を認めないとすると、それは仏教ではない。
 
 話がそれたけれど、そういった意味をすべて考えあわせると、各寺院には各寺院のバイオリズムがあるのだとは思う。しかしまた、そのバイオリズムとは別の要因で、バイオリズムが変わる「何か」が、宗教である限りにおいて、間違いなく存在しているように感じている。そしてそれが何であるか、それに対する明確な答えを、お恥ずかしい限りではあるのだけれど、今まさに模索している最中なのである。

 思えば、このように文章を公表するというのは恥ずかしい。書き手である私が、どの程度悟っているかを世間にさらすようなものだからである。

 そういった意味で、今回4月の中国(北京、西安)旅行では、自分の宗教観を変えて余りあるものがあった。「ろうそく一本で、世の中を変える」、その意味がわからず、求め、今まさに歯ぎしりをしている。


2004年5月14日  百十七世 誌




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