遐方記






「自然について」
 
 わが岩舟町には、創設されて三年目になる観光協会がある。現在は半官半民のものだが、いずれ純粋な民間型のものに移行する予定であるという。こちらの協会とは縁があって、最初期の頃から関わらせていただいている。
 この観光協会では、今回、理事以外で志のある方々に協力員としてよびかけをしようということになり、何人かの呼応を得ることができた。さらにその協力員から、観光発展のための提言を出していただこうという企画が、過日、町の体育館で行われた。そこでは、いつもの同じメンバーだけでは聞けない違った角度からの意見も聞くことができて、非常に有益であった。
 特に観光協会のホームページを、かげから応援していただいている梅沢さんの意見は、そこにいる全員の胸に響いた。
 「昔は人が山に入ることができて、里山という呼び名も相応しかったけれど、今では 近辺に、人が気楽に入れる山がほとんどありません。山野草の種類も徐々に減ってきています。岩舟には自然がある、緑がある、とは言うけれど、実際には自然と呼べるものはないのではないでしょうか。」
わが郷土は山々に囲まれていることから、自然が多い地方と、つい言いがちである。しかしそれは単に山があるというだけであって、人が山に入ることができないものである限り、それは「自然」と呼べるようなしろものではない、という意見であった。それに対してわれわれに全く反論の余地はなく、事実をずばりと指摘されるたいへん厳しいものだったといえよう。昔のように、人が山に入り、下草を刈り、木の手入れをして山を大切にするという慣習は極端に減っている。またそれによって山が荒れているというのはわかる。ただむしろ、人が山に入れないというだけではなくて、その山の手入れを怠ってもう長い時間がたつのに、この二,三年で植物の種類自体が減っているという事実は、山の中をうかがえないぶんだけに恐ろしい。
 では昔のように、山に入り、手入れをして、山に人々が入れるような環境をまた作れるだろうか。もちろん、そうあるべきであるとは思うけれど、これには手間ひまがかかるので、林業以外の仕事に従事する方々に、それだけの余裕があるかどうかは非常に疑問である。であるから、何か別の方法やシステムを考えないと、山はそのまま、山の外見を残したまま死滅していくしかない。

 山々に囲まれて育った自分にとって、おおむね「自然=山」であった。
 むかし小学校の裏山は格好の遊び場所だった。斜面になっている中腹に少し平らな場所があった。都合のいいことに、そこには木が斜めに生えていて、太い蔓の長い枝をつるすと、ちょうどターザンのようにぶら下がってスイングすることができた。秋以降になると、落葉樹の葉が落ちるので、ドサッとおちたとしてもそれほど痛くなかった。
 そのそばには、もちろん、秘密基地も作った。近くの斜面には穴が見つからなかったので、ダンボールをもってきて囲いをし、その上に葉っぱを乗せて、外からわからないような饅頭形にした。一人入ってもぎりぎりの狭い世界であったが、わたしたちはみな順番に入って、夢あふれる空間にひたった。
 それに飽きると、農作業用具の鎌や工作用のナイフなどを家からもってきて竹を切り、遊び道具に太いのと細いのを組み合わせて抜けるような刀を作ったり、ひもを使って弓矢を作りチャンバラの真似もしたし、近所の雑貨屋さんで売っているおもちゃのパチンコを買ってきて、目標の木にパチンコで小石を当てるゲームをしたりした。
このように山や川(自分は川の石を探って、石の裂け目に水晶の結晶を見つけるのが好きだった)は、私たちの遊び場以外の何者でもなかった。そんな自然は、子供が入っても安全だったのである。

 自分にとって山の木といえば高木だ。背丈が身の丈くらいの低い植物というイメージはない。若干の落葉樹を備えつつも、常緑樹の林立する山がわが故郷の「山」だ。一番高い裏山の諏訪が岳でさえ、標高324メートル。冬には雪が積もるような高山は付近にはない。だから植物も杉や檜のような常緑樹がほとんどである。

 木=気というゴロ合わせもある。
 一般に人は、庭の木が枯れるのを忌む。そこの土地の気が涸れると考えるからであろう。「不毛の地」は決してプラスのイメージではない。発展するような土地はどんどん植物も繁茂する。運が集まるところには水がうまく流れ込み、空気がうまくめぐる、ということだろうか。もちろんその木の種類が問題になるのだけれども。
 神社にはご神木がある。木に神が宿るのである。栃木県内の某神社にある霊気あふれる三本の杉などは、まさにその典型であろう。
 一方、寺院にご仏木があるというのは聞かない。もちろん、自然そのものに神宿るとする神道とは、自ずから考えが異なるのではあるけれど、仏像という形に変形させられてしまうことも多いようだ。あるいは、あえて仏の木と呼ばずとも、すべての生類(有情)に仏性があるとする、例の「草木成仏」のことを考慮に入れれば、植物を大切にしている、ということだけで用が足りるのかもしれない。
 四度加行(密教の修習次第)を受けるため比叡山に登ったとき、密教の護摩に使用する木の種類が限定されているのを知り実感として驚いた。うわさで聞いていたように、護摩の供物とて細かく決められていたのだ。そういった細かいが重要な事柄が、秘伝や口伝として長い間伝承されてきたのであろう。
 比叡山を降りた後には『蘇悉地経』を読んで、それらに関する別の知識も得るようになった。密教では木であれ香木であれ「実際の物」を重要視する。ただし、植物などを祈願や祈祷に利用するというのは、東洋に伝承される密教の護摩だけのことではないようである。いまさらフレイザーの話を出すまでもなかろう。

 木では松が好きだ・・いや、自分は松を好きになりたい・・。松は年間を通じて、いないな枯れるまで、緑色のまま変わらないからである。そう「松心」とあるように。

 大慈寺の裏山にあった数十本の赤松は、十数年程前にほぼ全滅してしまった。マツクイムシが、文字通り松を食い枯らしてしまったのである。その災害以降、大慈寺の先住は、これでは山の神霊に申し訳ないものだとして、珍しい木々を植えるように努力されてきた。しかしながら、これらの木々が昔の松のように大きくなるには、さらに数十年の年月が必要とされようか。
 先人が植樹した木を大切にすることはいうまでもないことだが、新たに山に木を植えるときには気を使う。なるべく災いをよけ、福を呼べるような木を植えたいと思うからである。そして先住はそれを実行されていた。



 「自然に帰れ」という。
 動植物が豊富であるという意味で、自然を中心にすえた生活に帰るということに異論はない。ただし、カントリーライフが本当に自然に帰ることなのかどうかは、また別問題であるといえる。だから家ではなく、食物ではなく、環境ではなく、その人の体自身が自然を感じ、自然と調和することがどうかということが重要であろう。
 ではその、自然と調和し同化するとはどういうことなのか。

 自然という字を、仏教的には「じねん」と呼ぶ。そしてその仏教的な「自然」というのは、動植物という生命が人間の影響をあまり受けないで生きている、という状態をさすだけではない。人間が、流れに逆らわずに「まわりの環境」をそのまま受け入れて、流れに従って生活することを意味する。自然体という言葉は、こういった意味あいにおいて使用されている。そういう段階になって初めて人は、裸の状態で、自分の持っている癖というものを明白に実感するのであろう。
 だからそう考えると、都会の中においても、自然のままに生きることは不可能ではありえない。

 いま、自然を説明して「まわりの環境をそのまま受け入れる」と漫然と、辞書的な意味を書いてしまったが、本当はそういう意味ではなくて、これは感覚なのだけれど、じつは最も難しいこと「自分で自分自身を直視しそれを受け入れる」ことなのかもしれない。そうであると本心では思っている。

 「生きる」ということは、座ったまま呼吸することでもあるが、当然行動を起こすこと、動作を行うことをも意味する。そしてその時に、その人にいろいろな意味合いが生じる。ではその、意味合いとは何か。
 我々日本人の生活の中に、六曜や陰陽五行説は随分と溶け込んでいるけれど、それを語ることは、とりあえずおくことにしよう。
こちら仏教でも、仏様がおいでになる場所は決められている。たとえば曼荼羅という密教の絵図がある。そのうち大曼荼羅は、区分が定まっていて、その方角が決められているという。
 また「阿弥陀経」にもある。主尊の阿弥陀仏は西方にある浄土におわします。それと同様に東西南北の四方と上下とにおいでになる仏が決められている。また十方(しほう)念仏というのもある。
 また、天台宗で用いる「法華懺法」の敬礼段には八方と上下の仏世界を必ず帰命することになっている。その他、四天王というのもある。また薬師如来は、ご自身東方瑠璃光浄土におわしますが、太陽と月だけでなく、十二支の神をも従えている。
 それらの仏の細かいお役割については、よく関知する所ではない。しかしどの方向にも、必ず神仏がおわす、という思想(理想)は興味深いし、具体的な方角が出ているのもまた面白い。


 ・・そのとき私は、焼け落ちた家の跡地に立っていた。そのできごとはいわゆる全焼という形で報告されたし、じっさい後には何一つ残っていなかった。燃えた残がいはすべて撤去され、ただの黒こげの平地が横たわるのみだったが、きな臭いような匂いはいつまでも土地を離れなかった。たとえ太陽の光を浴びて、土地が徐々に再生の息吹をものしていたとしても。
 (数ヶ月前に、家を撮った写真がハレーションを起こし、ぶれた光のようなものが写っていた。そして一週間前には、仏前にもかかわらず無意識に拍手を打って、祝詞を上げるという行動を起こしていたのだったが。)
 ・・その夏の日の夕方、その焼け跡に雨が降った。雨だけでなく時々風が吹き込んだ。周りの木々はゆれ、木の葉に雨が激しく当る、シャー、シャーという音がときおり明瞭に聞こえていた。その時だった。
 「おれはいつでも自然の状態に戻すことができるのだよ。人間の知恵、そんなものは私の目には全く入らない。」
このような自然の意志というようなものを明らかに感じた。そしてその刹那、何故だかわからないけれど、これでよかったのだ、という言いようのない実感がわき起こってきたのだった。その理由が何であったのかはわからない。と同時に、風を伴って雨降る様子だけをひたすらにながめつつ、自分がおそろしく小さな存在であることも痛感していた・・。

 われわれは、時たまでもいいから、自然に帰る努力や訓練をすべきであろう、と思う。それが不可能な場合には、自然の方から、自然に戻すようなできごとが起こされるのかもしれない。
 もう一度いうと、自然に帰るというのは、自然のある土地や場所に行く、ということだけを意味しているのではない。自然の中に入っていても、自然と同化する、そして自分自身を受け入れるという状態なくしては、自然状態と呼ぶことはできないのだから。
逆にいえば都会にいても、自然に帰ることは可能であると思う。そして、そのきっかけは・・だからその点において・・日本という国土全体のもつ特別な意味があるように思う。他国は知らず。日本のもつ大きな特徴が・・。

 結論として、今いえる実感というのは、はずかしながらごく小さなものだ。
だからその、そう・・人が自然のままに生きる状態、額ずいて自然そのままの状態になった段階の、それからさらに先に・・そこに「神仏がいます」のではなかろうか。

2004年9月9日  百十七世 誌

 




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