INITIALIZE ORIGINAL NOVEL


menuindexbacknext

届かぬ言葉  1, 1/3



 人は、なぜ物語をかたるのだろう。
 言葉には、言霊という目には見えない不思議な力があるとあの頃の私はよくいったものだ。
 地元のしがない専門学生だった頃、私はたまたまの偶然で一冊の文庫本を手にすることになる。
 情報処理系の、専門学校に通学していた私は、よく参考書を探しに近所の小さな本屋へと足を運ぶことが多かった。
 冬の、押し迫る肌寒い季節。テレビをつければ、雪が降ると天気予報が流れていた、季節の変わり目。マフラーにセーター。とくに今日の夕暮れは冷え込んでいた。学校帰りの寄り道。なにげない日常のなかの夕暮れ。私は、その日、一冊の文庫本と出会った。薄暗い、今から思い返せばずいぶんと薄暗く、埃っぽかった。柱時計の音しかしない、時間の止まったかのような本屋に平積みにされていた、一冊の文庫本。背表紙が夜の青い景色に、私は最初に手を伸ばした。偶然、手にしたその本が、今に思えば、私のこれから進む道を大きく左右することになるとは、その頃の私には、考えすらしなかった。

 小説のはじまりは、起承転結の順ではじまる。
 「起」全てのはじまり
 「承」つづく事柄
 「転」異変、異状
 「結」そして結末

 もし、この世界に結末のない物語があるとしたら。
 もし、この世界に終わりのない物語があるとしたら。今だからこそ、言えることもある。いまさらになって言えることが残ってしまう。私は、あの生まれ故郷の寒い日和の風に吹かれながらも地元という場所に生きていた。そこでは、私は私、個人であり、なにひとつ突出することもなく、全てが穏やかに流れていた。いつもの、慣れ親しんだ近所のおじいちゃんがいる本屋へと戻っていた。可もなく不可もなく、人は、それを人生と呼ぶ。もしくは必然なる、偶然。起承転結とは、人生であり、その体をしめす。小説とは、故に存在する。はじめのきっかけはいつも、誰も予想すらつかない必然だ。こんな私が小説を書くことになるなんて。人を変えうる小説を目指すなんて。でも、それは、私自身を、救うために書いていた。だからこそ、私は、書いていた。今になって思う。あの日、あの頃、あの場所を、私はきっと忘れたくはないのだ。なにも、しらなかった。なにも、しらなくてもよかった。あの日、あの頃、あの場所を、書き留めて置きたかったということを、今さらになって切に願う。あの日、あの、夕暮れ、おじいちゃんのいる本屋に寄り道さえ、しなければ、あの日、あの文庫本を手にしなければ。私は、きっと後悔していただろう。前に進むことも、臆病になることも、私を震い立たせてくれたことを。言葉には、言霊が存在する。そう、思えたあの頃を、私はまだ覚えているだろうか。


   ;届かぬ言葉


 月日は矢のように過ぎ、気付けば私は、大人の階段をのぼりきっていた。
「意味がわからないよ、吉村」
 金髪童顔のフランス人形のような青年がいた。
 再就職活動中の小説家志望になりさがってしまった私は、数少ない友人のうちのひとりである背格好が少女のような青年に面接の指導をたのんでいた。
 青年の名は、シャロン吉村。筆名でもなければ偽名でもない。日本人とカナダ人の血をもつハーフである。私とおなじく、売れることもなければ、たいした賞もつかめないでいるその他多勢のうちのあたまうちのひとり。要は孵化するかどうかすらわからない、腐る一歩手前の作家の卵ということになる。

 吉村の背後には、明日にでも家をでていくための荷作りの山があった。
 福島の白河。冬には、雪が山のように積もり、天然の冷蔵庫になってしまう土地。
 シャロン吉村はそんなこともおくびにも気にせず、私に問いかける。
「人を救えない小説に意味はあるのでしょうか?」
 シャロン吉村は問う。“起”すなわち、これは物語の出だしになりえることなのだろうか。私は思う、全ての物語に意味はあるのか、と。
 人を小説に例える馬鹿がいる。小説を人に例える馬鹿がいる。それが、作家といわれ、または物書きと呼ばれる。
 要するに、作家とは、皆馬鹿だということだ。誰の役にたつのかさえわからないものを書く。人体に無害であるか、有害であるか、そんなことは作者の知ったことではない。問題は、その物語の価値と意味が有益か無益か、という問題な、だけなようだ。現実世界と仮想現実は違う。ブラウン管に映る、“その”世界は偽物だ。学校の“教科書”に書かれてあることは偽物だ。決して信じてはならない。自分の意思で、他人の言葉を疑え。小説とは、即ち、そういった世間一般的に言われる常識を否定することにあり、もうひとつの隠された価値を見出すことにある。別の言い方をさせてもらえれば、もうひとつの現実世界を構築する。私が、ではない。主人公に、だ。世間一般的には、あまり知られていない事実だが、小説とは、既成概念を覆すために書くが、実は過ぎたのちの既成事実は誰も変えることなどできやしない。なぜなら、それは過去であり、変えられえることができる可能性を秘めているのは、読者の感情であり、好い本と呼ぶに値する本とは、評論家の判断ではなく、ひと個人、なにかしらの価値観と感情を変えられた本のことをいうのだろう。


「だから、さ。何が言いたいの?」
 底の知れない自己との対話を終わし、頭のたれるような自問自答に私は浮き上がり、そしてそのあと、吉村に問い返した。
 私の表情を伺うように、吉村はどこか楽しげに、故に答えを導き出した。
「作家を辞めます」


 蒼い瞳のシャロン吉村はこうも言った。
「あんたも辞めなよ、作家」


 大安吉日、よく晴れた平日の昼間。
 私は作家になりそこなった孵化するかどうかもわからない腐るまえの作家志望。
「辞めなよ」と言われても、そもそもが作家にすら届かない身分。
 それ以前に、人が指導してくれと頼んだのは面接の指導であって、作家うんぬんの道理ではない。
 既に破綻の兆しをちらつかせるこの物語。最後になるかもしれないから、私はあなたにいっておかなければと思う。
 作家とは、皆、嘘つきであり、その作家が書くものは皆、フィクションだということを。
 だから、作家の言葉を信じてはならない。信じることを求めるならば、それは己自身の意思で見極めるほかないということを。


   ♀


 私は思う。
 故に、私は存在を許される。
 たとえ、許されざる者だとしても、私は、ここにいる。
「なぁなぁ、ニシオ。・・・ニシオセツナ」


 誰が許した、こんな現実。


「大丈夫か? ニシオ」
 例えばの話、こんな現実が仮定されたとする。
 西尾刹那、22才 将来になんの希望もなく、ただ漠然と地元で派遣のライン作業を続けている。精神病とも言える心のニート。ただ、漠然と生き、ただ漠然と仕事と呼ぶのもおこがましい“作業”をする。息をする。呼吸をする。適当に飯を喰い、適当に寝て、適当に暇をつぶす。世間様では、私のような若者のことをご丁寧に“心のニート”と呼ぶらしい。向上心、皆無。独立心、皆無。名は体を表す。そして、体も名を表す。

「ニシオ、また瞳が死んでるよ」
 なぜ、私はここに存在を許されているのか?
 なぜ、こんな私を生かすのだろうか?
 ただ、生きているだけなのに。
 そんな、若者らしくもないことを考える。
「うるさいよ、吉村」


 いつからか、なぜ、どうして、こんな生活を送るようになってしまったのか。
 漠然と溢れ出て、止め処ない疑問符に、私はすでに答えを見越していた。
 そして、それと同時に、どうすればこの疑問符を消し去ることができるのかを、私は知ってもいた。
“こんな生活をしている限り、私はこの疑問符から逃れられない”
 なぜ、私がこんな悩みを抱いているのか、それらは全て、“知っている”からだ。
 疑問符ばかりを提示する小説が存在した。感嘆詞ばかりを誇示する小説が存在した。
 私は、なにかに飢えていた。夢、希望、文脈のない奇想天外な展開、変えうる存在。
 変えることのできる存在。そんなことは、とっくの昔に気付いていた。
 自分自身を変えることのできる存在は、自分だけだと。
 ただ、生きているだけでは、人は生きられないことを。


「最後の仕事、やってきた? ニシオ」
 青と黒をまぜあわせたかのような、くすんだ蒼い瞳をちらつかせる吉村を、リクルートスーツを着た私は見下ろしていた。
「最後の仕事?」
 再度、訊いて、私は気付いた。
 派遣の、製造正社員としての最後の“作業”。
 私は、いまさっき、離職届を支店に提出した帰りだということを。


   ♀


 駅へとむかう。下をむいた憂鬱な瞳をした私の背後から、やけに明るい吉村がとぼとぼとついてくる。
 新卒で派遣会社の製造正社員なんぞを選んだのが、そもそもの間違いだったんだ。
 私は吉村のことさえも気にせずにひとり、反省に似た自己嫌悪に落ちていた。
 すぐに見捨てられるだろうと思っていた。将棋の駒にされることを知ったのは働きはじめて一年も経たない頃だった。
 他の契約社員とやることは結局は同じ単純な作業、単純な動作。繰り返しているうちに思い知らされた。
 製造正社員と他の契約社員とでは給与の面で多少の優遇があるだけで、ただ、それだけだった。
 心骨折れそうになる肉体労働、切捨てゴメンの兵隊身分。奴隷のように見下す派遣先の社員の目。契約社員の同僚からの差別じみた視線。スーツ姿に身を包み、別格だといいたいかのごとく、自分の出世しか頭にない同じ派遣会社の営業。全てが繰り返しだった。なにもかも、全てが・・・。


 そんなとき、心底苦しめたのは言葉だった。
 派遣元の営業「君がやりたいことはわかった。でも、実務経験がないしなぁ」
 派遣先の社員「いつまでも、こんなところにいたら、ダメになるよ?」
 派遣元の同僚「やってることは、おなじなのに、なんで君だけ給与が違うの? 俺より後に入ってきたくせに」
 いつからだっただろうか? 読書好きな私が本を読まなくなったのは。
 中途半端な言葉なんて、いらない。
 くだらない夢物語なんて読みたくもない。
 仮想現実で楽観視できるほど、私は頭がよくない。


 全てのものに、落胆した。
 全てのものに、見捨てられたような気分になった。
 私のやりたかったことはこんなことじゃない。
 私のやりたかったことは・・・。


 いつしか、私は、中途半端ななぐさめの言葉に嫌悪感を覚えるようになっていった。
 下手糞な比喩に、経験さえもつんでいないのに、あたかも、経験したような表現に怒りさえ覚えた。
 言葉に無責任で、他人を見下す言葉も、中身のない言葉も、絶対に許してはならないと、なぜか苛ついたりもした。
 経験を積めば作家になれる? そんなことはありえない話だ。
 全ては才能であり、全ては「努力に勝る才能はない」と言う奴ほど信用はならない。
 私は、言葉を拒絶していった。あれほど、小説家になるのが夢だったのに。

「死ね」
「馬鹿」
「おまえなんか、やめちまえ」

 言葉は暴力だ。
 言葉は無知だ。
 言葉は無意味だ。

 そう、思えれば、楽になる。
 言われても、言葉に翻弄されなくなった。
 言われても、相手は私のことをなにも知らないのだからしかたないと、自らをごまかせるようになった。
 言われても、言葉に意味はなくなっていった。
 だからこそ、私は強く、・・・強く、強く、強く願った。
 言葉に意味などない。言葉に、意味などない。意味などない。
 そう思えばおもうほど、言葉に力はなくなっていった。
 痛くない、意味がわからない、そしてなにより、無意味に終止する。


 派遣の仕事で教わったことのひとつ。
 言葉の意味は人により、様々で、意味は意識すれば変えられるということ。
 後ろからついてくる吉村を気にしつつ、私は誰に問うわけもなく、やけに青い空をみながら、願っていた。
 中途半端な言葉は絶対に許されない。
 誰かを傷つけ、悲しませる言葉は許されてはならない。
 これは、私が決めたこと。無意味な私の、唯一の言葉。
“他人の言葉を信じるな。信じる言葉は、私自身の言葉、ただそれだけだと”
 昔の者はいったものだ。筆は剣よりも強し、と。

next page


menuindexbacknext
+ INITIALIZE -
Copyright warning All Rights Reserved.