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届かぬ言葉  1, 2/3



 はじまりに帰ろうじゃないか。
 全ての事柄の「起」に。
 私には夢があったはずだった。
 ある日の晩、私は夢をみた。


 夢のなかで、私が私に問いかけていた。
『この混沌とした世界は数式という完璧なる理論に置き換えることができる』
「そう、思えれば楽なんだけれどね」
 夢のなかの私に、私は問い返す。夢のなかの私はすこぶる美人で、頭もよく、機転がきくらしかった。

「言葉などというあやふやで、不確定で、価値も意味も人によりまばらな不完全なものではない、数式というものだけが、この世界の絶対的、普遍的、相対的な価値であり、存在なのだ」
 夢のなかの私は、そう説いていた。現実の私は彼女よりも頭が悪く、不器用なのでつい、彼女の意見に賛同させられてしまう。ついこのあいだだって、仕事中の休憩時間に堂々と無料でコンビニの店先に置いてあったタウンワークを開くほどなのだ。同僚からは、結構、なじられもしたが、そんなことは私は気にしない。

 それに、そもそも、私は彼女の意見にはじめっから気付いていた。なぜなら、私は専門学校を出ている。
 そして、なによりこう見えて、国家資格をひとつ、得ているのだ。
 基本情報技術者資格

 もう、誰にも言わせない。
「君には実務経験がないじゃないか」
 もう、誰にも馬鹿呼ばわりさせない。
「馬鹿、阿保が」
 もう、誰にも私の価値を決めさせたりはしない。
「なにもないじゃん、君にはさ」


『認めさせてやりなよ、あいつらにさ。そして、見返してやるのさ』
 夢のなかの、もうひとりの私がいった。私はひとつだけ疑問に思ったことを彼女に訊いた。
「認めさせて、そのあと、どうするの?」
 なにかが、身体の奥の奥で煮詰まっていた。異物といえるような、そんなものが私の心の核にはあった。けして充たされることのない、それは昔からいた、私の心の片隅にいつも居座っていた。そう、確か、むかし、近所の小さな本屋であの文庫本を手にし、読みはじめた頃から。


 もうひとりの私は、奇妙なくらいにうすら笑みを浮かべると、こういった。
『・・・どうしようもない。全ては自己満足のため。全ては、私の願ったことを叶えるため』
 自己満足のためという節はいただけないが、私の願ったことを叶えるためということは十中八、九。誰もが認めることだろう。
 私は、さらに、彼女に問い返してみた。
「そして、叶えたあと、どうするの?」
 彼女は笑っていた。うすら笑みをさらに誇張しつつおおげさともとれるほど。
『あなたを馬鹿にした奴らどもを、今度はあなたが馬鹿にすればいい』


 気付けば、寝汗だらけの顔だった。
 そして、吉村に起こされていた。
 もう、全てが夢だった。なにもかも。
 そう思えば思うほど、信用ならなくなる。
 言葉も、数式も、そして自分自身が一番信用ならなくなる。
「ニシオ、大丈夫? 顔、あおいよ?」
 なぜ、私なんかが生きているのだろう?
 意味がない。まったくもって、無意味だった。
 数式で、答えがでるのか?
 生きる意味が?
 こんな私が生かされている意味が?
 出るのか?


 やはり、言葉なんぞに、意味などもたせてはならない。


 言葉なんてものがあるから、こんな堂々巡りをしてしまうのだ。
 言葉なんてものがあるから、前へ進めないのだ。
 言葉なんてものがあるから、私は変わらないのだ。

「ねぇ、ニシオ?」
 無言だ、・・・無言。言葉を消そう。
 ふと気を許せば夢に見てしまう。
「なんでもないよ、吉村。もう、寝よう」


 なにもかもが嫌になった。
 変わらない現実?
 変えられない現実?


 いっそ、死んだ方がいい。
 生きている意味なんて、ないのだから。
 そう、思っていた。


 そう、思っている私自身が、なによりも嫌で、
 私は、ついについてはならない嘘をついてしまった。


   ♂


 朝、起きて私は明日、新しい会社へと向かう準備を整える。
 これが「承」なのか、「転」なのか、正直なところ、私にはよくわからない。
 それでも、私はこんなことをしている。鏡に映る、自分の姿に改めて溜息が漏れそうになった。
 ワイシャツにネクタイを締め、紺のズボンを穿く。そして、それなりに見せるために眼鏡をかけてみた。
「すごいよ、ニシオ。本当に、オトコか、オンナかわからないよ」
 髪の毛を一本に束ね、乱雑にゴム紐でまとめる。


 私は、私に屈してしまったのだろうか。
「・・・オトコに見えなきゃ、ダメなんだろ? 吉村」
「大丈夫だよ、ニシオ。充分、オトコに見えるよ」
 その日、鏡には、ついに、男装をしてまでも再就職に賭けてしまった私がいたのだ。
 そして、めでたく受かり、今現在、こんなことをしています。


「しかし、アレだね。ニシオ。・・・こんなこと会社の人にバレたら履歴書偽造で立派な犯罪だよね?」
「それをいうなら、公的証明書偽造」
「・・・悪だねぇ」
「いいじゃない、職歴偽装はしてないんだし」
「職歴詐欺より、公的証明書偽造の方が悪だよ」
 鏡に映る、見知らぬ男装をした私が、私を見つめていた。
「職歴詐称位、転職者なら最低でも三分の二はやってるよ」
 私は男装をした鏡に映る私に言ってやった。『その言葉、いま、だれに、いった?』ふと、夢のなかの才色兼備な私が問いてきたような気がした。
 鏡に映る、男装をした私が私に問い返す。


 皆、自分を美化したい。
 社会人になって半年も働けばそういう性根になる。
 それでも「嘘はいかん」という奴は、リストラされて始めて、
 自分の「青さ」に気付くんですよ。

 会社の求人だって嘘八百じゃん。
 勤務時間 9時〜5時?週休二日?各種手当て?未経験者は丁寧に指導?
 うわー臭い臭い
 こういう連中相手に貴方全てさらけ出しますか?
 貴方そんな馬鹿正直だとその内誘導尋問で何かの暗証番号教えちゃうよ赤の他人に。
「嘘は悪」というワシントンの桜の木の呪縛からまだ抜け出せられませんか?


 昨夜にたまたま覗いた再就職についての掲示板に書かれていたことをふと思い出す。
 私は、男装した私に心のなかで言葉を放つ。いいわけがましく、そして、こんななりの私自身を仕方なく思いつつ。
“しかたないよ、これは私が決めたこと。私がやりたかった本当の作業ではない、仕事なのだから”
 そして、なにより、もう、いまさらになって後戻りなどできないのだから。
「じゃぁ、行って来るよ、吉村」
「会社の下見ぐらいで、つかまるなよ」
 半分、冗談で、半分、本音に聞こえた吉村の声と姿を見送りながら、私はまだ見ぬ自分と一歩を踏み出した。

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