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冗談のつもりで言ったはずなのに、吉村は耳まで赤くしてしまった。私は生涯、あのときの吉村の表情を忘れないだろう。それから数日間、視線もあわせてくれず、話しかけるのはきまって私からになってしまった。まったくもって、どこまで女々しい男なのだろう。そんな日々が、数週間経って、私は週末の帰り際、吉村をマンションへと誘った。誘ったという言い方は変かもしれない。元々は、一緒に住んでいたのだから。帰り道の途中、私は吉村の携帯になんどもかけたことや、メールを送ったことを理由に夕飯はスーパーで私の好きなものを買ってもらう口実をつくった。もちろん調理するのも吉村だ。マンションに帰宅すると、吉村もどこか緊張が解けたようにみえた。上着とネクタイを脱ぐと、エプロンを着てキッチンへ向かう。万事テキパキとした動作で、食卓のうえに二人分の料理が並ぶのには、そう時間はかからなかった。
「水菜とカリカリベーコンの和風サラダ、アボカドとトマトの冷製パスタ、そして甘口のロゼワイン」
テーブルに揃った吉村の料理だ。私一人の食事ではあり得なかったものばかり。私と吉村は久しぶりにマンションで顔をあわせて食事をする。私は吉村に感謝しつつ、久しぶりの吉村の料理に手をつけた。
「じゃぁ、いただきます」
「はい。いただきます」
私だけじゃない。以前の吉村が部屋に戻ってきていた。私は冷製パスタを頬張りながら言った。
「すっごい、おいしい!!」
「・・・ありがとう。サラダもたべてみてよ」
吉村に勧められて水菜とカリカリベーコンの和風サラダも頬張った。
「うん。これも、おいしい!!」
「本当にうまそうに食うよなぁ、ニシオ」
「だって、本当においしいんだもん」
吉村はただ、あきれたように、でも心なしやわらいだ表情でワインを飲んでいる。
「ねぇ、吉村?」
私はここではっきりと言おうと決心した。グラスに注がれたワインを一気に飲み干すと私は吉村にむかって言った。
「吉村さえよければさ。これからもずっと、私のために料理をつくってくれないかな?」
私は真顔でそんなことを言っていた。顔が赤くなるのを隠すため飲んだワインだったはずなのに私の赤面は隠せていないだろう。吉村もおなじように赤面している。
「あの、えっと・・」
「同じこと言わせるなよ、女々しいやつだな本当に。好きだ。こんどは、ルームシェアじゃなくて同棲しようっていってるの。イエスか、ノー、どっち?」
ぽかんとした表情のまま、赤面の吉村は答えた。
「イエス」
吉村がイエスと言った。
私はボトルから、ワインをつぎ足して、それも飲み干した。
「私も、イエス!」
「ちょ、ちょっとまてよ!!」
「まったなし」
「置き手紙だけ残して消るような奴なんだぞ俺は!!」
「だから?」
「だからって・・・」
「あぁ、っもう面倒臭いなぁ。吉村、私のことが好きか?」
「え? はい」
「私もだ。これで、ノープロブレム」
「なぜ、英語?」
「日本語だろうと、英語だろうと、この際関係ない。好きなら一緒にいる。なぜなら、そうしたいから。それが、できるから」
私は酔っているのだろうか。べらべらと心のなかのものが言葉にでてくる。
「気のみ、気のままなんだよ、私も。これ以上、女の私の口から言わせるな、本当に女々しい男だな吉村は」
私はそれだけを言うと、吉村はどうしたらいいのかわからないくらい照れながらひとこと言った。
「ありがとう」
本当に、どうしようもない男だな。そう、繰り返し呟きながら、ワインを飲む私だったが、
私のなかで、吉村のその言葉が一番、私の心に響いてうれしくさせた。
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起きろー、起きろ、ニシオ。
ニシオー?
「ニシオ起きて」
「うぅん。頭痛ぇ」
「あんだけ、ワインがぶ飲みすれば頭もいたくなるっての」
「・・あれ?」
「ん? どうした?」
「なんで、吉村ここにいるの?」
「・・・おい」
「冗談。冗談。マイケルジョーダン」
苦笑いだけを残して、キッチンへと向かう吉村を見つめながら、私は机の方へとむかっていった。書きかけのギャグショーの原稿をめくる。書きかけの私が書き直した原稿。久しぶりに、書きたくてどうしようもない自分がいる。私のなかで、物書きである私が書きたがっていた。過去を、現在を、そして、まだ空白の未来を。小説のはじまりは、起承転結の順ではじまる。私の物語は、まだはじまったばかりだ。