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ギャグショー  8, 3/4



   ♀


 吉村が突然いなくなって、それでも月日は容赦なく流れていった。私は吉村のいなくなった穴を埋めるかのように仕事にのめり込んでいった。仕事以外でも、プログラミングの勉強に及ばず、マネージメントのことや苦手だった人付き合いも積極的に話しかけるようにしていった。生きることは勉強することだと吉村の言う通り、私は人から吸収できることはできるかぎり吸収しようと努力した。以前のような男装をすることもなく、普通の西尾刹那として仕事をさせてもらえる。仕事があるときには気付きもしなかったが求職中だった頃の私から見れば、日々の充実感は段違いに満足のいくものだった。毎日、朝のラッシュの電車に乗り込み、帰宅するのは、ほぼ深夜の時間帯だとしても。ただ、ひとつだけ私のなかに満足のいかないことがあるとすれば、それは、やはり吉村がいないというどうしようもない事実だけだった。マンションの部屋の鍵を開けてなかに入る。いつもいるはずの吉村の姿はどこにもいない。ただ、暗闇で、私が電気をつけなければ明かりさえ灯らない部屋で私は無性に虚しさを感じていた。


「ただいま」
 当然、返事すらない。
 この部屋には、私しかいない。
 私だけ、になってしまった。


 吉村がいなくなってしまったことで、部屋が余計に広く感じてしまう。季節はすでに春を迎えようとしていた。静かな部屋で私はひとりだけの軽い夕飯を済ませ、バスタブの湯槽につかるころになるといつも考え込んでいた。別れるとわかっておきながら、私たちは人と出会い、絆を求める。そんなとき脳裏に浮かぶのは、吉村が書いた小説だった。
『いつだって、たのしい時間はあっという間に過ぎていく』
 吉村といつも一緒にいたのに、私は吉村のことをなにも理解していなかった。
「もうすぐ、上京して、1年だよ。まだ、・・1年」
 そう、言って私は湯槽につかりながら顔を洗った。


   ♀


 寝衣の青いジャージに着替えると、私は吉村がいた部屋へ向かった。なぜ、吉村は突然、姿を消してしまったのだろう。そう、問いかけると、私のなかの吉村はきまって、『気のみ気のまま』としか言わなかった。吉村が書いた小説、ギャグショーは吉村の机のなかにしまってある。私はそれを取り出して、吉村の机でもう一度、読み返してみた。内容は、地方の派遣社員の女の子が、性別を偽り上京してプログラマーとして働きはじめる。だが、転職先の企業は1年も経たずに倒産してしまう。という内容になっている。そこから先は、空白のままで物語は途切れている。わたしは、吉村が残したこの小説をもう一度、最初から書き直してみたいと思っていた。吉村が見た私ではなく、私から見た吉村、そして、私自身を。ミイコちゃん、神谷のことも含め、私はなぜだか、吉村がいたというたしかなものを小説というかたちで残したかった。そうすれば、そうできるならば、私はこの先、いままでの過去に正面から向き合っていけるような気がした。


「書くよ、吉村」
 私はギャグショーの原文を手に自分の部屋へ戻った。
 吉村が残していった小説を、私が完結させる。これは、私と吉村の。そして、これから先、私が決してひとりでないという証として、残そうと思った。私は吉村の原稿のあらすじを、私自信の視点に置き換えて、物語を最初から書き直していった。


   ♀


 桜の淡い紅色がところどころ咲きはじめてきた。満員電車から見える桜の木を見つめながら、私は吉村が今なにをしているのだろうかと思った。メールを幾度送ったことだろう。電話を幾度かけたことだろう。吉村からの返信はまだなにもなかった。吉村が書き残したギャグショーという小説は、私の本意ではないそのタイトルのまま、書き直すことにした。深夜まで続く仕事から帰り、少しずつ書き加える毎日。誰もいない部屋で。私以外の誰もいない部屋で私はひとりでない思いで書いている。今まで、ひとりでなかったという思いで書いている。会社へと向かう電車のなか、私はいつも小説のことを考えていた。大勢の他人に紛れ、電車を乗り継ぎ会社へと到着するまで、私はひとりだが、私のなかではひとりではなかった。自分のデスクに鞄を置いて、パソコンの電源を入れる。なれるとは、思っていなかったプログラマに、私はなっていて、それは私ひとりではとてもじゃないが叶えられなかった夢だった。ミイコちゃんがいて、神谷がいて、吉村がいて。そういった人たちに、私は支えられて、夢をもらってここまでこれた。小説を書くようになって、ひとり取り残された思いが、だんだんと薄れていくのを私は感じていた。私たちは、誰かに支えられ生きている。夢をもらい、夢をみて、叶えようとして。希望をもち、ときには挫折して、それでも捨てきれないものがあった。


 立ち上がった、パソコンのモニタを見ながら、私はさっそくメールの確認をする。
「本日、新人が配属されることになりました?」
 私は、突然のことで隣にいる同僚の山田さんに訊いた。
「今日、新人が入るんですか?」
「あれ、西尾さん知らなかったんですか? 来週入社する予定が早まったんですよ。確か、西尾さんのところのプロジェクトだと思うけど」
 あっけらかんに言う同じ女性の山田さんはにこやかに尋ねてきた。
 私は自分のことなのに知らなかったことを恥じた。
「あぁ、そういえばこのあいだの会議で言ってましたね。ありがとうございます」
「いえいえ。それに、その新人さんなら、もう、出社していますよ。さっき、見かけました」
「え、そうなんですか?」
 私はあらためて開発室を見渡してみたが、それらしき人物は見あたらない。
「どこらへんですか?」
「いますよ。ほら、あそこ」
 山田さんが示した先にいた見慣れた新人に私は思わず声が出そうになってしまった。


   ♀


「はじめまして、いや、お久しぶりのほうが正しいかな?」
 なにやら危険を感じ取った小動物のごとく、軽く身震いをして吉村はゆっくりと背後を振り返った。
「嘘だろ? おい」
 作り笑いを浮かべる私を見て吉村はなぜかいまにも泣き出しそうな顔で答えた。
「どうしたの? 幽霊でもみたような顔して。はじめまして」
「・・は、はじめまして」
 同じく作り笑いをしようとする吉村だが顔が微妙にひきつっている。
「自己紹介。私は、西尾刹那。あなたの担当するプロジェクトのプログラマです」
「同じ、プロジェクトなのかよ?」
 私がまたおなじように作り笑いを向けていると、吉村はあきらめたように言った。
「シャロン吉村。こう見えても、男だ」
「知ってる。置き手紙だけを残して消えていった女々しい男」
「・・じゃあ、訊くな」
 私はどこか照れて視線をあわせてくれない吉村に訊いた。
「知ってる?」
「なにを?」
「あなたの教育担当が私だってこと」
「知らない」
「リーダーにそういうことだからって報告したら、教育担当にさせられちゃった」
「ニシオ、そういうことってどういうことを報告したら、そうなるわけ?」
 ようやく視線を合わせた吉村に私は悪戯っぽく耳元でつぶやいた。
「吉村が、私のことを好きってこと」

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