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act.1: 【dropout】



 夏の終わり。そろそろと秋の風がよそよそしくも部屋の窓から吹いてくる九月の中頃。死をまえに生き残った蝉たちの最期の鳴き声が私の耳元へ秋風とともに流れてきた。肌を焦がすような強い日差しが照りつける。窓の外は快晴の青空が広がって見てとれた。敷きっぱなしの布団から、私は忌々しくも仰向けになりつつ、その様相を観察していた。行き交う人波、直進する自動車両。私は、左手を天に掲げ確認する。白地の部屋の壁紙ごしにぷるぷるとなにやら手首から先、指の関節あたりが小さく痙攣している様が見て取れた。私は、昨夜飲んだ睡眠薬を思い出してみた。

「塩酸リルマザホン、レンドルミン、ハルシオン」

 医師から処方された睡眠薬を寝ぼけた眼のまま、私は口にだしてみた。

「三錠飲んだんだ。三錠」

 気温はすでに三十度を超しているだろうか。昨夜の天気予報では今日が三十度を超すと伝え聞いていた。湿度が低いせいなのだろうか、それとも秋風が心地いいせいなのだろうか、私は微かに悪寒を感じていた。私が会社を休職したのは夏の本番になる八月中頃になる。それから、約一ヶ月ほどが経過していた。症状は身体的な障害ではなく、心のほうだった。不安障害というらしい。医師からそう聞かされたときにはいまひとつだったが鬱病の手前だということを得意のネットから拾ってなぜか納得した。納得したはいいが、それから先、どうすることも私にはできそうになかった。

「この症状は、鬱病や躁鬱病、仮面鬱病、総合失調症などの純粋な精神病とはまったく異なるものなのです」

 サイトに記載されていたその文句を私は誰に問い掛けるでもなく言葉にしてみた。心の癖とも言われるこの症状、不安障害は薬物療法が主な治療方法となってはいるが、それは、表面的な症状の緩和を促進するだけで、根本的な治療や対策には至ってはいないそうだ。そして、このために何年、何十年と薬漬けの日々を送る患者が増えているという。また、不安障害といっても、多種多様でパニック障害(不安症)、社会不安障害(社会不安、あがり症)、不眠症、書痙、ノイローゼなど日常生活を送るなかで発症するものがある。そして、この症状のため、毎日をやっとの思いで生活している人たちがいる。私もそのなかのひとりであり、現在もそうである。私が該当する不安障害はいま言った全てだ。パニック障害、社会不安障害、不眠症、書痙、ノイローゼ。

 なぜ、こんなことになってしまったのだろう。そう考えない日々はない。考えても原因がはっきりとしないのも、解決策がはっきりとわからないことも、私にはどうする気も起きなかった。ただ、上司に辞意を伝えただけで、一応、気休め程度に社内にある健康相談室に行くよう上司に言われて、カウンセラーが心療内科の先生に紹介状を書いてくれた。そのときの私の顔色は本当にひどいものだったらしい。元から肌が白いので死体のような白さまで落ちていた。私はそれをもって、病院へいっただけだ。医師は口頭で不安障害とつげ、薬を処方しただけにすぎない。アパートへ帰るとき、そして会社でも私はいつもひとりだった。同僚も先輩もまわりにはたくさんいたが、私は上京した頃のまま、馬鹿みたいにひとりそこにいただけだった。毎朝、声をかわし休憩時間に会話をし、そんなことがなかったこともない。けれども、それは社会人としてただ受け答えしていたようにもいまなら思える。風邪をひいたように頭が薄ぼんやりとする日が何日も続き、左耳に水がつまったような違和感を感じるようになる日が続いた。プログラマだった私は普段のキーボードからペンに持ち替えると書痙が起きていることに気づきはじめる。私ひとりが職場で浮いていて、陰口をささやかれているというような被害妄想を抱くようになったのはそれからすぐのことだ。原因はほんのささいな仕事でのミスや納期の遅れ。そのつど、私の被害妄想はおおきくなり身体と心がまるでもともとが別々の存在だったかのように思い通り動かなくなっていった。もともとひとつだった私の心と体が細胞分裂し、ふたつのなにかに産まれかわるような奇妙な感覚だった。

 いまさらになってあのときどうすることもできなかった私にはこうなることしかならなかったのかもしれない。正常な判断能力を欠いた私には、得体の知れない感情に怖がり日々をただ過ごすだけの臆病者になってしまった。

act.2: 【loop】


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