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act.2: 【loop】



 休職期間には上限がある。入社するときに勤続年数にあった休職期間が社員には与えられ、そして、その期間を越えてしまうと一方的に解雇処分となる。一向に良くなる兆しもないまま、私が会社を追い出される期限が刻一刻と容赦なく過ぎ去っていった。八月中旬から休みを取り、一ヶ月が経って振り返ってみれば日がな何もせず、食欲もないのに薬を飲むためだけの理由付けで無理矢理飲食を口にしては、寝て起きての日々だった。それでも少しは調子がいいと思える日には散歩にでたり図書館へと足を運ぶことで気を紛らわそうとした。症状が緩和すれば、また仕事に復帰しなければいけない。朝は決まった時間に起き、夜は決まった時間に寝る。そのために睡眠薬も処方されているのだから。起きたらまず、なにをするのか。普段と変わりなく、顔をあらい、歯を磨く。私は一人暮らしの身だ。だからという訳ではないが、私は新聞をとらない。ことニュースならテレビをつければ自然と流れてくるし、番組表はインターネットで確認することができる。最近では、テレビをつける気にもならないのでニュースには疎くなっているかもしれない。

 日がな、なにもする気も起きないと、人はどうするか。私の場合、過去を振り返り、これからの私を具体的に想像する。私は過去に工場で肉体労働を経験したことがある。それは正社員としてではなく登録派遣というものに登録して将棋盤の駒のように扱われ派遣される日雇い労働というやつだった。大学に通いながら友達もあまり少なかった私にとって暇つぶし兼、小遣い稼ぎ程度しか最初のうちは考えていなかったものの、徐々に汗水たらしながらなにも考えずただひたすら決められた作業を繰り返すことが不思議と心地よかったりもした。人は仕事さえ選ばなければとりあえず生きていけるということを知った。派遣先は私の意志とは関係なく営業が割り振った。今日は食品加工、明日は商品の箱詰め、明後日は引っ越し作業の手伝い。仕事とはおおよそ言い切れない雑務がほとんどだったが、それでも生きていくには必要最低限の賃金は支払われた。あまつさえ登録派遣会社からの中間摂取がひどくとも派遣という業種はそれだけ潤っていた時期だったのかもしれない。だが、そんな日々が私のなかでいつまでも続くはずがなかった。それは、意味のみいだせない仕事をする無意味さと継続の苦痛からくるものだった。仕事を選ばなくとも人は生きていける。その事実はわかったが、同時に人は本来、自分のあるべき居場所を求め、適材適所の仕事を本能的に選ぶようにできているというあたりまえすぎる基本的な精神構造を思いだしたのだ。そして私は大学を卒業後、東京へ上京した。

 なにぶん田舎者だった私は面接に行った会社のその多種多様さに驚いた。理系の大学を卒業したこともあり、情報処理系の企業を複数受けてみれば、マンションの一室を改造してソーホーのような個人事業を展開している経営者や新宿などの一等地のビルを借りてゴミのひとつやふたつ落ちていようものなら専門の清掃員が掃除してくれるような小綺麗なオフィスまで多種多様だった。しかも、蓋を開けてみれば、小汚い煙草の煙が壁にしみついたかのようなソーホーが年々黒字成長で新宿などの一等地に建つ見た目は綺麗なオフィスが赤字といった事例が少なくなかったのである。見てくれを重視する企業、それに釣られる新卒。私はそんな同期を余所目にその中間にあるような企業を選んだ。結果、いわずとも私はこうして激務のあと休職においやられ、同期は同期で日々サービス残業のデスマーチを送っているようだ。この業界はヤバイ。俺は今月いっぱいで辞める。そんなメールが私の携帯に飛んでくることが一年も経たずに何通も届いた。大企業ならば研修がしっかりしていて安泰かもしれない。しかし、望む部署に配属されるのは当然倍率が高くなり希望する業務でないことがある可能性は高い。逆に中小企業では研修というにはあまりにおそまつな研修を受けたのちに現場でしごかれる日々を送ることになる。どちらをとるかは、人それぞれだが、私は後者を選んだ。そうして、結果私も漏れなく大学時代のなかまに休職にはいることを伝えるメールを送信した。

 ITゼネコンという言葉があることを知ったのは休職して間もない頃だった。『この業界はヤバイ』友人の送ってくれたメールが気がかりになり私は気力が残っているうちに調べてみたことがある。ITゼネコンとは、建設業界のゼネコンと同じように、情報処理産業において官公需を独占する大手のシステムインテグレーター、つまりはコンサルティングから設計、開発、運用・保守・管理までを一括請負する情報通信企業のことだ。またはそれらが形成する多重の下請け構造の事でもある。ゼネコンとは、元請負者として工事を一式で発注者から直接請負い、工事全体のとりまとめを行う建設業者であり、日本のSI業界においても元請け、下請け、孫受けの多重構造が形成されている。NTT系列や大手のメーカー、外資系コンピューターメーカー系列のSIerが大手の顧客を囲い込み、実際のプログラミングやテスト作業を中小のSIerに丸投げしている構造体。この構造の底辺にいるのが下請けのプログラマ、いわゆるデジタル土方というものだ。また、システムの規模の計算は、人数と日数の掛け算の人月計算という単純な方法で金額が決められ発注が行われる。そして、私たち底辺にいるものは地獄を見ることになる。いわゆる3K「キツい,帰れない,気が休まらない」などといわれる忙しい割には報われない業種となってしまっているのが現実だ。

 私は知らず知らずのうちにそのデジタル土方になっていたというわけだ。
 さらには、IT野麦峠、うさぎ症候群という言葉さえ存在する。前者は、過酷な労働に従事した製紙工場の女性の物語「あゝ野麦峠」になぞらえて。後者は、孤独ゆえのさみしさで死んでしまううさぎに例えてとのことだ。混沌とする業種。離職率が高い業種。かつては35歳定年説などと囁かれていた業種。華やかな張りぼての裏には、絶望的に将来がない業界だった。

「これが現実」

 そして、なにより私がここに寝転んでいることが全てを物語っていた。適正と耐性のあるものだけが生き残り、それ以外は使い捨てられる。使い捨てられた側の私が言うのだから間違いない。こんな状態で復職することなど、はたして誰ができるというのだろか。それから数週間後、私は改めて退職する意志をつたえた。

act.3: 【if】


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