INITIALIZE ORIGINAL NOVEL


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act.3: 【if】



 もしもの話だ。
 もし、私があのとき、辞意を上司に伝えることなく自分の中で抹消してしまっていたら、今頃、私はいつも通りに出社して、そしてなにもなかったかのように昨日の作業の続きをやっていただろうか。人生には偶然などないという人がいる。必然という名の偶然しかないという。違う誰かは、この世界には並行するいくつもの世界が存在するという。パラレルワールド、並行宇宙、並行時空というらしい。もしも、私が馬鹿な被害妄想を抱かなければ。もしも、私がこれほどまでに精神虚弱でなければ。もし、私が産まれてさえいなければ。ここで苦しむ私は存在しないはずだった。


「確率の問題だよ。確率の」

 これは、単純な確率にすぎないと私は思った。
 いくら詩のように必然という名の偶然と偽っても、SFの時空などをつくりあげようとも全ては確率に集約されるのだ。私は高田馬場駅から歩いて5分ほどにある見慣れない街を歩いていた。私がここへくる確率。メモ用紙に昨日たまたまグーグルで検索して出てきた場所を私は産まれて初めてひとりでいくことになる。厚生労働省委託事業しんじゅく若者サポートステーションと書かれたその地図を見ながら私はたどり着いた。昨日のことなのに思い出せない。私はなにをキーワードに検索をかけたのか。なぜ、そこをクリックしたのか。メールを書いたのか。


 社会不安障害。
「そこで私は、社会不安障害という精神疾患を患ってしまったんです」
 NPO法人ワーカーズコープが運営する担当者が私の悩みを聞いてくれる確率。
「プログラマーだったんですね?」
「はい」
 私はその確率を考えながら目の前にいる人の良さそうな女性の担当者に視線を向けた。
「それで、現在求職活動中ということをメールであったんですけど、次の仕事はなにをするつもりで?」
「それは、・・・よくわかりません。でも、たぶん以前と変わらないと思うんです」
 担当者は私に心配そうに目配せをした。
「それぐらいしか、私、仕事した経験がないんです。他にやりたいこともないんです。でも、・・問題なのは、また同じ職種でまた社会不安障害とか、そういうのになったら嫌じゃないですか。だから、違う職種も視野にいれたいっていうか・・」
「適職にあった職につきたいと?」
「はい」
「では、そうですね。日を改めてなんですけどカウンセリングをうけてみましょう。それにもとづいて他の職を視野に加えてみましょう。今日は、時間もなんですし、会員登録だけということで」
「はぁ」


 もしもだ。
 もし、私がプログラマーとして働くことがなかったとしたら、私はどんな職に就いていただろう。会員登録を済ませ、私は次に適性試験を受ける日程をつたえ、外へ戻った。肩からかけてある鞄のなかに、ネットオークションで買った専門書を私は取り出した。著者、エレイン・N・アーロン。ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。歩きながら、私はその本をめくった。この本の中で私のような人間はとても敏感な人。Highly Sensitive Person。略してHSPと呼ばれるらしい。そして、私のような人間は少なくとも社会全体で2割をしめる割合でいるという。私がこの本を読んで理解できたことは、人は人の数だけ生き方があって、結局は落ち着く場所へ誰もがたどり着くということだった。他者を認め、自分を認める。私は目を覆いたくなるほど不器用なのに、神経だけは人一倍敏感につくられているその他大勢のひとりにすぎない。そうした人間もまた、結局は落ち着く場所を本能的に探し当て、そして、帰っていくようにできているという。

act.4: 【HSP】


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