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夢見草
vol_5.1 遥か彼方
見渡せば、視界一面が収穫済みの稲だった。
平面図の稲の穂が見る影もなく視線の高さは地面におなじ。
「なぁ、古橋。俺はつくづくおまえのことが信用できなくなったよ」
ニワトリが俺の足元へと擦り寄ってくる。
痙攣しているかのような首の動きに赤い鶏冠が動きのあとに揺れる。
「ははっ わざとだよ、わざと。おまえらを実家にまねく口実」
そのわりには、俺の手からすばやくニコンのカメラをひったくる古橋。
「写真家志望が、カメラをアパートの押入れに忘れるなんてありえないだろ」
「これは、予備のカメラだ、予備! 勘違いすんな!!」
「予備でも、カメラはカメラだ」
こんな馬鹿な会話、久しぶりだった。
古橋は困惑し、俺がそれを追い詰める。そして慎也がそんな漫才を微笑んで観賞している。そんな構図がいつもの俺たちだった。
「こんな糞田舎にわざわざ忘れ物だけを届けにきたというのに、なんだ、その態度は?」
「こんな糞田舎にわざわざおまえらを招待したというのに、なんだ、その態度は?」
「まぁまぁ、おちついて、ふたりとも」
俺と古橋が衝突するごとに慎也が仲介に入る。
まったくもって成長しない、俺たちである。
※
ニワトリが慎也と向き合っている。
痙攣しているかのように見える首の動きがよほど珍しいのだろう、慎也は首の動きにあわせて、慎也自身も首をかしげてみせる。古橋のばあちゃんが林檎をむいてくれた。縁側に座り込み、俺と古橋は林檎を口にしつつ、慎也とニワトリのやりとりをながめていた。風がどこか肌寒く、だが、その寒さがどこか心地よくもあった。楊枝に刺した林檎をひとくちかじる。
「俺はなぁ、西崎。馬鹿げた話だが、地元に戻ってからも、まだカメラを続けているんだ。才能がないと知っていてもな。・・・才能がないと自ら言ってやりたいことをやらないのは、馬鹿だが、才能がないと知っていてもやりたいことをやるのはもっと、馬鹿だよな?」
俺はかじった林檎を咀嚼し終えてから古橋を見る。
ニワトリと慎也をながめる古橋の横顔が、そこにはあった。
「世間一般的に言わせれば、どちらも馬鹿だ」
いい終えてから、俺はまたひとくち楊枝に刺した林檎をひとくちかじる。
古橋は、相変わらず、ニワトリと慎也を見ていた。
「そうだな、どっちも馬鹿だな。だったら、俺はやれるだけやって馬鹿な方を選ぶよ」
俺は、ときどき思うことがある。
夢は、夢のままにさせておいたほうがしあわせなんじゃないのか、と。
叶えられないと知ることが、失ってしまった人がいる。
憂鬱な感情なのに、ニワトリと慎也を見る古橋の目は俺とは違っていた。
ひきこもっていた頃、俺は、なにを見失ったのだろう。
愁は俺に怒鳴ったことがある。
「てめぇの人生、てめぇで変えなきゃ、なにも変わらねぇんだよ!!」
真由美さんは俺に訊いたことがある。
「先のことなんて、誰にもわからないんだからさ、今を精一杯がんばるべきなんじゃないの?」
美夏は俺に諭した。
「やらずに後悔するより、やって後悔した方がマシだよ」
全ては、後悔を残さないため
全ては、己自身で選択し、決めなければならない
それが、生きるということ
「なぁ、正登」
俺は、林檎をかじっていた。
古橋は、ニワトリと慎也をながめ、そして林檎を咀嚼する俺に届く小声で言った。
「他人が自分を評価する。これが社会だ。だけどな、だからこそ、意味があるって言ったけど、本当に、一番大切なことだけ、忘れなければ、他の全てをなくしても、なんとかなるもんだな」
俺は、なぜ、古橋の目が死んでいないのか、わかったような気がした。
夢を諦めたとしても、叶えられないとしても、
「古橋にとって、一番大切なことってなんだよ」
古橋は、相変わらず慎也とニワトリをながめながら言った。
「今までの、少なからずの経験だよ。失敗も挫折も後悔も、そんな他人から言わせればたいしたことない経験が、俺を支えてるのかな」
人は、だからこそ、後悔を残さないように努力する。
だが、その後悔もいつかきっと自分自身を支えてくれるようになる。
それは、いままで自我を縛り付けていた後悔を乗り越えた瞬間、訪れる。
「西崎、後悔することは悪くはないぜ。乗り越えた奴だけが言える言葉だけどな」
そんなことを言える古橋が正直、羨ましかった。
俺は、やはり、楊枝に刺した林檎をかじる。
無意識のうちに、慎也、そして俺自身に昔の僕が言っていた。
“気付いてほしい。後悔とは、同時に自分を変えることのできる、ただひとつの経験済みの希望だということを。”