「忘れないでよ」(・「めぐりあい」)の覚書


ヤックスキャンプOB・OG会会報「 聖大好き」vol.3(廃盤)に収録

なかなか機会がないので、この場を借りてこれらの曲について
ここに記しておきたいと思う。

1979(昭和54)年。かんぴ浪人時代の夏。
前年まで高校の同級で一足先に千葉大に入ったチャムが、
ヤックスキャンプのリーダーを経験し、その話を熱っぽく語ってくれた。
そのイメージを頭の中で描いて作ったのが「忘れないでよ」である。
従ってこの曲は、かんぴがヤックスキャンプ未経験のうちに作った
イメージソングである。予備校の席でノートの隅に書いた文字、
「忘れないでよ ほんの小さな思い出だったけど……」
これが一番初めの歌詩だった。
そのうち「この歌は追っかけになるなあ」と思い立ち、
現在のような歌詞に訂正して完成。
1979(昭和54)年8月24日。
この日が、記念すべき「忘れないでよ」の誕生日である。
(この時は、まさかこの曲が今のように広まるとは夢にも思わなかった。)

年が明けて、1980年。千葉大入学が決まった3月、
高校時代の仲間達と日光でキャンプを行った。(チャムもいた。)
雪の降る寒い中キャンプファイヤー。
そのエンディングで初めて「忘れないでよ」を披露した。

同年7,8月、ヤックスキャンプを実際に体験する。
この時のエンディングは「シャロム」や「今日の日はさようなら」や
「一万人の賛歌」(こういう題名じゃなかったかもしれない。
アリスの歌だったと思う。)などだった。

翌1981(昭和56)年、かんぴ大学2年。5月頃だったか、
チャムが「ヤックスキャンプも落としの曲で何かいいのねえかなあ。
お前何か作れよ。」と言う。
「よし、わかった。」(この時は違う歌を新しく作ろうと思っていた。)
「そうだ。前に日光でキャンプやったときに歌った歌があんじゃん。
あれいいんじゃん。」「ああ、あれ。うん使ってみっか。」
そしてその年2度目のリートレのキャンプファイヤーで、
ヤックスキャンプで初めて「忘れないでよ」が歌われた。
夏、聖ではチャムが、笠森ではかんぴが、
ほとんどのキャンプでファイヤーのエンディングにこの曲を使う。
こうしてこの曲は広まっていった。

ついでに「めぐりあい」について。
1982(昭和57)年、かんぴ大学3年の春。
「エンディングの曲は出来たから、今度はオープニングの曲だ。」
と言われ、その気になった。
その年、自主駐在リートレをやろうと言い出したかんぴは、
その場所の下見のために独り奥多摩のキャンプ場に向かった。
青梅線に乗って景色を眺めているうちに曲のフレーズが浮かんできた。
「緑の 木立が……」。
時間にして、わずか10〜15分だったろうか。
歌詩も曲も完全にその時出来上がった。
1982(昭和57)年5月9日。
その後の自主駐在リートレで初演。
全体のリートレでも一度だけ歌ったが、
この曲は自分の行くキャンプで歌おうというくらいしか考えていなかった。
だが、持つべきものはよい仲間である。みんながこの歌を覚えてくれた。

卒業後、1,2年ほどたったある日。あるリーダーから、
「レクソング講習会に参加した時の資料に『小さな約束』という題で
『忘れないでよ』が載っていた。」という知らせを受ける。
題名ばかりか歌詩も若干違い、おまけに作者不詳だったそうである。
大学2年の時の笠森キャンプで、ポカリという日体大のリーダーがいて、
彼が大学にもどって他のキャンプでも「忘れないでよ」を
広めてくれたらしいが、口伝えに広まるうち、
題名も歌詩も変わってしまったのではないかと思われる。

時が経って、1987(昭和62)年、
全国手作りレクソングコンテスト(だったと思う。)に、
ガンさんが「忘れないでよ」を譜面応募してくれた。
そしてそれが審査を通過し、
東京で行われる決勝大会に出場することになった。
8月下旬だったが、すでにかんぴの学校では(栃木県)
2学期が始まっていた。そこで、休みをとって大会に参加。
当時の現役生や出られるOBにも集まってもらった。
入賞などしなかったが、大きなステージで「忘れないでよ」を歌うという
貴重な体験をさせてもらった。

さらに1年後、ある夜、サバリーから電話で突然オルゴールを聞かされる。
曲は何と「忘れないでよ」だった。
日体大のC.I.A.というサークルの10周年記念の集まりで、
記念品として各自に贈られたのがこのオルゴールだったそうだ。
そのサークルの顧問である、日体大教授の小泉先生から
数日後電話をいただいた。
「あなたの作った曲だということですが、
作者に言わずに勝手にオルゴールを作ってしまってすみません。
一つ贈らせていただきます。」
さらに数日後、そのオルゴールが手元に届いた。

1991(平成3)年、TBSテレビ(だったと思う)の
「素敵にドキュメント」(だったと思う)で、
「忘れないでよ」が流れたらしい。この知らせを教え子から電話で聞いた。
「先生、今テレビで先生の曲が流れてた。」
急いでテレビのスイッチを入れたが、残念ながらもう終わっていた。
ラストのタイトル表示は「小さな約束」(作者不詳)だったそうである。

こうして、知らないうちにどんどんひとり歩きをしていく
「忘れないでよ」。
自分の曲であって自分の曲でないような感じで、
広めようとしているわけでもないのに
こんなふうにどんどん広まっていくのは、
たぶんこの曲を聞いてくれた多くの人々が
この曲を大事にしてくれているからだと思う。
自分の曲の中でこんな曲は他に一つもない。
この曲を生み出せて本当によかったと実感している。
「忘れないでよ」を愛してくれているみなさん。
本当にどうもありがとう。いい仲間達を持って、最高に幸せです。

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