「人権の基準」を想定した授業の在り方について
1 課題設定の理由
学校教育の中に、「人権」に視点を当てた新たな授業や様々な教育活動の営
みが、構築されつつある。「人権」は一人一人定義の仕方も異なり、人権教育
が何を内容とするかも、様々な考え方が存在する。それだけ多様性をもった教
育分野であり、それ故の重要性も認められる。しかし一方で、ややもすると、
“なかよし教育”的な営みに終始してしまう可能性もなくはない。互いの人権
を大切にし合うということは、何が人権侵害の状態であるかを明らかにするこ
とと、表裏一体の関係をなす。
今学校では、同和教育の成果を総括し、新たな人権教育にどう取り組んでい
くかを模索している。いまだ「人権の基準」は確立しえず、また果たして学校
教育の取組みの範囲で、「人権の基準」を提示することができるのかも定かで
はない。
しかしながら、同和教育の直接的指導をはじめとして、「人権」を意識した
授業やその他の教育活動に取り組む中に、いわゆる「人権の基準」を想定した
活動が自然に含まれているのではないか。そこで今年度はまず、各校から持ち
寄られた資料を、「人権の基準」の視点からとらえてみることにした。
2 目 標
・各校の人権教育への取組みを、「人権の基準」の視点からとらえ、新たな人
権教育構築の足掛かりとする。
・人権侵害の例などを具体的にとらえることで、より確かな人権尊重の精神を
養わせられるよう、授業その他の教育活動に生かす手立てを見い出す。
3 実践例
(1)小学校の実践事例から−その1
<2年生活科を基盤にした総合的な学習より
『みんながくらしやすい街づくり』>
学級活動、生活科の2単元、道徳の時間を活用した14時間扱いの単元であ
る。この中の生活科の2単元が「町をたんけんしよう」と「町のバリアフリ
ーマップをつくろう」で、それぞれ9時間と3時間をあてている。
「町をたんけんしよう」の方では、実際に町内を歩いて体の不自由な人の
ための施設や設備を調べて回る。さらに体の不自由な人のためのものが少な
い、という気付きを通して、どのようなこと(もの)が障害者にとっては必
要かを考える、というプロセスにいたる。つまり、障害者にとっての過ごし
やすさの判断基準を養うわけである。
また「町のバリアフリーマップをつくろう」では、調べてきた成果を地図
にまとめていく作業である。その過程で、何を情報として地図に記入するか
の判断は、何らかの基準に基き、巨視的に見れば、障害者問題という人権問
題をどうとらえるかに関わる。
授業では最後に、目の不自由な人に対して何ができるかを道徳の時間に考
えさせて締めくくりとしている。
(2) 小学校の実践事例から−その2
<6年社会科「農民や町人が力をつけてきた世の中」より
『武士に抵抗した清蔵』>
江戸時代の末期、被差別身分の清蔵が新築した家を、農民らが分不相応で
あるとして打ち壊した事件が起こる。清蔵は代官所に訴え、長く訴訟を闘っ
て自らの正当性を主張したというもの。
本時ではまず、清蔵の立場・心情に共感的に理解させる。さらに、学習の
中心を清蔵ら被差別身分(原告)、村役人(被告)、代官所の役人(裁判官)
の三者の立場から、裁判をロールプレイするところに置いた。史実通りの裁
判をシミュレートするわけではないが、江戸時代の身分社会を踏まえてそれ
ぞれの立場に立つわけである。
子どもたちは、与えられた役割(=身分)に基く判断をすることになる。
ここには、個々の児童の本来の心情から、一度離れて考えなければならない
という困難な課題が伴う。これをきちんと整理することによって、児童は人
権を侵害した者とされた者との、立場の違いによって人権の判断基準がいか
に変化するか、ということに気付くことができるのである。
史実に忠実になりきれない可能性を秘めていることや、江戸時代の不合理
な、しかし厳然として存在する身分社会を、どのようにとらえるかといった
課題は残されるが、人権問題を多角的に判断する力を養うことができると言
えよう。
(3) 中学校の授業実践例から−その1
<3年社会科公民的分野「基本的人権の尊重」>
「基本的人権の尊重」については、憲法の各条文に沿って様々な人権につ
いて学習する。まずは数時間かけて自由権、社会権、参政権等について一通
り学習する。その後、実際に社会で起きた様々な人権問題を取り上げ、新聞
等の資料で調べたり、グループ討論を行う。このことによって、より深く人
権の意味について学ぶことを目的とした学習活動が展開できるわけである。
このとき取り上げられる人権問題は、実際に事件などとして報道されたり
裁判にまで発展したものが中心である。したがってどちらかと言えば、明る
いニュースではなく、むしろ人権を侵害されたという事例が中心になる。例
えば、身体の障害が主な理由とされて、一般高校への入学が認められなかっ
た、著作物で表現上不適切な文が含まれていた、あるいはある意見表明に対
して、脅迫めいた抗議を受けた等々である。
生徒たちは学習にあたって、まず、事例(事件)全体のどこが人権侵害な
のか、だれのだれに対する人権が侵害されたのか、憲法上の基本的人権のど
れに該当するのか、について明らかにする。この学習の過程は、まさに何が
人権侵害となるのかを、実際の社会のできごとを通してつかんでいくことに
なる。
この学習を進めるにあたって、注意しなければならないのは、人権問題と
して取り上げた個々の事例を、教師側はどうとらえているかであると思われ
る。明らかに人権侵害である、ととらえられなくてはならない事例について
は、教師の方からその判断基準を生徒に示す必要があろう。しかし、生徒に
判断基準を考えさせうる事例も存在する。むしろ、そうした学習活動を取り
入れることによって、生徒は、個人によって人権のとらえ方に違いがあるこ
とに気付くであろう。また何よりも、討論などを繰り返す過程で得られる、
生徒集団内での合意形成の方法の習得こそが、この人権学習の目的でもあり
生徒がいわゆる「人権の基準」に相当するものの存在に気付く重要な機会で
ある。
(4) 中学校の授業実践例から−その2
<3年道徳「理想社会の実現」−正義、公正・公平、社会連帯>
同和教育の連携指導として実施される、道徳に目を転じてみる。道徳は、
生徒各自の心情に訴えながら、資料中の人物たちの言動に共感させたり、批
判的にとらえさせたりしながら、ねらいとなる価値に迫るという特質がある。
ここでは「偏見の厚い氷を破りたい」と題する、若き日のガンジーの身に
起こったことを、取り上げた資料による授業である。1等車の切符を持つガ
ンジーは、同席をきらう白人乗客の訴えによって、車掌によって無理やり2
等車に移されてしまう。それに対しガンジーは、正当な理由を挙げて、その
扱いに抵抗する姿を資料は描いている。
人種差別の根強い当時の状況下にあっても、理不尽な差別は許されない。
生徒たちがそのことを資料から読み取り、ガンジーの考え方に共感していく
過程は、ここにどのような人権侵害が示されているのかを明らかにしていく
ことに重なる。またこの資料では、白人の高圧的な態度に、抵抗をあきらめ
卑屈にこびてしまう人物が描かれており、ガンジーの行動と好対称をなすこ
とに気付かせるようになっている。この部分からも、いわゆる「人権の基準」
に迫ることができるだろう。 道徳では価値の追求過程で、生徒個々人が、
自らの生き方に重ね合わせることが必要であり、価値の押しつけにならぬよ
うにする点で、「人権の基準」にこだわないよう配慮する必要があろう。
4 考察及び今後の課題
町内小中学校の、人権学習・人権教育の実践事例を「人権の基準」という視
点からとらえてみた。ここで取り上げただけの実践例をもって、あらゆる学習
活動に「人権の基準」を求めることができる、と判断するのは早計であろう。
しかし意識していなくても、結果的には「人権の基準」を取り入れた学習が展
開できているのだ、ということは言えそうである。
ここに紹介した事例を検証してみると、人権(侵害)の具体例を取り扱う学
習活動に対して、「人権の基準」を設定することが可能であるという点が共通
している。このことは、何かの人権が尊重されたり、損なわれたりする場面は
(当然ながら)、人と人との関係において生じるということを示している。そ
してそのような問題が生じたときに、その解決の手立てとしての「人権の基準」
が、時に知らぬ間に要求されているのであろう。
教育は子どもをよくする営みに他ならない。その子どもたちに、人権を「尊
重されるべき大切なもの」として教えることは、大変重要である。しかし将来
社会に出て、自他の人権がぶつかり合う場面に出会ったとき、私たちは何かの
基準に基いて判断を下さなければならない。その時には単に「尊重されるべき
大切なもの」というだけの理解では問題の解決にならなかろう。「尊重される
べき大切なもの」として十分に認識した上で、さらに人間関係のもつれやほこ
ろびを修正しうる役割をさせなくてはならない。それを学校教育の場において
どの程度、積極的かつ具体的にトレーニングする必要があるかについては、さ
らに今後研究を深める余地があろうかと思われる。
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