下野三十三番観音霊場 
〜 何故いろいろな観音様がいるの? 〜

 観音様は、当初は一つの基本的なお姿(聖観音)しかありませんでしたが、観音様が人々の様々な苦しみの状況に応じて、異なった姿や働きで現われ救済してくださるということから、千手観音、十一面観音、馬頭観音、准胝観音、如意輪観音、不空索観音など六種類の変化観音が登場してきました。
 これらの変化観音はインドで仏教が密教化していく過程でインド古来の多面多臂の神々の姿を取り入れて生まれたものであり、日本でも平安時代に密教と共にもたらされて以来、真言宗や天台宗の寺院ではこれらの変化観音を御本尊様とするところが多くなり、 美術的にも素晴らしい仏像が数多く現存しています。
 さらに中国では、『観音経』の三十三身の変現ということから、楊柳、龍頭、持経、円光、遊戯、白衣、蓮臥、滝見、施薬、魚籃、徳王、水月、一葉、青頸、威徳、延命、衆宝、岩戸、能静、阿耨、阿摩提、葉衣、瑠璃、多羅尊、蛤蜊、六時、普悲、馬郎婦、合掌、一如、不二、持蓮、灑水の三十三観音が生まれ、霊場の数の由来となったようです。
 観音様の人気の高さには、このように人々の願いに応じて、様々な観音様がいらっしゃるところにもあるのではないでしょうか。
聖観音
しょうかんのん
 観音様の基本となる形であり、正観音とも書かれます。いろいろな形の観音像が作られるようになったため、基本のものを聖観音と称するようになったそうです。多くは左手に蓮華のつぼみを持ち、右手でそれを咲かせようとしています。これは、悟りきれない人々の煩悩を開かせようとする慈悲の心を示すものであります。
千手観音
せんじゅ
 文字通り千本の手を持たれ、その各々には眼がついているため、千手千眼観音とも称されます。これは、この世のあらゆる出来事を見通し、もれなく救済の手を差し伸べるために千本の手を持たれておられるのです。実際に千本の手を持たれておられるのは、唐招提寺の観音像など少なく、普通は十六本や四十二本のものが多いということです。有名な京都の三十三間堂には一千体もの千手観音様が祀られていらっしゃいます。
十一面観音
じゅういちめん
 名前の通り十一のお顔を持たれた観音様であり、様々な災害から免れるというご利益があると信じられております。ふつう頭上に十のミニ仏面をつけておられ、正面に三つの慈悲のお顔、左に三つの忿怒のお顔、右には穏やかな中に牙をむいた三つのお顔、そして後方に大笑いのお顔があり、すべての方角にいる人々を必ずお救いになられるという菩薩様のお誓いが込められております。なぜそれぞれ表情が違うかというと、正面の三面は素直に仏の教えに従う人に慈悲を垂れ、左の三面は従わないで勝手なことをしている人に対して怒り、右の三面は善行の人をほめたたえ、後ろの笑面はゆとりをあらわしているそうです。
馬頭観音
ばとう
 優しいお顔をされている観音様のなかでは珍しく恐ろしい忿怒の表情をされ、さらに頭上には馬の頭を載せていらっしゃいます。これは、馬が駿足をもって四方を駆け巡り、周囲を蹴散らすように、世界のすみずみまで駆け回って、その恐ろしいお顔で人々の度肝を抜いて、邪悪な行いを粉砕し、すべての悪や障害を取り除く慈悲心をあらわしていらっしゃるのです。故に馬頭様は勧善懲悪の仏様として知られておりましたが、近世になって、その容姿から動物愛護や交通安全をも祈願されるようになりました。
如意輪観音
にょいりん
 如意輪様の「如意」とは願っていることはどんなものでも叶えるという珠である「如意宝珠」、そして「輪」とは「法輪」すなわち仏の教えをさしており、この仏に祈るとすべての願いごとが叶えられると信じられております。ふつう手は六本あり、右の第一手は頬につけて思惟しておられ、これは地獄道から人々を救う誓願の手といわれ、右の第二手に如意宝珠を持ち、人々を餓鬼道から救い、右の第三手は立て膝の上で数珠を持ち、人々を畜生道から救うといわれ。また、左の第一手は蓮弁に触れて、人々を修羅道から救い、左の第二手は脇の下から蓮華を持って、人々を人道から救い、左の第三手は肩の上に法輪を持ち上げて、人々を天道から救うといわれます。このように六本の手は人々を六道から救いとるためのものといわれております。
准胝観音
じゅんてい
 三つの眼と十八本の手を持ち、密教で説かれるいのちの源泉をつかさどる菩薩様で、延命長寿の霊験があると信仰されています。またこの菩薩様の真言(呪文)「准胝陀羅尼」を唱えると、今までの罪が消え、寿命が延び、悟りを得て聡明になり、子供を授かるという御利益があるそうで、子授けの守り本尊としても尊崇されております。
不空羂索観音
ふくうけんじゃく
 頭には宝冠を載き、四本あるその手には、すべての人々を救いとるという羂索(縄)を持っていらっしゃる菩薩様です。四本の手は四摂法といって布施・愛語・利行・同事の四つの羂(網)を張り、索(釣糸)で救いとるという意味に由来し、他に施し、優しい言葉で語り、相手にプラスになるよう心がけ、お互いが喜べるようなことをせよ、と勧めていらっしゃいます。またこの菩薩様の真言を唱えると、病気が治り、美人となって人に好かれ、財宝に恵まれて事業に成功するなど二十の現世利益があるそうで、商売繁盛のご本尊としても信仰されております。



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