現代人の法話 
〜 常識をわきまえる 〜

 私たちは敗戦の結果、戦前の伝統的慣習や道徳観が否定され、戦後の価値観が多様化して、社会の指導的立場にある政官財界の工リートたちの相次ぐ不祥事を目のあたりにして、いったい何を拠り所として生きていったらよいのかわからないといった、一種のアノミー(無秩序)状態に陥っています。戦後の復興や経済の高度成長によってモノが豊富に出回り、生活にゆとりが出来たのも束の間で「衣食足りて礼節を知る」どころか、凶悪犯罪の多発や人心の荒廃ぶりには目にあまるものがあり、はたしてこれからの日本はどういうことになるやら、不信と不安におののくのは当然のことでしょう。
 こうした時こそ、私たちにとって一番大切なことは、人間として最低限守らなければならない常識を誰もが守って実行することだと思いますが、それを家庭でも学校でも一向に教えることをしないのはどうしたことでしょう。それはけっして難しいことではなく、ただ、ひとからお世話になったときには「ありがとう」と言い、ひとに迷惑をかけたときには「御免なさい」とあやまることにつきると思います。この二つさえ忠実に守って実行できれぱ、常識ある人として、一応ひとから信用され評価されるのではないでしょうか。
 かつて私は海外旅行をした折り、東大名誉教授なる人と同行したことがあります。この先生が車から下りるとき、本人にとって大切なスーツケースのカギを落として立ち去ったので、拾って届けて差し上げたところ「ああそう」と言うだけで、唖然としたことがあります。また、別の機会に麻酔科の若手の医師と同室したことがありますが、いつも風呂やテレビを独占し、平気でいる姿を見て、なんて常識のない人なんだろうと思いました。別に感謝やお詫びの言葉を期待しているわけではなく、相手は偉い先生でそうしたことに気を使うのは沽券にかかわるのかもしれませんが、このような人が社会の指導者として君臨して来た、明治以来の日本の知育中心の教育のありかたを根本から見直さなけれぱならない時代が到来しているような気がしてなりません。



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