現代人の法話 
〜 マンネリ化を排す 〜

 ひとつの組織や制度の中で長い間生活していると、それが余程肌身に合わないかぎり、拒否したり反発する気力が次第に消え失せて、それに慣らされ順応して、いつのまにやらそれでいいような気分になってくるようです。とくにわが国のように歴史や古い伝統の残る社会では、潰滅的な戦争や災害などの被害に遭わないかぎり、今までの組織や制度を抜本的に変革しようとする機運が起きず、付け刃程度の部分的な改善でお茶を濁し、それ以上のことをしようとすると「過ぎたるは及ばざるがごとし」という諺があるように、周囲から猛烈な反対をくらって結局は元の本阿弥になってしまう結末を迎えてしまいます。やはり一度慣らされた環境は居心地がよく、そこを出るには周囲の変化や孤独に耐え、返り血を浴びるくらいの覚悟が必要で、それができない人は最初から「君子危うきに近寄らず」で、自分を窮地に追い込むようなことはしないぽうが無難です。
 しかしながら、世の中の改革は良きにせよ悪しきにせよ、あらゆる危険を覚悟の上で実行しなければ実現は到底不可能で、今まで歴史上の多くの改革者は自分の犠牲を厭わず、身を粉にして既成の体制を打破すべく闘って来ました。その勇気や努力は、改革することによって世の中が必ず従来以上によくなり、人々のためになる、という確信があったからでしよう。こと宗教界にかぎって考えてみても、古くは仏教の開祖・釈迦やキリスト教の開祖イエスをはじめ、中世期のわが国の法然や親鸞や日蓮、西洋のルターやカルビンなどみな既成の宗教に飽き足らず、「われこそは真に人々をしあわせに導く救世主なり」という絶対的な確信があったからこそ、当時の権力者から弾圧や迫害を受けながらも民衆の間に立って厳然と改革を獅子吼したのです。



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