現代人の法話 
〜 欲をかくと恥をかく 〜

 ロシアの作家トルストイに『人はどれだけの土地がいるか』という本がありますが、その一節に次のようなことが記されています。「一日のうちに歩いて回っただけが、おまえのものになるさ」と村長にいわれ、農夫が太陽の昇る方向に歩いていった。ついつい欲張って遠くまで歩き、走りに走って戻ってきた。「やあ、えらいぞ。たくさんの土地をとりましたな!」と村長。そのとき、農夫は息たえていた。農夫のために墓穴が掘られ、それは頭から足までのニメートルぽどの長さだった、というものです。これは今から一世紀前に書かれた小説ですが、私たちの間でも、お金に執着し、それらを独り占めにして社会のために還元せず、世間からケチだと後ろ指をさされながらも平然とし、イザ死ぬときにはそれらを残してあの世に持っていくことも叶わず、独り淋しくあの世に旅立つ人に似ていやしないでしようか。
 たしかにお金は生活するための必要条件ですが、絶対条件ではありません。にもかかわらず、自分の楽しみや遊び事には湯水のごとく使っても、社会への奉仕となると拠出しようとせず、知らぬ顔の半兵衛をきめこむ人もいるようです。知人のある資産家は生前、「いくら親族や友人であっても全の切れ目は縁の切れ目で頼り甲斐がなく、お全だけが私の生き甲斐だ」と目頃豪語し、ケチに徹して巨額の財産を残しました。最近、脳溢血でボックリ死に、それを聞きつけて今まで寄りつかなかった子供たちが駆けつけました。が、その通夜の席上で財産争いの喧曄を始める始末で、いったい何のためにこの親は今まで財産を残したのか、考えさせられました。
 それにひきかえ「私にはとりわけ財産もなく、年金暮らしで細々と生活していますが、身寄りもなく、あとに財産を残しても仕方がないので、せめて今まで生かさせて頂いたお礼の印にこれを何かのお役に立てて下さい」と、たどたどしい文章で綴った手紙を添えて匿名で寄進して下さる奇特な方もおります。



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