現代人の法話 
〜 ひとを責めない 〜

 ここのところ毎日のように公私にわたる仕事が山積し、どこから片づけてよいやら戸惑い、やるべき仕事に没頭して心身ともに疲労困憊し、どうにかなってしまうのではないかと、わが事ながら心配したり、嬉しい悲鳴をあげている状態です。ときには、面白可笑しく遊びにふけり、暇を持てあましている周囲の人々を見るにつけ、羨んで恨めしく思い、これだけこちらが猫の手も借りたいくらいに忙しく立ち働いているのに、側では「本人が好きでやっているのだから放っておけ」とばかり、無視され、平気て眺められていると、ときには腹が立つこともあります。
 しかしながら愚痴ってみてもはじまりません。世の中はうまく出来ているもので、仕事の好きな人もいれぱ、嫌いな人もおり、性格や気質も千差万別で、すべて一様ではありません。したがって相手に自分と同じようになるよう期待しても土台無理があり、期待通りにならないからといってやきもきし、責めることもないでしょう。
 かつて江戸時代の僧・安楽庵策伝はその著『醒睡笑』で「くせはなおらぬ」と述べたことがありますが、人にはそれぞれの業がつきまとい、そのなすようにしかならないものです。世の中には、仕事に取りつかれたりお金儲けに喜びを見い出す人がいるかと思うと、そんなことは生活のためにやむを得ずする場合を除き、なるべく敬遠して、むしろ面白可笑しく遊ぶことに時間やお金を費やす人もいます。そのいずれの道を歩もうとも、辿った後には足跡が残ります。そして私たちは百パーセント人生の終着駅にたどり着き、あの世の人となりますが、そのときになってはじめて本人がこの世で何をして来たか、それなりの評価を閻魔様や生き残った人々から受けることになることでしょう。



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