現代人の法話 
〜 真の国際化とは 〜

 最近、政治、経済、教育、文化のあらゆる分野での国際化が叫ばれて久しく、国民の誰もが今までの閉鎖的な生き方を反省し、諸外国とヒトやモノの交流を促進させることははなはだ結構なことで、諸手を挙げて賛成したい。
 しかしながら、この国際化の掛け声に呼応して諸外国の都市と姉妹関係を結び、通り一遍の国際親善行事を行ったからといって国際化が進んだと考えるのは早計だ。というのは、特別利害のない両国や両都市との間で協定を結び、歓迎行事や人的交流を行うことはたやすいが、お互い異文化の中にある両国(市)民が真の国際関係を深めることはそんな生易しいことではない。一例をあげれぱ、小生は最近、拙著の英語版を米国の大手出版社から上梓したが、一冊の本を出版するにも、わが国ではとかくなおざりにされている、たった一、二行の引用文献の筆者や出版社への書面による許可願いや版権などの煩雑な事務手続きに数年を費やしている。ときには意見の食い違いからお互いがその言い分を主張して合意点を見出すべく努力し、ただ「イエス、イエス」とニコニコ顔で交渉を済ますわけにはいかなかった。その間の航空便やファックスやEメールによるやりとりでゆうに一冊の本が書けるほどの内客だ。
 こうしたことを一般の市民に注文するのは無理としても、真の国際化には、たんに言葉が通じて伸良く四方山話をするだけではなく、努力や痛みが伴うことを覚悟し、お互いの相違点を確認した上での友好を進めるものでなけれぱならないと思う。(9月3日付「読売新聞」掲載)



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