現代人の法話 
〜 自分以外は皆師匠 〜

 今日の世の中では、いくらお念仏の有り難さや宗教の必要性を説いたところで「ハイそうですか」と素直に聞く人はまれで、かえって「余計なお節介だ」と言下に拒否されるのがオチでしょう。それほど私たちは利己主義にこりかたまっており、それをときほぐす手だてはほとんどなく、本人がしたい放題のことをして、とどのつまりは自業自得で痛い目に遭い、その非を自ら気づいて納得するまで放っておくより仕方がなさそうです。
 これを仏教では「不求自得」といいます。そうしたことを説く自分自身はいったいどうなのかというと、私自身は、言うことなすことのすべてが仏の本意に背くことぱかりで、到底、人様にえらそうなことを言えた柄ではありません。ただなすことといえばその本意を学び、人に伝えることと、すこしでもそれに沿うよう努力したいと願うだけであり、それすらも思う通りに出来ない自分に気づき、「申し訳ない」の一語に尽きます。したがって、人は人、自分は自分で、人様をどうこうしようなどと思うこと自体が越権行為であり、どんな人に出会っても相手は自分の「反面教師」であると考えるようにしています。



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