現代人の法話 
〜 心と心の交わりを 〜

 かつてローマの探検家マルコポーロが「絵に描いたように美しい都」と絶賛したトビリシを首都と仰ぎ、戦後、音楽の巨匠カラヤンを生んだ東西交易の十字路グルジヤは、コーカサス山脈の南に横たわる小国で、古くからペルシヤ、アラブ、モンゴル、トルコ、ロシアなどに侵略されるという外敵の脅威にさらされ、その国民は独立心や愛国心に燃え、一旦緩急あらぱ同士的結束の固いことで知られています。その証拠に、この国に行ってみると、町の外壁は城壁に囲まれ、東方教会の流れを扱む古いグルジヤ正教の教会なども山頂にあって、万一、敵が襲来したときには砦となり、町の人々の身の安全を守った様子が今も随所にうかがえます。最近では、同国西部の黒海に面するアブハジャ人は他の地方に難民として命からがら避難を余儀なくされました。これを知ったグルジャ人は同胞のそうした避難民をだまって見過ごすわけにいかず、町一番のホテルを提供してそこに住まわせ、温かい保護と援助の手を差し延べています。
 最近、私は同国を訪れる機会があり、たまたま宿泊予定地であった首都トビリシ市の豪華な二十階建てのイヴェリア・ホテルが、そして地方都市のテラヴイ市では町唯一の十三階建てのカヘティ・ホテルが避難民の収容所となり、急遽、私たち外国人旅行者は、他の小さなホテルか民宿でのホームスティを余儀なくされました。しかしながら、その理由を知ったとき、私は不満をもらすどころか、この国の人達は名も知らぬ同胞に対して何と愛情豊かな国民なのだろうと感心し、その結束力の固さに驚嘆しました。すでに九州・阿蘇山の噴火による水害事故や関西での大地震でお分かりのように、わが国で、もし、戦争や天災地変などが起こった場合、はたして被災した同じ日本人の避難民を自分の町の一流のホテルに収容することがあったでしょうか、あるいはこれからもそうするでしょうか、深く考えさせられました。
 こうしたこころ温まる行為は、同国人に対してばかりでなく、私たち外国人にも差し向けられました。民宿にあてがわれた家ではシャワーのお湯も出ず、夜九時以降でなけれぱ電灯も点かない不便なところでしたが、そこのご夫婦の寝泊まりする最上の部屋をあてがわれ、家族揃ってこころから歓待してくれて、設備の貧弱さや不便さなどをいちいち気にとめる必要は毛頭ありませんでした。
 また、スターリンの出生地であるゴリ市郊外のレストランで昼食をとっていた時、ドアを開けて一人の大男がニコニコ顔で現れ、たどたどしい日本語で「皆さん今日は」と話しかけて来ました。私たちは何者かといぶかしそうに顔を見合わせていると、彼は自己紹介し、一九七二年九月にドイツのミュンヘンで行われたオリンピックでの当時ソ連の柔道・軽重量級の選手で優勝した世界的チャンピオンで、名前をシヨタ・チョチョシベリというグルジャ人であるとわかりました。たまたまここに食事に来ており、こうした僻地で日本人を見かけたので懐かしさを隠しきれず、話かけて来たのです。食事をとってから彼としばらく歓談し、帰り際には私たちとの出会いのしるしにとワインを一本づつお土産に下さった上に、がっちりした手を差し延ベ、「心と心よ」と立派な日本語で語って別れを惜しんでくれたことには驚きました。おそらく柔道を通じて講道館の先生から習った言葉なのでしょうか、三十年あまり経った今でもこうした日本語をよく覚えていて、それを自分の信条としていることに深く感銘し、かえって私たちは彼から人間のあるべき姿を教えられたような気がしました。
 経済的には貧しいながらも外国人である私たちにも温かい手を差し延ベ、厚遇してくれるその心情に触れて、何と心豊かな国民なのだろうと感心していた矢先に、帰途の車中で、同行の日本人からショッキングな言葉を聞きました。というのはレストランでの食事のお粗末さや前述のホームスティを余儀なくされたことに触れ、高価な旅行費やホテル代を支払いながら、自分の気に入らない食事や部屋をあてがわれた腹いせに、同行のガイドに食ってかかり、不満をぶちまけているのを立ち聞きしたからです。おそらくこの言葉を理解したガイド氏は、日本人とは何と傲慢不遜で自己中心的な国民であると思ったことでしよう。こちらは穴に入りたいくらい恥ずかしい思いをしました。
 最近ではご承知のように、折りからの国際化時代の波に乗って、年間千五百万人以上の日本人が海外に気軽に旅行に出掛けられる結構な世の中になりました。それに円高ドル安の風潮が拍車をかけて沢山のお土産物を抱えて帰国する人が増えていますが、中には国内にいるのと同様のサービスや設備を要求し、傍若無人の振る舞いをして現地人の顰蹙を買う人を見かけます。たとえば撮影禁止の場所で平気で写真を撮ったり、格式高いレストランで野球帽をかぶったまま食事をしたり、一流ブランド店に殺到して買い占めたり、観劇や演奏の途中で大声で私語を交わして退席するなど目に余るものがあり、誰も日本人同士で注意しようとしない有り様です。
 こんなことから、日本は経済大国になり、いくら海外の開発途上国へ資金援助をしても、日本人はエコノミック・アニマルだとこころある外国人から馬鹿にされ、蔑まれるのではないでしょうか。やはり真の国際化とは、モノの買い占めややり取りではなく、人と人との「心と心」の交わりのようです。



Back