現代人の法話 
〜 人間は信用が肝心 〜

 去る三月九日、畏友の青森県板柳町の大善寺の住職・大屋瑞彦師が世寿六十九歳をもって遷化されました。病名は肝臓ガンとのことで、数年前から身体に不調を訴え、それを押して浄土宗青森教区長をはじめ京都の総本山・知恩院の評議員や東京の大本山・増上寺の布教師会長などを歴任され、席の温まる暇もなく東奔西走の日々が続いていました。彼は責任感の強い男で、一端引き受けた以上はそれをけっして自慢することもなく仕事を確実に終やし、淡々としていました。その彼が既に病魔に侵されているとは露知らず、小生が企画した『ご縁を結ぶ法話大事典』(雄山閣出版)の原稿を今から二年前に依頼し、それを締切りまでに確実に小生宛送ってくれました。彼は日頃から「人間は引き際が肝心だ」と口癖のように言い、人生の最後にあたり、病魔をおしてわざわざ青森の自坊から飛行機で単身、東京に出向き、増上寺布教師会に出席して無事に辞任を見届け、帰坊して数日を待たずして急逝されたのです。そうした事情も知らず、彼に仕事を依頼、そこで無理がたたって死期を早めたのではないかと悔やまれてなりません。
 そんなこともあって、彼の訃報に接し、たまたまインドネシアに出張しておりましたが、帰国翌日の四月十九日に行われた表葬儀に、青森に日帰りで直参し、香華を手向けて参りました。極暑のインドネシアから極寒の青森に出向いたその無理がたたったのか、翌日からの日程を消化するのに、いささか身体に変調を来たしましたが、大勢の方に迷惑をかけてはいけないと予定通りの日程をこなして来ました。私は、一端約束をしておきながら、どんな事情かその責任を果たさない人は大嫌いです。原稿を依頼して、締切り前日になってから「出来ない」と辞られたりして期待を裏切られ、嫌な目にあって来ただけに、すくなくとも自分はそうすまいと心に誓って実行してきました。特に、自分が主宰者である仕事や会合では相手に迷惑をかけるので、原稿の締切り日や講演の依頼などの約束事に、急病や自分の都合で、約束の日をキャンセルすることはかつてありませんでした。大学の講義もいままで二十五、六年間、公用をのぞいて欠席したことがなく、どんなに病気が重くても、必ず出席して来ました。「そんなことをしてまで約束を果たして、自分の身体がどうにかなってもいいのか」と諌める人もいますが、万難を排して公務を遂行し、万一、死んでも本望だと思っているのですからいい気なものです。はたしてこうした生き方がいいのかどうかわかりませんが、少なくとも人の信用だけは失いたくないものだと考えています。



Back