現代人の法話 
〜 個人主義と利己主義のちがい 〜

 最近、ある新聞社が読者に行ったアンケート調査「今、日本人にとって一番欠けているものは何か?」によると、ダントツに多かったのが「モラルとマナー」だそうです。そのくらい、大人も子供もおしなべて、周囲に迷惑をかけても平気な人が増え、それを注意しようものならかえってすごまれ、何をされるか分からないので、誰も見て見ぬふりをしています。
 こうなったのはひとえに戦前の国家・社会や親中心の一方的な道徳教育への反動なのか、戦後、大人たちは教育への自信と誇りを失い、自分の子供たちの躾けを学校の教師まかせにしてまでも経済復興に精を出したからではないでしょうか。その教師たるや、戦後のデモクラシーが喧伝した個人主義を楯にとって、聖職者としての衿侍を自ら捨てて知識労働者に成り下がり、子供の行動の自由や人権保護や権利を強調するあまり、問題を起こしても何ら責任を取ろうとせず放任して来ました。しかしながら「三つ子の魂、百までも」の諺の通り、幼少時の子供の生活環境がその人格形成に重要な役割を担っているにもかかわらず、親も教師も世の大人たちもおしなべて、子供の躾けを蔑ろにしたツケが今まわって来たのです。その結果、最近の子供は自分の好き嫌いをはっきりさせて周囲に遠慮がなく、好きなことはするが嫌いなものは見向きもしないという、したい放題の自分中心の生き方に育てられて来ました。
 しかしながら、ここではっきりと区別しておかなければならないのは、そうした周囲に対する思いやりや礼儀、謙虚さを欠いた自己主張は単なる利己主義のわがままにすぎず、けっして個人主義ではありません。個人主義とは、自分の言動に責任を負い、自他共にお互いの存在を尊重し、相手を立てることによって自分も立てられることを自覚することにあります。はたして私たちはこの違いに気づいているでしょうか?



Back