現代人の法話 
〜 誰もが責任ある主体者となる 〜

 最近、国内各地で続発している未成年者の凶悪犯罪事件に端を発して、警察や学校の対応の遅さや貴任逃れがマスコミなどで糾弾されていますが、これはひとり警察官や教師だけでなく、国民全体が真剣に考えなくてはならない問題であると考えられます。
 たとえば急病に罹り、一刻も早い救命措置を要する場合でも、百十九番して救急車が駆けつけてくれても、担当医師が不在だったり、いても手に負えないからといって他の病院に移されたりして患者がたらい回しにされ、その間に急逝しても、通り一遍の謝罪だけで終わってしまう場合が多いからです。最近の政官財界人の景気や金融対策にしても、当事者はその場かぎりのツケ焼刃的な応急措置でお茶を濁し、責任を回避して問題を先送りすることが日常茶飯事になっています。かつての人々は、自分に責任があるときには、「武士に二言はなし」といさぎよく認め、自腹を切ってまで他に迷惑を及ぼすことを極力避けて来ました。かつて聖職者として信用され、頼り甲斐のあった警察官や学校の教師や医師などは、勤務時間を度外視しても臨戦態勢にあり、一旦緊急事態が発生したときは直ちに出動し、事態の解決に体当りして来ました。ところが戦後は、誰もが保身のためなるべく自分の責任を回避して問題を先送りし、専従者に救済をお願いしても、真剣に取り合ってくれず、返って来るのは逃げ口上ぱかりのようです。おそらく警察や学校、病院などに懇願するのはよくよくの事だと思いますが、これでは私たちはどうしたらよいのでしょうか。
 ナゼこうなってしまったのか、いろいろ原因が拳げられましょうが、端的に言えば、多くの人が給料取りのサラリーマンになってしまったということです。戦後、わが国の政府は経済復興の財源確保のため、国民全体に所得税を課し、その結果、多くの企業体は法人化し、個人の義務や責任を拡散化させて、会社の社長までも雇われマダム的な給与所得者となり下がりました。そのために国民全体が総サラリーマン化して労働時間を切り売りし、ただ勤務時間を勤め上げれば事足れりとし、なるべくラクし、自分の生活を重視することしか考えなくなってしまったようです。こうした風潮が勤務時間などを度外視して公のために働く人や、家族や子供に奉仕する専業主婦にまで及ぶとしたら一体どうなるか。戦線で敵と対峙している真っ最中に、兵士が今日は休暇だからといって銃を捨てて撤退したらどうなるか。社会や家庭や味方の壊滅は必至です。ここいら辺で、戦後の、働くことのすべてを労働の対価としてお金に換算するサラリーマン根性を捨て、公私を逆転させて自己本位の生活を優先する近代主義の悪弊を是正しないかぎり、日本の未来はないといってよいでしょう。



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