現代人の法話 
〜 休みも働きの一部 〜

 私たちは毎日、同じ人に出会い同じような仕事を続けていると、慣れが手伝ってマンネリ化し、惰性に流されて新鮮な興味が消え失せがちです。山登りや散歩するにしても、ただ歩き続けていると疲れがたまり、息切れして道の途中で中断したくなります。また、ときどき舞い込む悲しみやイラだちで、ニッチもサッチもいかなくなる時があります。
 こんな時には、ときどき休んでひと息入れることによってそうした難関を突破する元気が湧いて来ます。かつて作家の太宰治さんは「悲しかったら、ウドンかけ一杯と試合始めよ」と語ったことがありますが、生理的満足により解決することもあります。
 このように、人生もただ漫然と毎日を週ごしていると、とかく味気なくなるもので、ときにはひと休みして気分を整えることが必要です。念仏することも同様に、不断念仏が常道ですが、ときどき別時念仏して活を入れることが必要になって来ます。



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