現代人の法話 
〜 はたして休みは楽しいか 〜

 先頃、この欄で「休みも働きの一部」というタイトルで、休みの効用を説いたところ、読者から「私は普段、暇を持て余していますが、それでも休めということですか?」という質問がありました。誤解のないように、ここで前記の意図するところを述べておきますと、これはそういう暇人へではなく、忙しく立ち働いている人に対して言う言葉であることです。普段、怠けていたり、暇を持て余している人には、本人のなすべき目的に向かって、一所懸命に働かなくてはならないことはいうまでもありません。私の知人は、「自分にとって、一所懸命に働いた後は心地よい疲れがありますが、仕事もなく、ただぶらぶらしているときのほうが、かえって気疲れします」と述懐していましたが、私も同感です。
 今日、職場や学校で、週四日制とか五日制を実行して、なるべくゆとりある生活をと、休暇をとることを勧めていますが、それは自分の好きでもない仕事を強いられて働く過労気味な人に対してであって、自ら進んで好きな仕事に取りかかっている人にとってはあてはまりません。私などは別に仕事の鬼ではありませんが、ここ数十年来、休暇をとったことはありません。家にあっても、せいぜい二、三十分の食後の休み時間をとるくらいで、後は寝床に就いたときに音楽を聞くのが唯一のくつろげる時間です。
 というのは、何もすることがなく、家で二、三日もぶらぶらしていると、「小人、閑居して不善をなす」の諺の通り、ロクなことしか考えず、気が沈みがちになるので、そんな時には、何かやるべき仕事を見つけて自分に宿題を課し、それに向かって立ち向かうことにしています。



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