現代人の法話 
〜 人生の目的とは 〜

 最近の世の中は、エリートの不行跡をはじめ未成年者の凶悪犯罪に至るまで、社会も学校も家庭もおしなべて崩壊の末期的症状を呈していることはご承知の通りです。
 その対応策として道徳教育の復活を叫ぶ声が聞こえて来ますが、いくら外律的にその政策を推し進めたところで、効果の程はたかが知れていることでしょう。というのは、一般の人々にとっては、お金儲けや一時的な快楽以外に、人生の意味や価値やその方向性を見出し難いからです。
 それらは人から与えられるものではなく、自分の力で生み出すものだと思います。作家の五木寛之さんは『人生の目的』(幻冬舎)で、「人生に目的はあるのか、私はないと思う。何十年も考えつづけて来た末に、そう思うようになった。しかし、やはり人生に目的を持ちたい、と思うのが自然な人間のこころの働きだろう。(中略)人生の目的の第一歩は生きることである」と述べています。
 しかしながら、生きるといっても、生活の前後を考えず、ただ衝動的に、人に迷惑をかけ、殺傷してもよいのであったなら、なんら動物と変わらず、誰にでもやって出来ないことはありません。
 司直に見つからず、誰からも見咎められないかぎりは、そうした身勝手な言動も許され、気晴らしには有効かもしれませんが、はたしてそれで自分の魂の居心地がよいかどうか疑間です。他を度外視して、どうして自分の魂の居心地がよいといえるでしょうか。
 生活の便利さのためには、IT革命も結構ですが、それより重要なことは、まず私たちに、自分の力で生み出すものがあるかどうかです。そうしたものをお互いが周囲の人と領かち合い、共感感情が持てたときに、「生きて来てよかった」と感じられるのではないでしょうか。



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