現代人の法話 
〜 しあわせに生きるための三つのポイント 〜

 今日の私たちは、戦争や内乱のない、平和で物質的に恵まれた社会にあるせいか、生かされている有り難さが感じとれず、明日への夢や希望もなく、空めぐりの毎日を送っているように見受けます。そこでは、自分の持ち物や能力やいのちを過信するあまり、人生に対する謙虚さや敬虔さや真剣さが欠けているようです。にもかかわらず、もっと経済的にも安定し、健康で長生きし、安全で安心した生活を望んでいます。そうした現代人の際限のない欲望を、作家の大岡信さんは『折々の歌』で「恵まれて小さな星に生まれながら、その恩恵を裏切って人間はその欲望を無限に満たすために凶悪の限りをつくし、大地と空を汚染し、他の無数の生き物を殺戮してテンとして恥じない」と述べています。そこからはけっして人生に対する感謝の念や生きる喜びは湧かないことでしょう。
 そんなところから自分の力を過信して、傲慢不遜な態度をとるようになるのではないかと思います。では、私たちはどうしたらよいのでしようか。抜本的な解決方法が棚からボタ餅式に得られるわけがありませんが、少なくとも人生の一時期に、次の三つのことを経験しないかぎり、自分が一体何者かがわからず、一生を無為に過ごしてしまうのではないでしようか。
 第一に、私たちにとって重要なことは、生活に困ることです。かつて人々は、不便で不快な生活を強いられた結果、どんな苦境に陥ってもそれに耐えて、生き抜く勇気を持ち合わせていたようです。私たちもそうした体験を人生の一時期に買って出ても持つべきだと思います。本田技研の創始者・本田宗一郎さんも、「人間に必要なことは困ることだ。絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力です。」と語ったことがあります。肉体的にも経済的にも精神的にも、ほんとうに困って、どうしてよいかわからないとき、はじめて人やモノを大切にする謙虚な態度になり、同じく困った相手への思いやりの気持ちが湧いて来るのではないかと思います。
 第二に、私たちにとって重要なことは、自分の能力の限界を知ることです。すなわち、自分の体力や知力や気力など、「もうこれ以上はできない」というところまで追い詰めてみることです。たとえば、自分はどのくらいまで歩けるかとか、どのくらい英単語を暗記できるかとか、どのくらい人から叱られても耐えられるか、といった能力の限界を知ることによって、それ以上にできる人に対しては、自ずと敬虔の念が湧いて来るのではないでしょうか。今日では、こうした「分に応じて矩を越えず」といった限界を知らないところから、教師や先輩や親兄弟に対しても、まるで友達のような横柄な態度をとるのではないかと思います。
 第三に、私たちにとって重要なことは、いつも今が自分の人生の最後だと考えることです。たいていの人は「いつまでも生きている気」でおり、いつ自分の命が絶たれるかを知らないから、いつまでも生きられるとタカをくくり、今日なすべき問題も先送りして、人やモノとの出会いの有り難さもわかるはずがありません。今日一日しか生きられないと思えぱ、一日を貴重なものとして仕事に真剣に立ち向かい、人やモノとの出会いを大切にし、それらへの親切や愛情が湧くのではないでしょうか。
 私たちが生き甲斐ある人生を送るには、一にも二にもこうした状況に自分自らを追い込むか、他から追い込まれるかにかかっています。もちろん、私たちは昔の時代に時間を逆行させることはできませんが、すべて下降社会にある今日の状況にあっては、いつまでも自分のお金やモノや自他のいのちがいつまでもあるわけでないことを自覚し、そうしたものの今ある有り難さを感謝することだと思います。ロシアの作家ドストエフスキーも『悪霊』で、登場人物のスタヴローキンに、「自身の大地とのつながりを失った者は、自身の神をも失う」と語らせていますが、今日の現代人は、まさに自分自身の神を失って、右往左往しているように思えてなりません。



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