現代人の法話 
〜 若者よ大志を抱け 〜

 近頃流行の若者姿といえば、世に言うパンクスのように男は茶髪にタンクトップの革ジャンで身を固め、女は茶髪にピエロ姿で花魁靴を履き、共に携帯電話を手放さず、与太っている姿が目に浮かびます。彼(女)らがどんな格好をし、どんな行動をとろうと、それが周囲に迷惑をかけなければ、とやかく目くじらを立てる必要はないのかもしれません。が、それが暴走族のように、集団で昼夜を問わず我が物顔に町中を徘徊し、咎めようものなら寄ってたかって暴行を加え、死に至らしめるとなると事は重大です。日本の将来を託すべき若者がこうした野放図な行状をほしいままにしている姿を垣間見て、憂慮するのは筆者だけではないと思います。
 今日のわが国の直面する政治不信や経済不安が増幅して、若者たちにその不満をぶつける対象や生きる理想や目的も見出せず、ただ感情の赴くままに暴発する姿を見ていると、若者達は特に、かつてスペインの思想家オルテガ・イ・ガセーが「先の世代で有効であった世界像を喪失したのにもかかわらず、まだ新しい世代の世界像を手に入れていない状態」の真っ只中で足掻いているのかもしれません。ガセーはこうした状態を「歴史の危機」と呼びましたが、今日のわが国の現状はこの歴史的危機に直面しているといってよいでしょう。
 しかしながら、こうした若者がいる反面、いかに社会が混迷の度を加え、不透明であろうと、そんな頼り甲斐のない日本の現状に見切りをつけて、サッサと海外に脱出する勇気ある青年男女がいることも事実です。彼(女)らは、親のすねを齧り贅沢三昧にふけりながらも、自分の欲望が満たされないとその不満を他にぶつける不甲斐ない、前述のような若者と異なり、誰にも頼らず自立し、自分の能力の限界に挑戦する頼もしい人たちです。私は海外でそうした人々に少なからず出会って来ました。ここにその二三をご紹介したいと思います。
 先頃、南米を旅行し、その最先端にあるアルゼンチンからチリに国境越えをした時のこと、チリ側の検問所に一人の日本人が荒野の中を自転車を漕いで乗り付けて来ました。聞くところによると、彼の名は日碁邦行君という千葉県八街市出身の二十三歳の青年で、米国アラスカ州の最北端から二年半かかって単身ここまでたどり着き、これから約一週間かけて南米の最南端にあるフェゴ国立公園の突端まで一万七干八百四十七キロ行く途中だとのことでした。途中で有り金を取られて無銭同様になり、大道芸人になって日銭を稼ぎながら、野宿用の寝袋と少々の食料と水を積んだだけの自転車旅行で、よくもここまで来たものだと感動するやら感心するやら。彼はアメリカ大陸縦断後、欧州を一巡し、世界一周の念願を果たしてから日本に帰国する予定だ、とのことで、その髭だらけの顔の中から澄んだ瞳が光り、陽気な笑顔を見るにつけ、彼のような男ならきっと達成できると、かえってこちらの紀憂が吹き飛びました。たった数十分の出会いでしたが、彼はさっさと自転車に飛び乗り、未練もなく颯爽と立ち去るその後ろ姿を見て、日本人の青年にもこうした頼もしい人がいると思うと、何か心温まる気持ちと心強い気持ちに駆られました。
 また、男性だけでなく女性の中にも、勇猛果敢な人に出会ったことがあります。数年前のモスクワから成田空港への帰国の機中で、たまたま隣り合わせた日本人女性は、その名を増田三恵子さんという東京学芸大学四年生で、チュニスの奥地の砂漠でラクダに乗りたくて二週間、親の猛反対を押し切り、言葉もままならないにもかかわらず、単身旅行して来たとのことです。たとえ少数であっても、こうした若者を見るにつけ、日本も捨てたものではないと勇気づけられました。
 振り返って考えてみますと、今から百数十年前の幕末当時も、明治維新の立役者になった長州(山口県)の伊藤博文など若者五人組が英国留学に際して、その送別会で有金を遣い果たし、乗船したスコットランド船々長の特別のはからいで無賃で船出したという猛者ぶりを発揮しています。
 そういう私自身も、戦後間もなく米国の大学に留学した折り、現地に到着前日のニューヨーク州シラキューズ市の長距離バス乗り場で、留学費用にあてる小切手の入ったカバンを持ち逃げされ、明日の生活費にも困り、途方に暮れたことがあります。しかしながらイザとなればどうにかなるもので、捨てる神あれば拾う神もあるもので、悪運強く、それから今日まで、どうにか命拾いをして来ました。
 やはり若者の特権は、いつも将来に希望を捨てず、ときには無謀だと思えても、末知への遭遇に挑戦し、自分の運命を自分で切り開いていくことではないでしょうか。「できないのではない、やらないだけ」なのです。ひとつ貴方も、今からでも遅くはない、チャレンジしてみませんか。



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