現代人の法話 
〜 果報は努力して待つ 〜

 世の中には「果報は寝て待て」とぱかり、自分は怠けているのにそれを棚に上げて、他人の成功をうらやみ、自分にはいつまで経っても幸運に見舞われないとぼやく人を見かけますが、他人の褌で相撲をとっていては、いつまてたっても成功するわけがありません。アメリカの鉄鋼王て億万長者のアンドリュー・カーネギーは「成功には何のトリックもない。私はただ、いかなる時にも私に与えられたその仕事に全力を尽くしただけ。普通の人より、ほんのちよっとだけ、より良心的に努力しただけ」と語っているくらいです。
 しかしながらその努力は、ただ闇雲につきまくっただけでは報いられないもので、ちょうどサーファー(波乗り)がうまく波をキャッチしてポードを自由に駆使するように、時期相応の波に乗らなけれぱ、いつまでたっても無駄な浪費になってしまうようです。いかにしたらそうした波を乗り切れるかは、いくら教本やインストラクターから知識として学んでも、実際に自分が実地に体験しなけれぱ、絵に描いた餅で大した役には立たないことでしょう。その体験の過程で失敗などの試行錯誤を繰り返してはじめて「これだな」というコツが得られるのだと思います。私はいつも「見聞触知、みな菩提に近づく」(見聞するものに無駄なものはない)を肝に銘じて、何事も自分に興味のあるものにチャレンジすることにしています。そこで何か収獲があれば満足しますし、たとえ失敗して予期していたものがえられなくても「ダメでもともと」と考え、それを契機として「失敗は成功のもと」と覚悟を新たにし奮起するよすがとしています。こうしたことを繰り返していると、次第に何が本当に自分にとって本質的で重要なものであるかないかの見分けがつくようになるから不思議なものです。
 こうした私の生き方は、経済用語の「等価交換」や「拡大再生産」という考え方に影響されているようです。この用語は「自分の支払った金額や労力に見合った等価値のものを相手から得る」と同時に「そこで得たものをたんに遊興のために消費するのではなく、それを原資として、今まて自分が培って来たものを拡大発展させる」という意味です。たとえぱ、食べ物をとることは肉体の活力源になり、本を買うことは精神の栄養剤になるので「等価交換」の価値があると考えられます。銀行の利子は預金者、銀行、投資家三者の「拡大再生産」になります。



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