現代人の法話 
〜 お互いが共存共生を 〜

 中国の禅僧・馬祖が弟子から「仏とは何か?」問われて「悟りとは心でもない仏でもない」と答えたといわれます。すなわち仏(悟り)=安心立命の境地(平和)とは自分の心(主観)にあるのでもなければ自分の外側(客体)にあるのでもなく、自他共に同一地盤の上に立った時に感得されるというのです。これを哲学者の西田幾多郎は「これまでの哲学はすべて対象論理を問題にして来た。それでは物の世界は説けても心の世界は説けない。自分はその心の、すなわち真の主体性を明らかにするために場所的理論を主張する」と説明しています。
 かつて英国の宰相パーマストンは「国家には永遠の友はなく、永遠の敵もない。あるのは永遠の国益だけだ」と喝破したことがあります。
 最近のイラク戦争は、その当事国が敵味方に分かれた対象論理によって自らの立場を絶対視し、相手を排除しなければ平和が招来しないと考えた当然の帰結と言ってよいでしょう。私たちも同様で、自分の得になることばかりを考えていると、相手に損をさせ、相手の利益になることぱかり考えていると自分が不利益になると考えるところから来ているようです。
 こうした自己中心の生き方は正邪や優劣を二者択一する二元論の立場に立つところから生まれています。最近では自我意識の強い欧米人のみならず私たちも、個人主義を曲解して利己主義になり、自他を峻別して他の迷惑をも省みず、自分勝手なことをしがちです。これを押し進めていくとお互いが相剋し対立して、ひいては殺し合いに発展し、共倒れになること必然です。
 これからの私たちは、相依相関の縁起の思想の下に、助け合い譲り合って共存共生をはからなければ、早晩、人類は破滅の憂き目に遭うことを覚悟すべきでしよう。



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