現代人の法話 
〜 発想の転換を 〜

 私たちは自分の属する集団にせよ個人にせよ、自分中心の考え方や生き方を変えることができず、最近、世界各地で頻発する国家や民族間の紛争や個人間の葛藤にしても、おしなべてこの国益や私益を守るための争いといってよいでしょう。
 自らの利益や名誉を考慮に入れて物事を考えて行動し、他の利益や名誉への配慮をおろそかにしがちなのは、私たちに自己保存本能や自我意識があるかぎり、人間として避けられない宿命なのかもしれません。しかしながらそれをどこまでも押し進めて行くと、お互いが相剋し対立して、ひいては殺し合いに発展し共倒れすることになるでしょう。
 自我意識の強い欧米人は、自ら依って立つところの信念を曲げることをいさぎよしとせず、自分を中心として世の中の物事を見勝ちです。知日家のイタリア人アレッサンドラ・ベッターリ氏は「外国人なら自分たちをどうみているか、という発想は、イタリア人ならまずしない。他人にどう思われようと気にしないから」と語っているくらいです。今日のイラクでの戦争にしても、米国、イラク双方がお互いの主張を譲らず、とうとう泥沼化していますが、こうしたことは自分の信念が絶対だとする一神教に裏打ちされた人々にありがちな発想と受け取れます。
 その点、かつて日本人はどちらかというと、周囲に対する気配りがあったようですが、最近では個人主義を曲解して自己中心主義(ジコチュウ)になり、他の迷惑も省みず、自分の勝手放題のことをしている人を見受けます。ここいらで私たちはお互いが過ちを犯しがちな愚かな人間であるという共通地盤の上に立ち、お互いが、眺める自分が眺められる自分にならなけれぱならないでしょう。



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