現代人の法話 
〜 話せばわかるか?  〜

 私たちは生まれてからこの方、いろいろなことを体験し、学んで育って来ましたが、はたしてそれらを活かして、周囲の人々と喜怒哀楽の共感感情を抱いて一生を過ごしているでしょうか。どうもこれからは、そうした苦楽を共にする生き方を実感できる世の中ではなさそうです。というのは、実際に自分の頭や手足を働かさなくても生きて行けるからです。すなわち現代社会ではヴァーチャル(仮想現実)な世界が大手を振るって罷り通り、私たちに備わっている知力や体力や、相手との共感感情が退化して、まるで自分がロボットになった気分になり、物事を機械的に処理しても平気でいられるようになるからです。
 たとえばコンピューターを駆使していると、ただボタンを押せぱ、機械が必要事項を記憶し、物事を自動的に処理してくれるので頭を使う必要がなくなり、田畑を耕したり、遠くの目的地に歩いて行かなくても、機械が代行してくれるので、自分が実際に手足を使う必要がありません。人との通信でも、いちいち対面して言葉を交わさなくても、携帯電話やEメールなどで済ませることができるので、効率よく同時に多くの人に情報を伝達することが可能です。このように近代化、機械化のお蔭で、私たちの労力が節約でき、便利になった反面、人間としての能力が退化し、非人間化するという副作用に見舞われ、こうした傾向はますます加速の一途を辿ることでしょう。
 人との交わりや話し合いでも、「話せぱわかる」といった状態から程遠く、良識ある人ならば、話しかけられれば何らかの反応も示すはずですが、何を言っても無視し、無表情や無関心を装っている人を見かけます。おそらくこういう自己中心主義者が自分の気にいらないことがあると、キレタと称して周囲に当たり散らし、迷惑をかけ、人を殺傷しても何ら自責の念もなく、平気で犯罪を犯すのでしょう。もし私たちが人間として実感できる現実から離れてお互いが孤立し、コミュニケーション不能の生活をせざるをえないとしたなら、考えただけでも恐ろしいことです。そうならないためにも、今こそ誰もが近代化、機械化の弊害を是正し、人間性を蘇生させる手だてを考えるべきではないでしょうか。



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