現代人の法話 
〜 サービス過剰について 〜

 私はよく電車を利用して国内各地に旅行する機会がありますが、いつもイライラさせられのは、車掌の車内放送です。親切のつもりでしょうが、発車や到着前後にはきまって途中駅や到着時刻や乗換案内など、事細かに放送し、折角、静かに読書や居眠りをしたくても、音の公害で妨害されてしまいます。
 おそらく乗客は、目的あって乗車するわけですから、到着先の事情が分からないはずがなく、もし不明ならば事前に駅員や車掌に尋ねれぱよいことで、乗客全員に逐一、熟知させる必要があるのかどうか疑問です。勿論、乗客の間には必要を感じる人がいるかと思いますが、外国ではまず、こうした放送はなく、発車のベルさえ鳴りません。何時発車し、何時に目的地に到着するかは、変更や事故でもないかぎり、大人として当然弁えているべきだ、という発想なので、決して不親切ではないことです。
 同様に、多くの集会地や遊園地では、甲高い構内放送や音楽を聞かされ、耳障りもはなはだしく、それを平気でいられるのは一種の不感症や音痴と言えるのではないでしようか。



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